11月25日、一人のバスケットボールプレイヤーが引退をアナウンスした。
アレン・アイバーソン(34歳)。得点王に4度輝き、オールスターには10回選出された名プレイヤーだった。ポジションはシューティング・ガード。NBAデビューから14年目の今期は、3試合しかプレーしなかった。
公称183センチと伝えられている身長は、おそらくもっと低いだろう。NBA史上、最も背の低い得点王がアイバーソンである。高さというディスアドバンテージを、俊敏さと判断力で補い、2メートル超の巨人たちの間を駆け巡ってリングに向かう姿は芸術的だった。
しかしながら、アイバーソンは“神”と謳われたマイケル・ジョーダンのようなタイプではない。身体の至るところに施された刺青、逮捕歴、そしてチーム・スケジュールを無視して気ままな行動をとる彼は、問題児でもあった。
アイバーソンの母、アンが、後にバスケットボールの伝説となる子供の生命を宿した時、彼女は15歳の高校生だった。暮らしていたのはヴァージニア州ハンプトンのゲットーである。述べるまでもないが、アンは母親となるには幼な過ぎ、生活力も無かった。
暴行、恐喝、ドラッグ、売春などが蔓延る黒人貧民街の水道も引けない部屋で、アンは赤子を抱きしめながら自身と子供の将来を案じた。18歳の時、アンは母親を失うが、病院から請求された母親の治療費である3818ドルがどうしても捻出できず、泣くしかなかった。
貧困に苦しみながらも、アンは息子が9歳となった折、バスケットシューズをプレゼントする。妊娠するまで高校のバスケットボール部に所属していた彼女は、愛息のドリブルする姿が見たかったのだ。が、息子は「俺はフットボールの方が好きだ!」と、バスケットボールに拒否反応を示す。
とはいえ、やがて才能を自覚した少年は、バスケットボールで人生を築き上げた。
「自分がどんな風に育ったかを恥じたことなんて一度も無い。過去からは多くを学んだ。目の前に起こる負の出来事を如何に早く処理するか、己を信じることがどれほど大事なのかを、俺は知っているよ」
NBAの顔となったアイバーソンは、そんな風に語った。
サクラメントにマスコミ嫌いのアイバーソンを訪ねる
1996年から2006年までPhiladelphia 76ersに所属し、大車輪の活躍を見せたアイバーソンだが、翌シーズンから2期在籍したDenver Nuggets、昨シーズン、ユニホームを着たDetroit Pistons では精彩を欠く。今シーズンはMemphis Grizzliesと契約し、復活を賭けてプレーする予定だった。だが、開幕前に左腿を痛め、出遅れてしまう。
アイバーソンが今期初めてコートを踏んだのは、第4節。敵地サクラメントで行われたSacramento Kings戦においてである。
ゲットーから拳一つで這い上がったボクサーたちと13年以上も付き合って来た私は、アレン・アイバーソンにも興味を持っていた。かなりのマスコミ嫌いでインタビューも試合後の囲みしか受けないという噂だったが、会ってみようとカリフォルニア州サクラメントに出向くことにした。
11月2日、Kingsのホーム・スタディアムであるアルコ・アリーナに入った私は、一目散に対戦チームの控え室を目指した。すると係員に、「まだ、メディアの入室を許可する時間じゃないから、24分後においで」と告げられる。
出直し、Grizzliesの控え室に入ると、シャワールームから鼻歌が聞こえて来た。次の瞬間、目の前に黄色いヘアーバンドをしたアイバーソンが現れる。
「ちょっとインタビューに応じて頂けませんか?」
アイバーソンが76ersと契約したニュースが流れました。走り抜けたのではなく、まだ走っているのですね。(2009/12/03)