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劉暁波のノーベル平和賞をめぐるネット上の攻防(前編)

2010年12月21日(火)

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 12月10日、ノルウェーの首都オスロでノーベル平和賞の授賞式が開かれた。今年の受賞者である中国の民主活動家で服役中の劉暁波の席は空席のままだった。彼が座るはずだった椅子の上に置かれた賞状とメダルの映像が世界各国のテレビに映し出されていたとき、中国の中央テレビ局(CCTV)は一切この話題に触れなかった。完璧に無視したのである。

 受賞者の家族さえ出席を許されないため受取人が居なかった授賞式は、1935年以来、75年ぶりであるという。このときは、ナチス時代の平和運動家オシエツキーが同じく獄中に居た。この事実こそが逆に、中国の「言論の自由」に関する現状を象徴しているとも言えよう。

ノーベル平和賞授賞の発表後、ネット上で始まった激しい劉暁波批判

 2008年12月9日に、劉暁波が中心となって起草した「08憲章」がインターネットに出現してからというもの、中国のネット空間では奇妙な攻防が起きている。

 「08憲章」とは一党独裁を糾弾し、人民解放軍の国軍化(現行は、人民解放軍は中国政府の軍隊ではなく中国共産党の軍隊)と言論の自由をはじめとした基本的人権を認めるよう中国政府に要求した民主化のための憲章だ。

 すぐに削除されると思われた「08憲章」はしばらく削除されずに泳がされていたが、禁句と決定した瞬間から徹底した検閲が実行されて劉暁波の名前も消えた。だが、2010年10月8日にノーベル平和賞が発表されると、今度は別の現象が現れ始めた。

 「08憲章」という言葉は相変わらず削除が徹底されているが、「劉暁波」に関しては最初のうちは削除されていたものの、途中から逆に増え始めた。しかも激しい悪口が書き連ねられるようになったのである。

 以前日経ビジネスオンラインで連載した記事「ネットは“中国式民主主義”を生むか」で解説したように、中国大陸においてインターネットからアクセスする海外情報は、「防火長城(Great Fire Wall)」によってフィルタリングされている。しかし網民(ネット市民)たちは、その「壁」を乗り越えて海外情報にアクセスし、「劉暁波」という名前と「ノーベル平和賞受賞」という事実を少しずつ知るようになった。

 網民の60%は10代や20代の若者によって占められている。前回も触れたように、若者たちの多くは「08憲章」という言葉さえ知らず無関心だったのだが、さすがに「ノーベル賞」という言葉が中国大陸在住者と結びついていることに驚き、少なからぬ関心を持ち始めた。それがなぜ中国国内では報道されないのかに関して疑念を挟む余地を与えないようにするためには、中国政府は劉暁波がいかに極悪非道であるかという情報をまず植え付けなければならない。

 そのため「08憲章」という言葉と情報は遮断されたまま、突然激しい劉暁波批判が始まったと考えていいだろう。批判の中には虚実織り交ぜて報道されているものもあり、必ずしもまったくの虚偽ではないことが若い網民を誘導するに十分な力を持っていたということも言える。

「劉暁波は獄中に居ながら、アメリカから高給をもらっている」

 例えば10月15日付のウェブサイト「中国新聞網」は、劉暁波が獄中にありながらアメリカから高給をもらっていると批判した。そこには“貴族犯人”劉暁波が年収2.3万米ドルをもらっている証拠として、全米民主主義基金(National Endowment for Democracy, NED)が雑誌『民主中国』に資金援助している金額が載っている。

 全米民主主義基金とは、他国の民主化を支援することを目的として、1983年にレーガン元大統領のときに設立された基金である。民間の非営利組織とされているが、実際にはアメリカ議会が出資しているため、基金の年次報告書に掲載される会計報告を閲覧することができるようになっている。

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「中国の対日外交を読み解く:カギは「網民」の民意」のバックナンバー

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「劉暁波のノーベル平和賞をめぐるネット上の攻防(前編)」の著者

遠藤 誉

遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

筑波大学名誉教授

1941年、中国長春市生まれ、1953年帰国。理学博士。中国で国務院西部開発弁工室人材開発法規組人材開発顧問、日本では内閣府総合科学技術会議専門委員などを歴任。2児の母、孫2人。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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