ジャーナリストも受難の時代を迎えている。
デジタル化が進むにつれ、アナログ時代ほどの利益を上げることのできなくなった既存のジャーナリズム組織が人員削減を余儀なくされているためだ。
例えば、米国ニュース編集者協会によると、新聞社の編集局の職は2000年には5万6400あったが、2009年には4万1500に減少している。4人に1人が職を失った計算になる。日本でも同様の人員削減は増えてきており、今後さらに加速していくであろう。
では、職を失ったジャーナリストはどうしたらよいだろうか?
今回は、新聞社をクビになるも、独自の境地を切り拓いて成功を収めているミシェル・リーダーを取り上げる。グランドセントラル・ターミナル発の電車に1時間ほど乗り、彼女の自宅兼オフィスのあるピークスキルの街を訪ねた。
メールで新聞社解雇を通達され、フリーランスを志す
リーダーは名門ブランダイス大学の卒業で、専攻は経済学。調べては質問をするのが好きだったので、卒業後は新聞記者になり、フロリダ、コネチカット、ニューヨークの新聞社で10年にわたって働いた。

転機が訪れたのは1998年のこと。休暇を夫とニュージーランドで過ごしていたところに、メールで解雇を通告された。リーダーは、自分はメールでクビを伝えられた初のジャーナリストだったかもしれないと笑う。当時はまだ新聞社の経営が苦しくなる前であり、解雇の理由はと私が聞くと、生意気だったのを編集長が気にいらなかったからだろう、ということである。
リーダーは気が動転したが、夫から自分がもっと一生懸命働くからと励まされたこともあって、フリーランスのジャーナリストに転じた。
その後、リーダーは詳しく調べることなく堅実な投資だろうと考え、通信会社のクエスト・コミュニケーションズ・インターナショナルの株を購入した。購入時の同社の株は1株39ドルで、4000ドルほどをつぎこんだ。クエスト株は2000年には1株60ドルを上回ったが、欲を出したリーダーは売らずにさらに株価が上がるのを待った。ところがその後、同社の株は1株1ドル近くまで暴落し、ほんの一時10ドルまで回復したことはあったものの、今日に至るまでずっと一桁の株価が続いている。
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