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「1人っ子政策違反」で引き裂かれた親子たち

罰金払えぬ親から子を「強制収容」の影、消えず

2015年2月13日(金)

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 中国の人口は、中華人民共和国が成立した1949年には5億4167万人であったが、1973年には8億8761万人となり、24年間で3億4594万人増大した。1973年における日本の人口は1億910万人であるから、中国ではわずか24年間に日本の人口の3倍以上も人口が増えたことになる。しかも、9億人の大台に上るのは時間の問題であった。

「晩・稀・少」計画出産から1人っ子政策へ

 1973年12月、こうした切迫した状況下で開催された「第一次全国計画出産業務報告会」は、「“晩(遅い)、“稀(間隔が大きい)”、“少(少ない)”」を計画出産の方針とすることを決定した。それは、晩婚、夫婦1組の出産人数を2人、出産間隔は4年前後空けることを要求するものだった。しかし、その後も人口は増大する一方で、1977年末には9億4774万人となり、1973年からわずか4年間で6013万人増加したことになる。今後も毎年1500万人のペースで増加するならば、人口が10億人に達するのは4年後の1981年と予測できる。少しでも早く人口増に歯止めをかけなければ、国家運営にも支障を来たすことは明らかであった。

 1978年10月、中国共産党中央は、「国務院計画出産指導チーム」が会議報告書で提唱した「1組の夫婦が出産できる子供の数は最大2人とし、出産間隔は3年以上とする」を承認した。これを受けて、1979年1月からは全国各地で「計画出産暫定規定」が制定され、規定に違反した者に対する経済的・行政的処罰が科せられるようになった。その後、間もなくして計画出産はさらに見直され、「1組の夫婦が出産可能な子供の数は唯1人」とする“独生子女政策(1人っ子政策)”に変更された。

 このため、1979年下半期には全国各地で計画出産暫定規定が「1人っ子政策」に沿った内容に修正され、少数民族地区を除く全国の都市と農村で1人っ子政策が厳格に実施されるようになった。1983年5月には、「国家計画出産委員会」主任の“銭信忠”が“一胎上環,二胎絶育(1人生んだら避妊リングを装着し、2人生んだら避妊手術)”を提起したことから、1983年の避妊リング装着件数、避妊手術件数および人口中絶件数は急増し、史上最高の記録を作った。<注1>

<注1>2014年12月19日付の本リポート『国民にそっぽ向かれた「第2子出産容認」』参照。

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「世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」」のバックナンバー

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「「1人っ子政策違反」で引き裂かれた親子たち」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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