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「緑豆詐欺」で足が付いたニセ名医

12年で3人目、「名医」の化けの皮が剥がされた

2010年11月26日(金)

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 中国で名医の名前を挙げてみろと言われると、誰もが最初に思い浮かべるのは“華佗(かだ)”である。“華佗”が活躍したのは2~3世紀の後漢末であり、陳寿が編纂した歴史書「三国志」の「魏書」には華佗の事績を記した「華佗伝」が含まれ、華佗の施した医術の奇跡が列記されている。華佗はその卓越した医術により民衆から「神医」と呼ばれ、その噂を聞いた魏の曹操によって召抱えられて御典医となったが、後に曹操に逆らったとし獄死させられた。ところが、曹操は子供の“曹沖”が華佗の治療を受けられずに病死したため、華佗を殺したことを深く悔んだと言われている。

わずか3カ月間に約30人に患者が死亡

 さて、現代の中国にも名医と呼ばれた人物がいた。その代表は、“胡万林”、“林光常”、そして“張悟本”の3人であり、「いた」と過去形なのは、既に「名医」の化けの皮を剥がれた「ニセ名医」であったからある。彼らに共通するのは正統な医学を学んだわけではないのに、健康志向の庶民によって「名医」に祭り上げられ、頂点を極めた末に馬脚を露(あらわ)して没落するという御定まりのパターンである。

 “胡万林”は1949年に四川省綿陽県(現:綿陽市)で生まれた。1974年に反革命罪で懲役15年に処せられて服役したが、1980年に出所。1982年に故意殺人罪で無期懲役となり、新疆ウイグル自治区の刑務所に送られて服役。この服役中の1994年に新疆生産建設兵団で違法な“中医(中国医学)”の診療所を開き、1996年までに治療中の患者13人を死亡させたことで、診療中止の命令を受けた。1997年に釈放された後、陝西省長安県で病院を開いたが、ここでも治療中の患者20人以上を死亡させて病院の閉鎖を命じられた。

 1998年の初めに著名な作家の“柯雲路”が『“発現黄帝内経(「黄帝内経」を解く)”』を出版し、その著書の中で胡万林をいかなる病気も治す「現代の華佗」であると描写したため、胡万林は「神医」であると見なされるようになった。胡万林は河南省商邱市政府の求めに応じて、1998年6月に商邱市へ移り住んで“衛達医院”を開いたが、それからわずか3カ月間に約30人に患者が死亡した。10月1日にも患者が胡万林の処方した薬を飲んで死亡したが、死者の家族が死因は処方薬にあるとして胡万林の責任を追及したため、胡万林は姿をくらまして逃走した。

 胡万林は12月8日に上海で捕縛され、翌1999年1月に違法医療行為の容疑で正式に逮捕されたのだった。2000年9月30日、“商邱市中級人民法院”は無資格の違法な医療行為により多数の人々を死亡させたとして、胡万林を懲役15年、政治的権利剥奪5年、罰金15万元(当時のレートで約195万円)に処したのであった。

 作家の“柯雲路”は『発現黄帝内経』の中で、神医の胡万林は、新疆における4年間の医療活動で、120万人の難病患者が治癒したとし、そこにはガン患者6400人以上(その大部分は末期ガン)、聾唖(ろうあ)などの先天性疾患5420人以上、心臓疾患7000人以上などが含まれていると述べたのであった。冷静に考えれば、胡万林が名医であったとしても、たった1人でわずか4年間に120万人もの難病患者を治癒させることができるはずがないことは分かるはずである。しかし、高い医療技術を持つ医師は診療費が高いだけでなく、庶民がまともな医師の診断を受けることが困難であったことなどによる「名医」を待望する世論が、胡万林というインチキ医者を「神医」に祭り上げてしまったのであった。

ベストセラー『毒がなければ身体が軽い』

 1963年に台湾の高雄市で生まれた“林光常”は、「米国ハワイ州のホノルル大学、米国ノースウエスト大学、米国ノートルダム大学、遼寧省中医学院、湖北省中医学院、上海交通大学などで医学を学び、米国グローバル大学東方医学研究所で博士号を取得」という触込みで、ガンの自然治療を標榜して台湾のみならず中国本土やシンガポールなどの中国人社会に徐々に浸透していった。

林光常の著作「無毒一身軽」Part2

 林光常はガンに対する生命の自然治癒力に注目して、幾多の画期的な研究を行い、素晴らし臨床成果を挙げたとして世界中の中国人社会で頻繁に公演会を開催し、多くのガン患者たちに希望の光をもたらした。2002年10月に出版した『“無毒一身軽(毒がなければ身体が軽い)”』という著作は、台湾で連続80週間にわたってベストセラーに名を連ねたし、米国、シンガポール、マレーシア、香港でも長らくベストセラーとなったほどであった。

 林光常は2000年から3年間にわたって台湾の文化学院で客員教授を務めた後、2003年には百盛ガン予防研究センターの副執行長、台湾ガン基金会の顧問となり、2005年6月には台北の“康寧医院”の副院長となった。2005年12月には「米国自然療法医師協会」から同協会の大中華分会台湾区名誉会長に任命された。こうした活躍は台湾メディアを始めとして、米国、香港、シンガポールなど中国人社会でも広く紹介されたのだった。

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「「緑豆詐欺」で足が付いたニセ名医」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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