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日本は無視されてしまう

危機感、問題意識の低下が心配、「本気の交流」まだ間に合う

2010年5月18日(火)

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 迷走を続ける米軍普天間基地の移設問題もあり、日米関係にすきま風が吹いている。
 軍事面はもちろん、経済面でも強く結びついてきた両国関係は、今後どうあるべきか。日米関係に詳しい識者、財界人に聞いた。

 第2回目は、日本国際交流センターの山本正理事長。

 ―― 日米各界のリーダーを集めて1967年から開かれていた下田会議、さらに翌68年からの日米議員交流など、様々なネットワーク作りに関わってきました。

山本正(やまもと・ただし)氏
1936年3月生まれ、74歳。上智大学を経て、米国セント・ノーバート大学卒業、マーケット大学院より経営学修士号取得。62年に信越化学工業入社、小坂徳三郎社長(後の衆院議員)の対外関係秘書を経て、70年日本国際交流センターを設立。下田会議、日米議員交流、三極委員会など多数の対外交流を支援してきた

 山本 下田会議には7人の上下両院議員が米国から来ました。それも後に米政界で有力者になる人たちです。例えば駐日大使を務めたマイク・マンスフィールド上院院内総務、国防長官になったドナルド・ラムズフェルド下院議員(後に国防長官)ら、大物政治家や若手が参加しました。そして、マンスフィールドさんが「議員交流を始めるべきだ」と言って68年から議員交流を始める。そこでまたラムズフェルドさんが来るわけです。

 交流を通じて何回か顔を合わせていると親しくなるし、共通の価値観についての理解が深くなるものです。トーマス・フォーリーさん(元駐日大使)は10回以上も議員交流にやって来ました。ラムズフェルドさんも非常に交流を大事にしてくれた1人です。私が日本の政治家と一緒にワシントンに行くと、必ず国防長官の部屋で会ってくれました。

 こうしたつながりができたのは私としても非常に大きなやりがいになりました。

ドンパチできない日本、対外交流は生命線

 ―― 最近はどうなのでしょうか。

 正直言って、予算の面でも関心の面でも厳しくなっています。

 最初のうちは主に経団連経由で大手企業がお金を出してくれました。私もずうずうしい若者でしたので、まとまったお金集めをやっていただいたこともあります。「あなたはそうおっしゃるけど、企業がこれだけのお金を稼ぐために、どれだけ努力しているか、お分かりですか」と、いろいろな方から言われたものですが。

 それが今、大きく変わっています。我々は日米欧の各界代表が集まる三極委員会の事務局をやってきており、かつて日本では49社が100万円ずつ支援してくれていました。それが今は20社以下。何年前からかというのははっきり言いにくいですが、10年ぐらい前にはかなり少なくなっていたでしょうか。

 自分の企業のため、業界のためというのではなく、パブリックのためというか、格好良く言うと国のため、日本の国際社会に対する貢献のためといった観点での資金集めが難しくなった。やはり企業にとってその余裕がなくなってきたんでしょうね。

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「日本は無視されてしまう」の著者

細田 孝宏

細田 孝宏(ほそだ・たかひろ)

日経ビジネス 副編集長

1995年早稲田大学卒業。日経BPに入社し、日経ビジネス編集に配属される。日経アーキテクチュア編集、日経ビジネス・ニューヨーク支局長などを経て現職

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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