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「商家始祖」・・・市場をみる千里眼

その5.江蘇省無錫市

  • 舩橋 晴雄

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2011年9月6日(火)

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■美人計

 象湯や雨に西施がねぶの花  芭蕉

 この句にあるように、あるいはむしろこの句の強い影響を受けて、われわれの西施のイメージは、儚なげで嫋嫋たるものである。

 実在の西施は、本当にそんな女性だったのだろうか。もとより越国が国運を賭けて探し出してきた美女である。眉目秀麗、容姿端麗。西施の美しさは、「閉月羞花」(その美しさに月も隠れ花も恥じらう)とか「沈魚落雁」(魚は沈み雁は落ちる)とか様々な形容がされている。しかし、筆者は西施には、単に容姿の美しさ以上に、頭の良さ、機智に富んだ会話や人の表情や動作からその心を見透す力とか、胆識、自らの役割を自覚し、情に溺れずに対処する能力とかが備わっていたに違いないと思うのである。

 というのも、越が会稽山で呉に敗れたのが紀元前494年、それから「嘗胆」した越王勾踐が呉を滅ぼし、呉王夫差が自害したのが前473年、西施が夫差に献じられたのが何時かはわからない(一説には紀元前487年という)が、この間西施は、かなり長い間呉の後宮に閉じ込められていたと思われるからである。

 仮に半分としても10年である。いつまでも花の顔(かんばせ)だけで呉王夫差の寵を繋ぎ止めることはできる筈ないのである。

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 この「美人計」を考案・実施したのが勾踐の謀臣范蠡であるとされる。「会稽の恥」の年范蠡は42歳、呉滅亡の年は63歳となっている。西施の歳はわからないが、仮に呉の後宮に20歳前後で送り込まれ10年を過ごしたとすれば呉滅亡の時は30歳くらいにはなっていただろう。

 ところが越王勾踐の覇業が成るや、范蠡は勾踐の臣を辞し、この父娘ほど歳の差のある西施を伴い、新天地に活路を見出していくのである。

 范蠡が越を去った後、越の大夫文種(ぶんしょう)に送った書簡の一部が『史記』に記されている。

 「飛鳥尽きて良弓蔵せられ、狡兎(こうと)死して走狗烹らる」(『越世家』)目的を達した今、勾踐とは共にやっていくことはできないというのである。范蠡は、良く人を知り己を知る人物であった。

 范蠡の新天地とは、ビジネスである。海を渡って斉の国へ出、名も鴟夷子皮(しいしひ、鴟夷とは罪人を包む皮袋である。伍子胥が自害した後、これに包まれて川に捨てられたという)と変え、一所懸命に働いて財を成した。さらに築いた財を知人隣人に分け与えて陶(山東省荷澤市定陶県)に至り、朱公と自称して、畑を耕し家畜を育て、物資を売買して巨萬の富を築き、天下の人はこぞって陶朱公としてその名を讃えたのである。

 中国で「陶朱猗頓」といえば、金持ちの代名詞である。猗頓(いとん)も『史記』貨殖列伝に名を残すが、山西省の塩商人である。

 春秋の豪傑范蠡は、中国人ならずとも、一個の男児の理想であろう。

 越の国の軍師参謀として国運を隆盛ならしめ、勾踐の覇業成就を見るや一切の官位俸禄を擲って、絶世の美女を伴い何処ともなく身を隠し、新天地にあって裸一貫から事業を興し、富貴長寿の人生を終える。

 「治国良臣、兵家奇才、商家始祖」(張天志『破解范蠡』)まことに、一身にして二生も三生も生きた人物である。

 何故それが可能であったのか。

■千里眼

 その彼の人となりの片鱗をうかがわせるエピソードが、『史記』(越王勾踐世家)に採録されている。

 范蠡が陶の地にいた時のことである。彼の息子の1人が人を殺め、楚の獄中につながれてしまった。范蠡は末子に千金を預け、親友の楚人荘生に助命工作を依頼しようと思ったが、長男がどうしても自分が行くといってきかない。

 やむなく長男を行かせることとなった。范蠡は荘生への手紙を託して、長男に釘をさす。「楚に着いたら千金の金を荘生に差出し、彼のやりたいようにさせ、決して争ったりしてはならぬぞ」

 楚に着いた長男は荘生の許を尋ね、父の手紙を渡し、千金も差し出した。この時、荘生が長男に言った。

 「早く帰国し、この地に止まってはならぬ。もし弟が出獄できても、その理由を問うてはならぬ」

 荘生は廉潔をもって聞え、楚王はじめ楚の国では誰もが尊敬している人物であった。彼は楚王に面会し、「星の運行を見ると、楚に災厄がふりかかる兆しがあります。それを避けるには王が徳を施すことです」と進言する。そこで楚王は荘生の進言を容れて、恩赦を施すこととしたのである。

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