「The Tortoise that Came in from the Cold」
1995年頃、タタ・グループ傘下にある化粧品大手ラクメは、英蘭ユニリーバのインド子会社ヒンドゥスタン・ユニリーバ(当時はヒンドゥスタンリーバ)と折半出資で合弁事業を始めた。
2年後、ラクメはこの事業を売却した。タタ・グループは当時、米コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーにラクメの新たな成長機会の可能性を探らせていた。
始まりは衣料品小売り
その回答の1つが小売業への進出だった。当時ラクメの会長だったシモーネ・タタ氏(ノエル氏の母)は、小売業がラクメの次なる成長エンジンになると判断した。2カ月後、ある投資銀行家が魅力的な話を持ちかけてきた。バンガロールで1店舗を経営している英衣料品リトルウッズがインド撤退を考えており、事業売却を希望しているというのだ。
シモーネ氏は98年3月にはリトルウッズを買収する契約を締結。トレントは子会社ラクメ・エクスポーツの社名変更によって生まれた。買収の2カ月後、ノエル氏がタタ・インターナショナル(当時はタタ・エクスポーツ)から移ってきた。
リトルウッズは「ウエストサイド」と改名され、トレントは小売り業務を開始した。「様々な事業の多様化を検討したが、(小売り以外は)ピンとこなかった。将来性ある産業であること、女性向けの消費財ビジネスであること、という私の2つの基準に他の候補は当てはまらなかったが、小売業はこの2つの基準を満たしていた」。シモーネ氏は当時をこう振り返る。
つまり、トレントが小売業に衣料品販売から参入したのは、その時たまたま買収した企業が衣料品販売を手がけていたことが大きい。一方、当時の食料品販売を手がける小売りに、大規模小売店はほとんどなかった。インドのスペンサーズがチェンナイに1店舗、キショー・ビヤーニ氏も規制のために「パンタルーン」の店舗を2つ持っていただけだった。
だがビヤーニ氏は2001年にハイパーマーケット「ビッグバザール」の出店攻勢を開始、今では116店舗を数える。これに対し、トレントがスターバザールの1号店を出店したのは2004年。その後も4店舗を増やしただけだ。
ノエル氏は、「2号店と3号店はそれぞれ18カ月以上開店が遅れた。その結果、モデルの最適化が遅れた」と認める。しかも、この2〜3年の不動産価格上昇で、物件の契約が事実上停止状態にあることも成長の鈍化要因になっているとも明かす。
印大規模小売りの中で、昨年唯一赤字を免れる
だが、それにしてもトレントの成長戦略は慎重、控え目と言わざるを得ない。その証拠に現在までの投資額はわずか48億ルピー(約92億円、設備投資と運転資金を含む)。ビヤーニ氏は店舗に少なくともこの10倍は投資している。
ただ、ノエル氏は規模でこそ劣勢にあるものの、収益性を重視することから、現在の景気減速の中にあっては小売り業界の教祖的存在として見る向きがある。トレントはインドの大規模小売り企業のなかで、昨年度唯一赤字転落しなかったからだ。
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