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周永康はなぜ汚職に走ったか

ファミリー汚職は中国エリートの宿命

2014年8月20日(水)

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 元政治局常務委員で胡錦濤政権後期には党内序列9位にまで上り詰めた周永康の失脚が発表されたのは7月29日。その後、周永康とその一族に関するゴシップがわんさかと報道され、ゴシップ好きの私としては興味深く読み漁っている。周永康失脚を権力闘争や習近平政権の今後の行方と絡めた分析というのは、かなり報道されているようなので、周永康その人の人となりをうかがわせるエピソードや謎について今回は取り上げてみたい。

周永康とはどんな人物であったか

 中国記者たちが、彼の実家(老家)がある江蘇省無錫市の西前頭村を訪れて、いろいろリポートを書いている。周永康はもともと太子党のエリートでもない。村で最も貧しい農村の長男だった。

 この村は122世帯と小さい。ほとんどは周姓を名乗り、北宋時代の哲学者・周敦頤の末裔たちだとされている。父親は陸義生、母親は周秀金といい、父は他所の村から、この周家に婿入りし、周姓に改正した。子供は1942年生まれの周永康(本名・周元根)を長男に、周元興、周元青と三兄弟だった。民国時代の周家はとにかく貧しくて、いつも身に合わぬぼろ服を着ていたという。だが父は田うなぎ釣りがうまく、それで農業以外の現金収入を得ることもできた。そして3人の息子に教育を熱心に受けさせたという。この中で周永康の成績は特に優秀で、中学教師たっての推薦で蘇州の重点中学(現蘇州中学、高校に相当)に進学したという。弟二人の成績はそれほどでもなく、中学を卒業すると故郷で農業に従事するようになった。

 周永康は努力型の秀才であったという。数学と化学が得意で常に学年のトップクラスだった。成績以外にも「政治的覚悟」がしっかりしており共産主義の模範学生でもあった。1961年19歳で北京石油学院(現中国石油大学)勘探学部に入学。石油エンジニアとしての道を歩み始める。当時、石油事業は中国の近代化を支える産業として優秀な若者の憧れだった。文化大革命が始まった年に卒業し、一年待って1967年に中国石油の聖地、大慶油田からの配送の要地である遼寧省にエンジニアとして配属される。この頃、周永康は酒も飲まず、タバコも吸わず、着古した作業着がぼろぼろになっても膝に当て布を縫ってまだ着るような質素で倹約家で朴訥な青年エンジニアだったという。

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「周永康はなぜ汚職に走ったか」の著者

福島 香織

福島 香織(ふくしま・かおり)

ジャーナリスト

大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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