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中国市場の開拓は「百年の大計」で

【第10回】前田新造氏(資生堂会長)

  • 川村 雄介

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2012年2月17日(金)

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 猛スピードで裕福になりつつある中国では、人々の日々の生活レベルの向上と心の豊かさが大切にされ始めている。愛用する品々にブランドを求める傾向が高まってきた。とくに女性にはブランド志向が強いという。女性にとって重要度が高いブランドの1つが化粧品である。中国でブランド化粧品といえば、いまや資生堂だと言われている。今回は、中国進出30周年を迎えた資生堂の前田新造会長にお話をうかがった。

前田新造・資生堂会長

 そもそも同社の社名自体が中国文化に由来している。「資生」は易経の一節から取っている。「至哉坤元万物資生」。あらゆるものが大地から生まれて、新しい価値を創りあげていくという意味だそうだ。資生堂は、最初は西洋の調剤薬局からスタートした会社である。西洋の科学的な知見と東洋の哲学的な思想とを、ハイブリッドに構成した新しい会社を生み出していこうという経営理念が、その名前にも込められているという。前田氏と中国との関係は、1997年に海外の事業の中の特にアジアの担当をしたことから始まった。

 資生堂は、単なる生産拠点というよりも内販型の中国進出を図り、中国の改革開放後30年間の強烈な経済成長に合わせ拡大してきた。同社の中国進出30周年とその間の中国の経済発展は、どのようにシンクロしているのだろうか。

オリンピック選手団の公認化粧品になり浸透

 「改革開放以降、すごいスピードとダイナミックさで中国は大きく発展してきました。これからも発展し続けると思います。資生堂が中国との関係を持った30年前は、女性も男性も人民服を着て、大半の女性は化粧するような状況ではなかった。中国製の化粧品はビニールパックに量り売りするような時代でした。ですから最初は、ほとんど日本から輸入し、主に在中の外国人女性に化粧品を販売していました。きちっとした化粧品、価値のある商品として認めてもらいたかったのです」

 「中国にも優れた国営化粧品会社がありました。その化粧品会社に技術供与する関係がだいたい9年間続くわけです。1991年に合弁会社を作って商品を共同開発し、94年に中国の女性向けの商品を現地生産しました。沿海地方州のデパートを中心に拠点を広げていき、店を置いたデパートでは大体シェア1位をとることができて、ある程度浸透していきました。2000年のシドニーオリンピックと2004年のアテネオリンピックで、中国選手団の政府公認化粧品として、資生堂の『AUPRES』を広げていただいた。ここでやっと、中国の人たちから国民的ブランドとして認めていただいたのではないかなと考えています。それ以降、化粧品専門店を中心に、内陸の方に展開して、今では全省全自治区に延べ5000店以上があります」

 5000店という数字は並大抵のものではない。そこに至るまでは、どのように伸びていったのだろうか。

 「デパートの業績が良くなっていくなかで、資生堂のAUPRESを扱いたいという要請がたくさんきました。化粧品専門店は、地域の一番店を目指して2004年から展開してきました。当初は1年間の目標を200店と定めたのですが、300店舗ぐらいの勢いでスタートが切れて、1000店、2000店、3000店と順調に伸び、5000店のレベルまできました」

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