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蓄財1.5兆円、周永康は中国一の汚職役人か

清朝を貪った権臣と並び称される資産の全貌

2014年4月11日(金)

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 中国史上に名を残した“権臣(権力を握る臣)”の1人であり、清朝<1644~1912年>史上で最大の豪商であると同時に最大の資産を持つ官吏であったと言われる人物は、“和珅(わしん)”<1750~1799年>である。和珅は満州族の“旗人(支配階層)”に属する貧しい家に生まれたが、清朝の宮廷に仕えると第6代皇帝の“乾隆帝(けんりゅうてい)”<1711~1799年>に見出され、寵臣として取り立てられて立身出世を遂げ、“軍機大臣(皇帝の個人秘書)”にまで上り詰めた。

和珅が倒れて、嘉慶帝は腹いっぱい

 その後、和珅は乾隆帝の第10皇女を長男の嫁に迎えて“皇親国戚(皇帝の親戚)”となったことで大権を握り、その権力をほしいままにして汚職に明け暮れるとともに自ら商売を行って富を蓄積した。しかし、その栄華は“乾隆上皇“の死によって終わりを告げた。そのわずか5日後に、和珅は親政を始めた第7代皇帝の“嘉慶帝(かけいてい)”<1760~1820年>によって弾劾されて失脚し、その10日後には死を賜って自害した。まさに波乱万丈の人生であったが、後世の人々は和珅を「権勢並ぶ者なく、国家に匹敵するほどの富を持った」という形容詞を付けて“貪官汚吏之王(汚職役人の王)”と呼んだのだった。

 和珅はなぜそう呼ばれたのか。失脚した和珅は家財を没収されたが、その内容は白銀2000~3000万両<注1>と全国に所有する広大な土地および数百カ所の不動産であった。和珅が国民から搾取して蓄えた財産は白銀8~11億両に上ったし、和珅が所有した黄金と白銀に骨董や宝石類を加えた財産の総額は清朝政府の財政収入の15年分を上回っていたと言う。なにしろ、和珅は18世紀最大の富豪であり、その富はロスチャイルド家の創始者である「マイアー・アムシェル・ロートシルト(Mayer Amschel Rothschild)」のそれをしのいだと言われている。当時、和珅の失脚を知った庶民は、“和珅跌倒, 嘉慶吃飽(和珅が倒れて、嘉慶帝は腹いっぱい)”<注2>とはやし立てたという。

<注1>“白銀”は貨幣としての「銀」の呼称。“両”は「テール」とも呼ばれる銀貨の通貨単位。
<注2>「腹いっぱい」とは和珅から没収した富で清朝は財政的に余裕ができたことを意味する。

 さて、中国共産党による専制統治が65年目を迎えている中華人民共和国に、清朝の和珅と並び称される人物がいるというのである。その人物とは誰あろう、中国共産党の元中央政治局常務委員の“周永康(しゅうえいこう)”である。

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「蓄財1.5兆円、周永康は中国一の汚職役人か」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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