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現地リポ:四川大地震の震源地はいかに復興したか

映秀鎮に残された倒壊した校舎の遺跡を前に絶句

2011年8月26日(金)

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 北京オリンピックが開幕した2008年8月8日からさかのぼること88日前、5月12日の14時28分04秒、中国では四川省アバ・チベット族チャン族自治州の汶川県映秀鎮付近を震源とする「四川大地震」が発生した。震源地が汶川県であることから、中国ではこの地震を“汶川地震(ぶんせんじしん)”と呼ぶ。中国地震局の発表では同地震の震度はマグニチュード8.0<注1>であり、中国政府民生部の統計によれば、2008年9月18日までの人的被害は死者6万9227人、行方不明者1万7824人、負傷者37万4643人であり、死者と行方不明者の合計は8万7051人となっている。

<注1>米国地質調査所発表に震度はマグニチュード7.9。

 この四川大地震の悲惨な記憶が忘れ去られようとしていた2011年3月11日の14時46分18秒、日本では三陸沖の深さ24キロメートルを震源とするマグニチュード9.0の「東北地方太平洋沖大地震」が発生した。これに追い打ちをかけるように、地震によって引き起こされた巨大津波が、地震の余韻冷めやらぬ東北・関東地方の太平洋岸を襲い「東日本大震災」をもたらした。2011年8月18日時点における同大震災の人的被害は、死者1万5707人、行方不明者4642人で、その合計は2万349人である。

 東日本大震災の被災地では復興に向けて懸命の努力が続けられているが、あの四川大地震の被災地のその後はどうなっているのか。メディアが報じない被災地の復興ぶりを見てみたい。7月末に出張で四川省の省都・成都市を訪れた筆者は、やむにやまれぬ思いに駆られ、タクシーで震源地である汶川県へ向かったのだった。

287人の学生が死亡した“聚源中学”

 朝8時30分に成都市内の中心部“錦江区”にあるホテルを出発したタクシーは市街区を取り巻く環状高速道路から成都市と“都江堰(とこうえん)市”と結ぶ“成灌高速道路”に入る。成灌高速道路で成都市から都江堰市までは約40キロメートル。筆者は10年以上前に2回都江堰市を訪れているが、当時はまだ高速道路はなく、一般道を走って都江堰市まで行き、その後は舗装もされていないでこぼこ道を走って紀元前3世紀に秦の蜀郡守であった“李氷”とその息子によって建設された水利施設「都江堰」<注2>および李氷父子を祭る「二王廟」に行ったものだった。

<注2>「都江堰」は四川省を流れる河川「岷江」の分水施設で、2000年12月に中国で5番目の世界文化遺産に指定された。

 そんな昔話を運転手の宋さんに話している間に、車は四川大地震で中学校が倒壊して287人もの学生が死亡した“聚源中学”のある聚源鎮を通過した。しばらく行くと右手に都江堰から映秀鎮を通って汶川県の県庁所在地まで全長82キロメートルの“都汶高速道路”の入口が見えてきた。運転手が都汶高速に入ろうとすると、道路上に「通行止め」の立て札がある。車を路傍に寄せた宋さんがタクシー会社に電話を入れて確認したところでは、都汶高速は通行止めで汶川県には行けない、一般道で行くことは可能だが、こちらは「通行規制」で、映秀鎮までは行けるが、その先の汶川県まで行くと日帰りはできないという。筆者は汶川県まで行きたかったのだが、宋さんと相談して映秀鎮を最終目的地とすることにした。

 車は高速道路を下りて都江堰市内に入る。四川大地震では都江堰市内も大きな被害を受けたということだったが、市街区のたたずまいは整然としていて、震災の痕跡はどこにも見当たらない。新しい建物が多いことが、震災の威力を物語っているのかもしれない。市街地を抜けた車は農村地帯に入り、汶川県に通じるアスファルト道路を走り始めた。上り坂が続き、車は徐々に高度を上げて行く。資料によれば、海抜は成都500メートル、都江堰600メートル、映秀鎮950メートルであるから、高低差がそれほど大きいわけではないが、20分も走らないうちに車は眼下に岷江の流れを望む断崖に出た。車は断崖に沿った道を上流に向かって走り続ける。

もやにかすむ紫坪鋪ダム
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 しばらく走ると眼下に湖のようなものが見えてきた。宋さんによれば、「紫坪鋪(しへいほ)ダム」だと言う。紫坪鋪ダムは332億円を限度とする円借款が供与され、「電源開発」がコンサルタントとなって建設された大型多目的ダムで2006年に完成した。四川大地震の際にはダムの堤頂部に亀裂が生じて、崩壊する恐れがあるとして日本でも大きく報じられた。当時、ダムは崩壊を防ぐために貯水の緊急放流を行うとともに修復工事を行ってことなきを得たのだが、靄の中にある巨大なダムを眼下に望むと、崩壊しなかったことに今さらながら安堵の思いにとらわれた。もし崩壊していたら、下流域の50万人以上に計り知れない被害をもたらしただろう。

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「現地リポ:四川大地震の震源地はいかに復興したか」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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