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「踏み躙られても生きられるか、噛ませ犬に牙はあるか」

元世界3階級王者アイラン・バークレー、貧しさの中からの言葉【後編】

  • 林 壮一

バックナンバー

2009年3月26日(木)

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(前回「勝つだけでは、拳だけでは、搾取から逃れられなかった」から読む)

 TBSドキュメンタリー・ロケの2日目は、アイラン・バークレーが通ったP.S.18 John Peter Zenger小学校での撮影からスタートした。

カネがない、と語るバークレー

カネがない、と語るバークレー

 この日、バークレーを含む我々ロケ隊は、移動に6人乗りのワゴン車を使用したのだが、行き先を告げるや否や、日本人ドライバーは「かなり悪い地域ですね」と言った。

「あの辺りでは車椅子に乗った人を沢山見掛けます。だいたいが銃で撃たれた傷ですよ」

 1995年に刊行され、ベストセラーとなったノンフィクション『AMAZING GRACE』(Jonathan Kozol著)は、サウスブロンクスの貧困を描いた名著だが、冒頭部で住民年収の中央値が7600ドルであり、95パーセント以上が貧民だと記している。

 さらに、こんな記述が続く。

「4000人近くに上るヘロイン中毒者が住み、その多くはHIVに感染している」
「住民の誰もが恐怖と不安に悩まされ、眠ることができない」
「1991年、このエリアでは84名が殺害された。その半数以上が21歳に満たない若者だった」

 母校に到着すると、バークレーはワゴン車を降りながら話した。

「サウスブロンクスは酷ぇ街だったけれど、この学校は良かったよ。オレも幼い頃は医者とか弁護士になれたら、なんて考えていた」

 テレビカメラを構え、バークレーをインタビューしようとすると、赤いコートを着た老婆が立ち止まった。ディレクターが「どうぞ、お通り下さい」と告げると、彼女は声を荒げた。

「ここは公道よ。私は市に税金を払っているのだから、あんたたちに何か指示される覚えはないわ!」

 老婆はずっと、撮影されるバークレーを傍で見詰めていた。

「彼を知っているんですか?」

 声を掛けてみると、78歳だという彼女は答えた。

「ボクシングのアイラン・バークレーでしょう?」
「そうです。今、ドキュメンタリーを制作中なんですよ。バークレーがチャンピオンだったことを覚えていますか?」
「勿論よ、有名だったもの。60歳の息子が彼のファンなのよ」
「ひょっとして、サインが欲しくて待っているんですか?」
「実は・・・そうなのよ」

 老婆は照れたように白い歯を見せた。

「じゃあ、撮影終了後に貰ったらいいですよ」

サインするバークレー

サインするバークレー

 数分後、赤いコートに身を包んだ彼女はハンドバッグの中から手帳を取り出して開き、バークレーに差し出した。元チャンピオンは身体を折り曲げるようにして、左手でペンを走らせた。
 サインし終わるとバークレーは、老婆に礼を述べた。そして、彼女が去っていく姿を目にしながらポツリと言った。

「オレのことを、いつまでも覚えていてほしいな」

48歳とは思えない動き。カムバックはあり得るか?

 その後、我々は再びグリーソンズジムに向かった。バークレーの練習風景を撮るためである。

「本気でカムバックを考えているの?」

 私が訊ねると、バークレーは囁くように答えた。

「まぁ・・・な」
「もう直、49歳になるっていうのに?」
「しばらく休んだのが良かったんだ。身体はどこも傷んじゃいないし、オレは酒もタバコもドラッグもやらないから健康そのものさ。2試合くらいやって、生活費を作りたい」

 1999年7月31日、第6ラウンドでテクニカル・ノックアウト負けを喰らったバークレーは、およそ2カ月後に引退を決めた。最後の6試合は全て黒星だった。

 だが、生活苦のために何度も“カムバック”を仄めかした。この日のトレーニングも再起に向けたものであったようだ。

バンテージを巻くバークレー

バンテージを巻くバークレー

 丁寧にバンテージを巻くとバークレーはリングに上がり、黙々とシャドウボクシングを続けた。ジャブ、ジャブ、ジャブ。パンチにキレがある。頭を振ってリズムを取り、ショートアッパーのコンビネーションを繰り出す。

 彼は時折、「ハッハッ」とか「フンッ」と声を上げながら、架空の敵を想定してパンチを振るった。

 48歳とは思えない滑らかな身のこなしだ。流石は3階級を制した男だと唸らせる動きである。バークレーが活躍した時代と比較して、レベルの低下が著しい現在のボクシング界を目にすれば、カムバックしたくなるのも分かるような気がした。

「彼は本当にもう一度リングに上がるのでしょうか?」

 TBSのディレクターが私に訊ねて来た。

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