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公務員の「上から目線」、日本を反面教師に

【第1回】宮崎勇・元経済企画庁長官

  • 川村 雄介

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2011年5月17日(火)

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 日本と中国とがお互いに長く深く関係し合ってきたことについては、今さら多言を要しない。長年月にわたって日本人の生活様式や政治、経済、文化に中国の影響は色濃く出ている。

 第2次世界大戦後、日中間の経済交流が大きく花開くようになったきっかけが、中国における改革開放運動だ。1978年以降進められたこの運動では「社会主義市場経済」が経済活動の基本理念に据えられるようになり、今や中国はGDPで世界第2位の経済大国となった。

 反面、昨今の日本経済には少なからぬ閉塞感が漂っていた。そこへ東日本大震災の発生である。日本は否応なく出直し的な再出発と経済復興を求められている。だが、別の見方をすると、今般の災害を転じて福と成すための機会を得ているような気もする。その際には、アジアとの大切な関係をいかに実り豊かにしていくか、との視点が不可欠になる。

 そんな時期も時期、中国最大級で世界的な政府系シンクタンクである中国社会科学院が新しい企画をスタートさせた。

 中国と縁浅からぬ日本の識者をゲストに迎えて、インタビュアー2人との鼎談形式で、日本と中国の昨日と今日、そして明日を縦横に語っていただこう、というものである。たまさか、日経ビジネスオンラインの場をお借りしてその模様をお伝えすることができることになった。

高度成長過程で日本が悩んでいた問題

 毎月1回のペースで、ゲストの豊かな経験を踏まえた自在な「語り」をご紹介していきたい。インタビュアーは長崎大学経済学部准教授の薛軍氏と私である。薛軍氏は、中国南開大学、一橋大学大学院を卒業後、日本企業勤務などを経て中国社会科学院研究員に、2007年からは日本で教鞭を執っている。

 第1回目は、宮﨑勇氏にご登場いただく。宮﨑氏は、経済企画庁でエコノミスト、政策立案者として活躍され、経済企画庁事務次官に就任。1982年に初代の大和証券経済研究所(現大和総研)理事長に就かれた後、経済企画庁長官に就任された。

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 中国は高度成長を続ける中、成長の副作用、例えば物価問題や格差問題、環境問題など、解決すべき課題も多く抱えるようになってきた。これらの一部は高度成長過程で日本が悩んでいた問題と重ね見ることができるだろう。

 宮﨑氏は、日本の戦後復興、高度成長の経済政策策定の第一線に立たれ、また80年代以降の経済構造転換にも深く関わってこられた。

高度成長時代の経験を震災復興に生かせ

 宮﨑氏と中国との縁は、1980年代の最初の頃から深まっていったという。当時、谷牧副首相と中国国務院発展研究中心の馬洪氏から、日中間で経済的な話し合いをしようと持ちかけられて交流が始まり、当時の外務大臣だった大来佐武郎氏が日本側の窓口になった。これに宮﨑さんが関与したのである。宮﨑氏と中国との交流は主に2つのルートで深まっていった。

宮﨑勇・元経済企画庁長官

 「1つは、経済企画庁在籍時の時代、政府の交流の一環の中です。その頃、政府の各省で一緒に中国を訪問しようじゃないかということになって、私が団長になって各省の調査や情報担当の人たちと北京に行きました。その時、馬洪さんや谷牧さんらとお会いしたのです。もう1つはその数カ月後、役所を辞めて大和総研に移った頃、正式に谷牧さんと大来さんとの話し合いで『日中経済知識交流会』が発足しました」

 交流会は、天安門事件があった年も開催してこれまで一度も途切れたことはない。

 中国は現在相変わらず目覚しい高度成長を続けているが、日本もかつては高度成長を誇っていた。

 「現在、大地震からの『復興』が議論になっています。実は、私が役所に入って最初の仕事が日本の戦後復興計画を作ることでした。経済企画庁(当時は経済安定本部)で報告書を作り、吉田茂首相に提出しました。当初吉田さんは乗り気だったのですが、次第にそんな計画を作っても日本の自由になるものではない、と米国へ配慮が出てきたのか、残念ながら正式に日の目を見ることはありませんでした」

コメント3件コメント/レビュー

日本は、中国の発展を考える事で自分の国の発展と解決すべき問題が見えてくる。なにより最後の項目、公務員の頭の切り換えの部分、大いに同感です。公務員は国民に奉仕することが目的なんだということを伝えてくださるだけでも、たくさんの人に読んでほしい記事だと思いました。(2011/05/17)

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

日本は、中国の発展を考える事で自分の国の発展と解決すべき問題が見えてくる。なにより最後の項目、公務員の頭の切り換えの部分、大いに同感です。公務員は国民に奉仕することが目的なんだということを伝えてくださるだけでも、たくさんの人に読んでほしい記事だと思いました。(2011/05/17)

まず私は中国が分裂無しに発展する事などあり得ないと思っているので、この薛氏の楽観論には全く賛同できませんが、GDP比較の点について述べさせて下さい。最初はこの数字を見て嘘だろと思いました。普通に今の中国の平均生活水準とと当時の日本人の平均生活水準を見ればそう思うのは当然でしょう。しかし冷静に数字だけを追えば、当時は大卒の初任給が10万円、レートが240円でしたので、年間平均所得が84万円とすると確かに3500ドルだったのでしょう。70年代後半と言えば新宿から物乞いが消えて久しく、企業は終身雇用を行い、国鉄のストだの労働者の闘争はもう終わりを告げていました。ドル建て所得は10倍になったものの、当時の日本人のリッチさと、現在のリッチさにほとんど違いは感じられません。せいぜい週休2日になって趣味に費やす時間が増えたぐらいでしょう。一方中国では田舎の親が娘を都会のカラオケ店で売春させ仕送りをもらい、工場の雇用窓口では10代の女工が職を求めて行列、ちょっとしたミスですぐに解雇される。地方ではフランス革命時のように食べ物を求めて暴動が頻発。そして医療を受けられない貧しい人々が何億といる。30年前のドルと今のドルを比べて「同程度」とするのは「感覚として絶対におかしい」と思います。購買力から見ても1978年当時の3500ドルでは金175オンス買えたのに対し、今の3500ドルでは3オンスしか買えません。これだけでも中国人の発展と進化を他国が辿ったモデルに当てはめて時系列的に比較するのは大間違いだという事です。大体中国はそんな比較をするには大き過ぎます。まともな論文を書くのなら、富める地域と貧乏な地域が、今後どのように分裂し、中共の持っている軍隊や海外資産をどう分割し、それぞれが違う法制度やシステムを持つ緩やかな連邦国家群として発展するのかぐらい書いて欲しいですね。(2011/05/17)

一つだけ気になったのでコメントしました。日本で一般に云われるシンクタンクと中国の「院」は大きく違います。薛氏は研究員でしたから一職員でしたが、実際の運営構成員である院士となると、模範労働者、労働英雄でありつつ共産党老党員でその身分は終身任官です。中国はテクノクラート独裁の国ですから、社会科学院の院士は研究者・科学者でありながら政策計画者、予算執行者。つまり行政官としての顔も持つ学者が兼務する政治家です。この様な位置付けの国家機関が「指導する」事と、日本の行政に対してシンクタンクが進言する事の違いを前提に読み解かないと、会談内容を大きく誤解してしまうと思います。(上海から)(2011/05/17)

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