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私の“成田難民”体験記

改めて実感したツイッターの情報発信力

2011年3月22日(火)

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 3月11日午後2時46分。今回の大震災が発生した時、私は成田空港にいた。1週間の日本出張からシリコンバレーに戻るためである。震災の影響ですべてのフライトがキャンセルとなり、私は空港内で夜を明かす「成田難民」の1人となった。

 夕方午後5時発のサンフランシスコ行き全日本空輸便に乗るため、リムジンバスで空港に到着したのは午後2時過ぎ。ホテルをチェックアウトした後、都内でウロウロするよりは、早めに空港に着いて荷物を預け、のんびりした方がいいと考えて、早めにバスに乗った。そうしていなければ、バスに乗っている途中で地震に襲われていただろう。

 第一ターミナルでチェックインを終えて、銀行でお金を両替していた時に最初の大きな揺れが襲ってきた。立っていられず、カウンターにつかまり、しゃがんで揺れが収まるのを待った。

 揺れが止まった後、人々が走って避難していく様子が見える。銀行員さんたちは、「空港は地震には強いので、こんなに揺れることってないんですよ」と心配そうな表情。すぐに窓口のシャッターが閉められ、私は通用口から外に出た。

最初の揺れでは一大事とは思わなかったが…

 その時点では、まだ一大事であるという認識はなかった。1つには、日本のシステムは地震に強いという信仰があったからだ。シリコンバレーの自宅で子供たちの面倒を見ている夫には、「大地震! 飛行機遅れるかも」とだけ、日本の携帯電話(ガラケー)を使ってメールを入れる。

 こういう時に電話は通じなくなるのは分かっていた。とりあえずメールは「送信完了」の表示が出たので、胸をなで下ろす。銀行の向かいにあったお土産屋さんは、商品が床に散乱して片づけているところだった。「ちょっと申し訳ないな」と思いつつ、お土産として子供に「忍者」柄のTシャツ、夫に辛子明太子を買い求めると、親切にも対応してくださった。

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 手荷物が増えたので、さっさとゲートを通ってラウンジでゆっくりしようと思い、出国手続きの列に並ぶ。余震が続いてセキュリティー・チェックは止まっており、列は徐々に長くなっていく。そこで、第2の大きな揺れが来た。

 また、その場でしゃがんでじっとする。出国手続きのゲートに向かう入り口の上にある、出発便を案内する巨大な電光掲示板が大きく揺れている。「これは尋常ではない」とさすがに思った。館内アナウンスのPAシステムは止まっていたのだろう、何も聞こえなかったが、人の波が外に向かって動き始めたので、私もそれに従うことにした。空港の設備で壊れているところは見あたらず、恐怖は全く感じなかった。

意外と冷静だった“成田難民”たち

 既に空港の周囲の道路は閉鎖されたのか、パトカー以外に走っている車は見当たらない。ターミナルビルのすぐ前にある駐車場への避難を促す声がどこからともなく聞こえてきた。人の波は出発ロビーのある4階から半円を描く下り坂を降りていく。車の走る音もPAからの音声もなく、ざわざわという人の歩く音は晴れた青空に向かって吸い込まれていき、異様な静けさだった。

 神奈川県内の実家に携帯から電話をかけてみるが、当然通じない。同じく神奈川に住んでいる妹に、無事であることを伝えるメールを送信するが、それがいつ届くかも分からない。

画像のクリックで拡大表示

 駐車場で日の当たる場所に座り、小説を読みながら待つ。再び携帯をダイヤルしてみると実家に通じた。みな無事と分かって安堵する。午後5時近くなって、外はだんだん寒くなってきた。私は厚めのダウンジャケットをはおる。制服姿の人たちは、寒さで震えていた。

 そこでまた人の波が動き出し、南ウイングの入り口近くに移り始めたので、私もついていく。いったん波が止まった後、南ウイング1階の入り口が開き、人の波がそこに吸い込まれ始めた。とりあえず、中に入れそうだ。

 1階しか入れないため、大混雑状態。途中に見かけたテレビには、東北地方の沿岸部に津波が流れ込んでいる状況が映されていたが、頭がぼーっとして映像からの情報を処理できず、頭に入ってこない。エスカレーター近くの壁際に場所を見つけて座り込んだ。この時に頭にあったのは、「体力を温存せねば」の一点だった。

 そのまま2時間ほども待っただろうか。外がすっかり暗くなったころ、館内アナウンスが復活し、1階だけ安全が確認できているが、ほかの階はまだ入れないこと、その日のフライトはすべてキャンセルされたこと、空港に出入りする道路も鉄道もすべて止まっていること、などを知らされた。

 「うぉー」というざわめきでも起きるかと思いきや、これまた誰も何も言わない。英語でもアナウンスされて、外国人旅行者が不安に思っているかとも思ったが、意外にみな普通の表情をしている。周りの日本人が平気な顔をしているのが伝染したのかもしれない。いや、もしかしたら、私と同じでぼーっとしていただけかもしれないが、とにかく誰も泣きわめいたり、怒ったりしていない。その静寂がありがたかった。

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「私の“成田難民”体験記」の著者

海部 美知

海部 美知(かいふ・みち)

エノテック・コンサルティングCEO

ホンダ、NTT、米ベンチャー企業を経て、1998年にエノテック・コンサルティングを設立。米国と日本の通信・IT(情報技術)・新技術に関する調査・戦略提案・提携斡旋などを手がける。シリコンバレー在住。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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