(前回「寂れ行く地に残された人々〜『米国の夕張』ヤングスタウン」から読む)
ヤングスタウンに滞在した2日目も、雪が降ったり止んだりの空模様だった。気温も前日と変わらず、摂氏マイナス8度。
この日、私はダウンタウンの北側に向かい、前日に出会ったセキュリティーの女性がゴーストタウンだと語ったエリアを、小一時間ほどドライブした。


確かに、朽ちた家々が残っているだけだった。古びて塗料の剥げ落ちた建物が並ぶ様は、昨年訪ねたハリケーン・カトリーナの跡地、ルイジアナ州ニューオーリンズに似ている。だが、ニューオーリンズは至るところで復旧作業が続いており、住居を建て直すハンマーを打つ音や、地面を掘る音が聞こえてくるのに対し、ヤングスタウンはただ静寂に包まれているだけだ。
カメラを構えて近辺を撮影していると、ふいに呼び止められた。
「何をしているんだい?」
振り返ると、デニムのシャツに黒いジャケットを羽織った黒人の男性が近付いて来た。
「ブルース・スプリングスティーンの『YOUNGSTOWN』という曲が好きで、この地に来たんですよ」
応じると彼は白い息を吐きながら言った。

「あの曲はオレも好きだな。戦争で使われた爆弾がこの街で造られた。アメリカはドイツに勝ったのに、国家は市民のことなんか覚えちゃいない・・・・・・そんな風に歌う箇所があったよな。胸に響くよね」
男は53歳の溶接工でチャールズ・ペリーと名乗った。
「オレが1歳の時に、我が家は隣町から移って来たらしい。以来ずっとヤングスタウンで生きている。ほら、そこがオレの家だよ」
彼は3ブロックほど先の、赤茶色の壁を指差した。前方には2メートル以上の柵がある。ペリーは笑いながら話した。
「あの柵を乗り越えると近道なのさ」
「鋼鉄の街」の最期に巻き込まれて
ペリーが生まれた頃、ヤングスタウンには5つの製鉄工場があったという。彼の父親もそこで働いていた。
「オレも18歳で親父と同じ職に就いた。当時のヤングスタウンは、STEEL TOWN(鋼鉄の街)って呼ばれていたから、他の仕事なんて考えもしなかった。それから17年間、懸命に溶鉱炉で働いたよ。
でも、あんたも知っての通り、次第に斜陽産業となっていった。1つ、また1つと工場が消え、今では5つあった巨大工場が1つも残っちゃいない。忘れられないけれど、1983年には1万2000もの人が仕事を失ったんだ」
「その時、あなたはどうしていたのですか? 1983年なら、28歳?」
ペリーは頭を左右に振りながら答えた。
「オレが勤めていた工場もその年に潰れた。哀しかったねぇ。しばらくは、小さな鉄工所に勤務していたけれど、そこも経営破綻してしまったからトラックドライバーになった。でも、ヤングスタウンからどんどん人がいなくなったんで、運送業も金にならなくてね。それで、溶接技術を学んだんだ。溶接工になって、もう10年だよ」
「稼げますか?」
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