2008年9月のリーマンショックで深刻化した欧米の金融危機も、その後の欧米当局による金融機関の救済と財政金融の超緩和により、いまや峠を越したかに見えます。欧米向け輸出の急減の影響で2009年前半には景気後退に陥ったアジア新興国も、1997〜98年のような金融危機を経験することなく、内需中心のV字型回復を遂げています。
しかし、アジア諸国はかつての金融危機の経験を忘れていません。1999年に始まったASEAN+3(日中韓)による金融協力は2000年にチェンマイ・イニシアチブの合意をもたらしましたが、その後もさまざまの拡充努力が続けられ、2009年には、チェンマイ・イニシアチブのマルチ化が決定されました。これは1997年に提案されたものの実現しなかった「アジア通貨基金」に似た機能を持っています。
一方、欧州の金融危機はギリシャの財政危機を通じてユーロ制度に影響を与えており、「欧州通貨基金」構想が議論される事態になっています。これは「アジア通貨基金」やマルチ化されたチェンマイ・イニシアチブを連想させるものです。
そこで、今回は、チェンマイ・イニシアチブの経緯と今後を展望し、それによって将来の国際金融制度の行方を占うことにしたいと思います(なお、その際、最近アジア開発銀行=ADB=とアジア開発銀行研究所=ADBI=がコロンビア大学と共催した「今後の国際準備通貨制度」というコンファレンスにおける議論を活用しますが、もとより私見であり、ADBの公式見解ではありません)。
チェンマイ・イニシアチブのこれまでの経緯
1997〜98年に東アジアを襲った金融危機は、「21世紀型」の通貨・金融危機といわれました。それは、従来よく途上国に見られた「放漫財政−通貨増発−インフレ−国際収支危機」というものと異なり、健全財政の下で、民間金融機関が過剰な外貨借り入れを行ったことからバブルが発生し、その崩壊とともに資本が急速に流出して通貨・金融危機に陥ったものだったからです。そして、それは、1997年7月にタイで始まり、瞬く間にインドネシア、韓国と東アジア全域に広がって行ったのです。
こうした危機に対し、国際通貨基金(IMF)は従来と同様な財政金融の引き締めと為替切り下げをこれら諸国に要求しました。しかし、財政は引き締める必要がなく、むしろ不況に対して財政政策を発動すべきでした。また、為替下落による物価上昇に対して金融を極端に引き締めさせたことから、企業や金融機関の倒産が続出し、通貨・金融危機は全面的な経済危機に進行していったのです。
当時、日本は、財政金融の過度な引き締めより、危機に陥った金融機関の救済と十分なIMF支援の必要性を主張しました。しかし、欧米諸国とIMFは旧来型の対応に固執していました。そこで、日本は、タイにIMFが40億ドルの金融支援しか供与しないなかで、IMFと同額の40億ドルを支援するとともにアジア諸国に呼びかけて総額105億ドルの2国間支援パッケージを主導しました。それでもタイの危機は収まらず、インドネシアなどに波及していきました。
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アジア開発銀行(ADB)総裁。1944年生まれ。67年東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。71年オックスフォード大学経済学修士。96年財政金融研究所長、97年国際金融局長、98年国際局長。99年7月から3年半にわたって財務官を務める。2003年3月内閣官房参与、同年7月から一橋大学大学院経済学研究科教授を兼務。2005年2月から現職。著書に『

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