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人はどんな底辺からでも、立ち上がる

「弱者」の教え子が、教えてくれた希望

  • 林 壮一

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2010年5月6日(木)

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 高校教師時代の教え子から届いたEメールを読みながら、涙が零れた。

 彼――ブランドン・ジョージは書いた。

「センセイ、僕、大学に行くことにしました。高校を卒業してから、今まで働いてお金を貯めてきたけれど、やっと見通しがついたんです。頑張って学んで、映画監督を目指します!」

底辺校の教え子、大学へ

 複雑な家庭に育ちながら、いつも幼い弟と妹の面倒をみていたブランドン。彼には、芯の強さを感じた。私が心配しなくても、自分の足できちんと歩んで行けるタイプだと思っていたが、こういう便りは心が温かくなる。

 2008年6月に高校を卒業後、ブランドンがどんな思いで暮らしていたかを知っているだけに、涙が止まらなくなってしまった。おそらく教師の喜びとは、こんなところにあるのだろう。

「やったな! 流石だな! お前を誇りに思う。近々会おう。夕食でもご馳走しようじゃないか。どこにでも行きたいところに連れて行くぜ!!」

教え子たちの話は連載第1回「底辺高校の卒業生が見た「オバマ」への希望」をお読みください。
 また林氏は米国で「先生」として彼らと接した経験を『アメリカ下層教育現場』で綴っています(編集部)

 ブランドンの高校時代からの親友であり、これまた私の教え子であるティオも誘って、私達は中華レストランで待ち合わせた。

「センセイ、リノを離れちゃうの?」

 顔を合わせるや否や、ティオが訊ねてきた。

「色々考えたけれど、そうすることにしたよ」
「アメリカ生活は、合計で何年?」
「13年半」
「大変だった?」
「いや、楽しいことばかりだったね。オレにとっては、日本よりずっと暮らし易いもの。合っていたんじゃないかな」

ブランドン・ジョージ

 物書きとしての活動のしやすさはもちろんだが、私にとって意外だったのは教壇に惹かれたことだ。中学、高校、大学と、〈教師〉という職業ほど下らないものはないと感じていた。尊敬できる人にも出会えなかった。だから私は、「教師=敵」という姿勢を続けながら成長した。

 浪人時代を過ごした予備校ではプロの教育者に巡り合え、心からその出会いに感謝したが、大学に入るとまた元の気持ちに戻ってしまった。いずれにしても私が教師という仕事に関心を持ったことは無かった。

 ところが、自分が教育者になって若者と接してみると、その魅力を全身で感じたのだ。2人のように今でも連絡をくれる教え子は私の財産である。

 再びティオが訊ねた。

「日本はあんまり好きじゃないの?」
「というか、オレには生き難いんだ。他人の足を引っ張り合うような国民性が嫌だし、大学卒業後に勤めた会社では潰されたしね」
「テレビ業界にいたんだよね」
「うん。気が付かないうちに奴隷にされていた。その点、アメリカではやりたいことが思うように出来たし、努力していれば様々な人が手を差し伸べてくれた。なかなかお金には結び付かなかったけど、数え切れない程の素晴らしい絆を築けた。お前らを含めてね」
「充実していたんだね?」
「ああ。悔いは無い。可能なら、ずっと住みたかったけれどね」

息子は「アメリカを離れたくない!」

 今度はブランドンが口を開いた。

「息子さんはアメリカ育ちだから、センセイよりも苦しいんじゃない?」

 痛いところを突かれた。

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