• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

74歳の老人が50年かけた「報恩」

大飢饉の中、丼3杯の大豆で家族の命は救われた

2014年4月25日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 河南省“登封市”は省都“鄭州市”から南西に75kmほどの距離に位置する“県級市(県レベルの市)”で、人口は約67万人である。1982年に上映された“李連傑(ジェット・リー)”主演の香港映画「少林寺」で有名になった“少林功夫(少林カンフー)”発祥の禅宗寺院“嵩山少林寺”が所在する土地と言えば、我々日本人にも馴染み深いかもしれない。

 今年74歳の“陳懐軍”は、その登封市の中央部に位置する“大金店鎮”にある“金西村”の農民である。2014年4月11日、陳懐軍は長年にわたって思い続けた“報恩(恩返し)”と“還債(借金返済)”を全て果たし終え、「これで心残りなく、安心して死ねる」と述べた。2014年4月15日付の河南紙「鄭州晩報」は、誠実で律義な陳懐軍の波乱に満ちた人生を「美談」として報じた。少し長くなるが、記事の内容を整理すると以下の通り。

1962年、夏淑梅が陳懐軍に粥を振る舞う

【1】1962年、“登封県”(当時はまだ「市」にはなっていなかった)は凶作に見舞われたが、飢えに苦しむ陳懐軍の家ではタンパク質不足のために両親の全身に“浮腫(むくみ)”が生じていた。このままでは一家全員が飢え死にする。打開策を必死に考えた末に、陳懐軍は家で織った自家製の布と交換することで食糧を得ようと決意し、兄嫁と一緒に布を背負ってためらうことなくあてどない旅に出た。2人は東へ向かって進み、泊まりを重ねつつ隣接する安徽省に入り、実家から450kmほど離れた“宿州市”の“碭山県(とうざんけん)夏庄村”へ至った。忘れもしない、その日は“農歴(旧暦)”の3月10日(=新暦の4月21日)で、緑が芽吹き、辺り一面は春の装いに包まれていたが、空腹を抱えて歩くことすらままならない2人には景色を楽しむ余裕などなかった。もはや一歩も歩けなくなった2人は、助けを求めてとある住宅の門を叩いた。

【2】門を開けたのは当時19歳の“夏淑梅”であった。夏淑梅は疲労困憊した2人を見ると、少しもためらわずに2人を屋内へ導き入れてくれた。夏淑梅は彼ら2人が河南省から遠路はるばる自家製の布と食糧を交換する目的でやって来たと聞くと、自ら布と食糧を交換してくれたばかりか、夏庄村の村人たちにも声をかけてくれた。このため、村人たちは“地瓜乾(干いも)”や“地瓜麺(サツマイモ粉)”などを持参して2人が背負ってきた布と交換してくれたのだった。当時は誰もが裕福ではなく、“紅薯粥(サツマイモが入った粥)”は客人に対する最高のもてなしだったが、夏淑梅は2人のやせ衰えている姿から空腹に耐えかねていると見て、紅薯粥を作って振る舞ってくれたのだった。陳懐軍と兄嫁の2人が紅薯粥をむさぼり食べたのは言うまでもない。腹一杯食べることなど久しぶりだったのだ。

コメント4

「世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」」のバックナンバー

一覧

「74歳の老人が50年かけた「報恩」」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

もっと事業を効率化して、料金を下げて、消費者に貢献しないと業界はだめになってしまう。

和田 眞治 日本瓦斯(ニチガス)社長