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37歳、月収900ドル、ベテラン総合格闘家が挑む道

  • 林 壮一

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2009年5月28日(木)

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「難しいなぁ。僕はオールドマンだから」

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 1971年12月3日生まれの黒人格闘家は、そう言って照れ笑いを見せた。私が、カメラに向かって蹴りのポーズをリクエストした直後のことだ。彼は片足で体重を支え切れず、ゆらゆらとバランスを崩した。

 選手としての晩年を迎えた37歳のヴァーノン・ホワイトが、新たな試みとしてボクシングジムに通い始めてから間もなく1カ月になる。週に2度、ジャブとフットワークを中心とした基本練習をこなしている。来たる5月30日に出場するMMAの試合で勝つために、ボクシング技術を学んでいるのだ。

「週に2回じゃ少ないだろう。5回くらいは来なきゃ」

 私が言うと、彼は呟くように答えた。

「分かってるけど、生活費も作らなきゃいけないからさ・・・」

パンクラス、PRIDEで日本へ

 1996年に渡米してから、私は本場のボクシングを取材してきた。日本でボクシングというと、MMA(Mixed Martial Arts 総合格闘技)、K1、空手、プロレス等と比較されるケースも多いが、アメリカ合衆国において、それはあり得ない。他の格闘技とボクシングでは、歴史、社会的地位、競技人口、技術水準、そして動くカネの金額がまったく異なるからだ。

 時に私は総合格闘技取材のオーダーを受けたこともあったが、全てお断りして来た。まるで食指を動かされないからである。しかし今回、この連載でMMA選手を取り上げてみようと思ったのは、彼が連載のタイトルに相応しいと感じたからだ。

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 ヴァーノン・ホワイトは日本で一時期人気を誇ったPRIDEの第2回大会(1998年)と第9回大会(200年)に出場しており、日本人ファンにも記憶されている男だ。PRIDEに呼ばれる前は、パンクラスという格闘技団体でも戦っていたと話した。

 ホワイトはカリフォルニア州東部のパラルトで生まれた。父親の顔は知らない。母親はドラッグ中毒者だった。彼が21歳の時、コカインの過剰摂取で還らぬ人となっている。そんな家庭だったので、生後間もないホワイトと、ひとつ年上の姉は母方の祖父に引き取られた。

「僕が幼い頃、祖父は海軍でコックとして働いていた。その後、警察官になったよ。母がドラッグに溺れたように、僕らはクスリの売人やギャングばかりが住む黒人貧民窟で育った。

 近所の学校も荒れていたから、祖父が姉と僕を越境させて、犯罪の少ない、白人地区の小学校に入学させた。すると、黒人が2人だけになっちゃってね。男の僕はターゲットにされた。毎日のように10人~15人の集団から暴力を振るわれた。“自分を守れ”ってことで、祖父がテコンドーのジムに入会させたんだ」

 道場に通う傍ら、ブルース・リーやジャッキー・チェン、ショー・コスギの映画に惹かれ、動きを真似た。

「テコンドーのトレーニングは充実していたけれど、学業の方はダメだった。小学校、中学校は何とかなったけれど、高校はあまりにも荒んでいて授業どころじゃなかった。ほとんどの生徒がドラッグに関与しているような状況だったんで、勉強にならなくてさ。18歳で中退してしまった」

 その後は運送会社で働きながら、キックボクシングやマーシャルアーツのジムで汗を流した。1993年、パンクラスからオファーを受け、日本での興行に出場する。

「新横浜の道場に3カ月泊まり込んで練習しただけだったから、準備が足りなかった。月に1200ドルの生活費しか貰えなかったよ。若かったからよく理解できていなかったけれど、今振り返れば日本人選手が勝つようにマッチメイクされていたように思う」

 パンクラスは他のプロレス団体と違って〈真剣勝負〉を売りにしているが、団体のルールをろくに知らない他競技の選手を僅か3カ月でリングに上げ、斬られ役をあてがっていたのだ。力道山時代のシャープ兄弟と何ら変わらない演出が垣間見える。

月収は900ドル

 ホワイトはパンクラスでもPRIDEでも、日本人選手の咬ませ犬として扱われた。これまたルールが違うのに極真空手のトーナメントに誘われ、一回戦負けしたこともある。

「プロでは60戦以上して、勝ったのは27回くらいかな」

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 タイトルなど無縁で、負けの方が多い戦績の彼が、唯一誇りに感じてきたのは「セメント」と称される真剣勝負の世界でキャリアを重ねて来たことだ。が、1998年、米国最大のプロレス団体であるWWEのリングに立つ。

「前もって勝敗が決まっているショーの世界さ。でも、一晩で5000ドルになったから、仕事だと思って受けた。生きていくためにね」

 そんなホワイトは現在、ナイトクラブのセキュリティー、マーシャルアーツのジムでコーチ、少年向けテコンドー教室のインストラクター、キックボクシングのプライベートレッスン等をこなして生活している。月収はおよそ900ドル。

――どうやって、それでやりくりしているの?

 驚いて私が訊ねると、彼は苦笑いを浮かべて応じた。

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