「ルポ:“弱者”として生きるアメリカ」

寂れ行く地に残された人々〜「米国の夕張」ヤングスタウン

ブルース・スプリングスティーンの怒りとともに【前編】

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2009年4月2日(木)

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 1949年生まれのシンガーソング・ライター、ブルース・スプリングスティーン。彼は“ハートランド・ロック”というジャンルを確立した人物として知られる。

 ニュージャージー州ロングビーチに誕生したスプリングスティーンは、幼少時よりローマン・カトリックの教育を受けた。だが、周囲としょっちゅう揉め事を起こし、公立高校への転校を余儀なくされる。

 ほどなく彼はストリートファイターとして名を馳せ、ドラッグに溺れるようになる。といっても、悪の道に染まった訳ではなく、音楽の才能に恵まれていたスプリングスティーンは、歌うことを生業とした。1984年に発売されたアルバム、「Born in the U.S.A」は1500万枚を売り上げ、トップアーティストの仲間入りを果たす。

 スプリングスティーンは、アメリカ社会に対する怒りや嘆きを歌にした。白人でありながら、弱者の立ち位置でメッセージを込めた歌詞を書いた。そのひとつに「Youngstown」という曲がある。オハイオ州の小都市の名だ。かつては鉄鋼の街として栄えたが、ゴーストタウン化するヤングスタウンを、スプリングスティーンは歌ったのだ。

 北海道夕張市の経済破綻は記憶に新しいが、炭鉱が閉鎖されることによって、人口が激減し、街が寂れていくストーリーは日本でもよく耳にする。

 残された人々が、どのように生きているかを見てみたいと思った。かつては一日に700トンもの鉄が産み出され、第二次世界大戦中は爆弾や戦車が造られていた場所。

 スプリングスティーンの歌声を聞きながら、私はヤングスタウンを目指した。

人影が消え、出会うのはパトカーばかり

 オハイオ州で2番目に大きな都市、クリーブランド(2000年のデータで、人口225万人)の国際空港から南東に71マイル。しんしんと雪が降るなか、1時間半レンタカーを走らせる。

 ルート680も、ルート80も、オハイオ州の北東を走る高速道路は、信じられないほど交通量が少ない。この距離のドライブとなると渋滞が気になるが、そんな心配はまったくいらなかった。

 約90分の運転中、何度もフロントガラスが曇った。それでも私は、時速120キロペースで車を運転した。雪の影響なのか、高速の路肩に停められた車を何台か見掛ける。

 呟くように始まって、すぐに力強く叫ぶように歌うスプリングスティーンの声と、雪でドライブし難い前方の風景が、妙に合っているように感じた。

高速の出口からダウンタウンまでの道。交通量が少ない
閑散としたダウンタウン
街角にも人影がない

 正午過ぎに到着したヤングスタウンの気温は、摂氏マイナス7度。レンタカーの扉を開けた途端、身体の芯まで冷える風に包まれる。

 裁判所やシティー・ホールが立ち並ぶダウンタウンに向かうが、驚くほどに人影が見られない。現在の人口は8万1000人強。鉄鋼の街として潤った1930年代には、17万人が住んでいたが、溶鉱炉、製鉄所、鉄工所が相次いで閉鎖され、住民が離れていった。

 ヤングスタウンには州立大学があり、およそ1万3700人の学生が通っている。ダウンタウンから大学までは車で10分と掛からない。それでいながら、これほど人の姿を見ないとは・・・。

 ダウンタウンから大学に向かう道も、幾つか生活感のある家々を目にするのだが、学生の下宿といった様子で街全体が静まり返っている。また、廃墟となった建物も多かった。

●ヤングスタウン州立大学には浮浪者が住み着いており、女子学生の親は、娘が同大学に通うことを危惧している。
●2007年、ヤングスタウン州立大学では5台の車が盗まれた。
●暴行事件に巻き込まれる学生が後を絶たない。

 当地に赴く前に読んだ地元紙には、そんな言葉が踊っていた。治安を改善するためなのか、3分に1度はパトカーと擦れ違う。

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著者プロフィール

林 壮一(はやし・そういち)

1969年埼玉県生まれ、東京経済大学卒。大学時代にボクシングジムに所属し、ジュニアライト級でプロテストに合格するも、左肘に怪我を負いプロボクサーを断念。週刊誌の記者を経てノンフィクションライターとなり、1996年渡米。2006年9月、10年の取材を重ね、黒人でワールドチャンピオンとなった5人のボクサーのその後を追った『マイノリティーの拳』(新潮社)を上梓。以来、弱者の目線から見た米国の姿を追い続ける。著書に『メジャーリーグ・オブ・ドリームズ』(アスコム)、米国底辺校の教育現場に立った経験を綴り、大きな話題を呼んだ『アメリカ下層教育現場』(光文社新書)がある。最新刊は『ドキュメント 底辺のアメリカ人〜オバマは彼らの希望となるか』(光文社新書)。



このコラムについて

ルポ:“弱者”として生きるアメリカ

米国でノンフィクションライターとして働く傍ら、最底辺校に通う子どもたちを教育する現場に立った林壮一氏。過酷な現実と夢を持ち続けようとするたくましさがぶつかり合うアメリカの姿が、『アメリカ下層教育現場』にまとめられている。常に弱者の視点から米国を見つめる林氏に、これまで報じられたことのない、この国のリアルな側面を描いてもらう。その姿は、我々が手をこまぬいていれば、日本の未来の映し絵となるかもしれない。

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