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自ら包丁で「腹部切開手術」の結末

「失敗して命を落としても、家族の負担を減らせる」

2011年6月10日(金)

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 2011年5月8日は「母の日」であった。その夜遅く、重慶市九龍坡区石坪橋にある“五一新村”の集合住宅27号棟の31号室に住む“曹雲輝”は、妻の“呉遠碧”から言われて、同じ27号棟にある息子の“曹長城”の家でくつろいでいた。

 日付が9日に変わった午前零時過ぎに、曹雲輝は同じ集合住宅の1階に住む妻の弟が「急いで自分の部屋へ戻れ」と切羽詰まった声で叫ぶのを聞いて、慌てて自室に駆け戻った。曹雲輝が自室のドアを開けて部屋に入ると、目の前に妻が気を失ってベッドに横たわっていた。呉遠碧の腹部は大きく切り裂かれ、流れ出た血潮で真っ赤に染まった切り口からは腸もはみ出していた。ベッドから床まで辺り一面は黄色い体液にまみれていた。驚き慌てた曹雲輝は、妻の傷口をふさぐと、急いで公安警察へ電話をかけて緊急事態の発生を通報した。

 それから数分後、重慶市公安局の警官や付近の石坪橋派出所の巡査が現場に駆け付けたが、現場の状況を確認すると速やかに救急の“120”へ電話をかけて救急車の派遣を要請した。呉遠碧は救急車で近所の病院に運ばれて医師の診断を受けたが、腹部には3カ所の刃物傷があり、最も長いものは10センチメートルに達していた。医師は緊急で腹部の縫合手術を行ったが、その縫合は合計37針にも及んだ。この縫合手術によって呉遠碧の命は救われたが、夫の曹雲輝が後に語ったところによれば、呉遠碧の腹部から流れ出た黄色い体液は、3枚重ねの厚い敷布団をしみ通って床にしたたり、床一面を覆うほど大量なものであった。

「この包丁を引き下ろしさえすれば良い」

 呉遠碧にいったい何が起こったのか。1958年生まれで53歳の呉遠碧は、「母の日」の夜に、死を覚悟して、自分で自分の体液で膨れ上がった腹に“菜刀(包丁)”で切開手術を施したのだった。事件当夜、夫の曹雲輝に息子の家へ遊びに行くように促した呉遠碧は、夫が家を出て1人になると、包丁を持ってベッドに上がった。かつて医者に腹中の体液を抜き取る手術をしてもらった時も、医者は腹部を切り裂いた。今は手術しようにもお金がないのだから、医者の代わりに自分で開腹手術をするしかない。包丁を自分の腹部にあてがった呉遠碧は、「この包丁を引き下ろしさえすれば良い、そうしたらもう家族の足手まといになることもなくなるし、もし死ぬようなら、二度と家族に迷惑をかけなくて済む」と念じた。

 包丁は曹雲輝が少し前に自由市場で15元(約190円)支払って購入した重さ250グラムのものであったが、常に磨いていたので刃先は鋭かった。その包丁に力を入れようとするができない。「健康であれば、カネがあれば、こんなに苦しむことはなかったのに、悔しい」ひとしきり声を上げて泣いて覚悟を決めた呉遠碧は、運命を懸けて包丁を引き下ろした。鋭利な包丁の刃で切り裂かれた腹の傷口からは、血液とともに大量の黄色い体液が流れ出し、その勢いに誘われるように腸も出てきた。ベッドに横たわった呉遠碧は、助けを呼ぶこともなく、歯を食いしばって痛みに耐え、そのうちに意識を失った。

 曹雲輝と呉遠碧の実家はともに重慶市の中心部から60キロメートルほど南に位置する“綦江県(きごうけん)”の龍勝鎮。1986年に軍隊から退役した曹雲輝は綦江県の軍事企業に配属されたが、1989年に妻の呉遠碧と2人の子供(当時6歳の長女・曹紅梅と3歳の長男・曹長城)を連れ、新生活を求めて重慶市街へ移り住んだ。重慶市街は大都会であり、カネを稼ぐ機会も多く、努力さえすれば生活に事欠くことはないと信じていた。当初の数年間は親戚の家に間借りして生活したが、一家4人には狭すぎたので、曹雲輝が飲料工場で運搬作業員として働くようになったのを機に、現在住まいとしている“五一新村”の集合住宅27号棟の借家に引っ越した。

何軒もの病院を回って診察を受けたが

 27号棟の部屋は16平方メートルで大きくはないが、以前に比べればゆったりとしていたし、誰にも気兼ねせず自由だった。曹雲輝は運搬作業員として働くかたわら、“棒棒(天秤棒を担いで荷物を運ぶ労働者)”<注1>としても働いた。“棒棒”は辛い仕事だったが、当時の収入は毎日50~60元を下らず、月収は2000元近かった。曹雲輝はようやく幸せな生活のめどが立ってきたと考えて仕事に励み、呉遠碧は集合住宅の近くで果物を売りながら、子供を育てた。

<注1>重慶市街は別名“山城”と呼ばれるほど急峻な地形で坂道が多い。このため、自動車で物を運べない場所も多く、料金を取って天秤棒で荷物を運ぶ“棒棒”という職業が存在する。“棒棒”の多くは農村からの出稼ぎ農民、すなわち“農民工”である。

 彼らが住む“五一新村”は大型“国営企業”が1950年代に建造した家族用住宅で、その多くが老朽化していたが、とりわけ彼らが住む27号棟は老朽化が進みぼろぼろだった。27号棟には全部で40戸ほどの住宅があったが、資金のある人は新たな住宅を購入して引っ越して行き、後に残ったのは農村から重慶市街にやってきた出稼ぎ農民がほとんどだった。そんな訳で居住条件は悪かったものの、曹雲輝一家は安逸で平穏な日々を送っていた。

 ところが、“好事多魔(好事魔多し)”の例え通り、曹一家に不幸が襲いかかる。ある日突然に、呉遠碧が奇妙な病気を発症したのである。

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「自ら包丁で「腹部切開手術」の結末」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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