「防衛大臣政務官殿に敬礼!」
水色のベレー帽を目深にかぶり、同色のマフラーを迷彩服の首元に覗かせた、すらりとした青年将校が、よく通る声で号令をかけた。後ろに居並ぶ青年たちが、すぐさま足をそろえ胸を張った。ベレー帽の水色を白く抜いた国連のマークが横一列に並び、頭上から降り注ぐシャンデリアの光を照り返した。
ここは、埼玉県に近い朝霞駐屯地内にある中央即応集団司令部。災害や紛争で被害に遭った住民の支援活動を、国内外で専門に行う司令部だ。号令をかけた青年将校の名は、高木真一氏。35歳の陸上自衛隊3等陸佐(英語ではMajor)である。2月に行われた「UNDOF(アンドフ=国連兵力引き離し監視隊)ゴラン高原派遣輸送隊第27次要員第1波出国」壮行会での1シーンである。
前回まで農業をテーマに話をしてきたが、久しぶりに軍事の話に戻ろう。全く関係のないように見えるこの2つのテーマだが、筆者の中では深い相関関係がある。これまで国際協力の現場を多く見てきて、国力を強くするためのポイントは農業と軍であると考えているからだ。
牛若丸のような青年将校が隊長に
UNDOFとは、イスラエルとシリアの国境線で双方の兵力を引き離す国連の監視団である。日本は14年前から自衛官を送り、UNDOFの活動に必要な物資の輸送と保管、道路の補修や重機材の整備などの後方支援を行っている。今回は27次の派遣で、高木将校は42人の隊員を率いて任務に就く、27人目の日本隊の隊長だ。
高木氏の姿は、香気あふれる牛若丸とでも言おうか。挑戦、武勇、責任感、高貴さ…。そうした言葉がふさわしい。
高木氏は2003年、第1次イラク復興支援群警備中隊運用訓練幹部として、中隊長の補佐をした。あのイラクで警備担当、しかも初代の派遣隊だったのだ。第1次隊は現地の事情を手探りで把握し、支援の枠組みなどを決める段階であったから、非常な重責を負っていたことだろう。
ちなみにこの時の群長は、番匠幸一郎一佐(当時。現・陸将補)である。高木氏にとっては、番匠氏をはじめ良い手本を間近に見ながらの任務だったに違いない(番匠氏については、こちらの記事も参照してほしい)。
高木氏に、イラク派遣当時の心境や今回の隊長任命についての思いを聞いてみた。
「イラクでは、なんとか命令を完遂でき、無事に帰国させてもらったことに、本当に感謝しています。しかし帰国後、運用訓練幹部として本当に中隊長を補佐することができたのか、という疑念がわき上がってきたのです。中隊長の企図をしっかり汲み取り、きちんと隊員に伝えることができたのか? …自問自答する日々が続きました」
イラク派遣時、ただ上司からの指示を待つだけでなく、もっと自分からアクションを起こすべきではなかったか、と後になって思い始めたというのだ。
「(イラクから)5年がたち、今回派遣隊長として国際貢献活動に参加する機会を頂きました。今度の派遣を通じて、隊長としての苦労などを数多く経験し、イラク派遣当時の警備中隊長の気持ちを少しでも理解できたら幸いです。また、派遣されるすべての隊員に、現地で堂々と任務を遂行させたい。そして前回私がそうしていただいたように、今回私が統率する42人を無事帰国させられるよう、努力したいと思います」
高木氏はまた、中東の文化、歴史に直接触れて積極的に吸収したいこと、日本隊の隊長として、他国軍隊と任務を遂行する中で隊員を統率する方法について、自分なりの解答を出したい、と抱負を語った。
そうはいっても、日本に残していく妻子のことはやはり心配だと言う高木氏。「2人の子供と一緒に自分の帰宅を待つ妻の労を、帰国後ねぎらってやりたい」と語る。
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1958年生まれ、法政大学大学院修士課程修了。スウェーデン国防軍国際センター民軍協力コース修了。広告代理店、出版社勤務を経てフリージャーナリストとして独立。1989年より国際協力の取材を始め、現在では世界の紛争地に赴くかたわら、発展途上国の開発・援助政策、コミュニケーション戦略を作成する。拓殖大学国際学部非常勤講師も務める。







