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老北京の胡同から考える

歴史と文化を無視した開発は、破壊でしかない

2015年4月15日(水)

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 最近、『老北京の胡同: 開発と喪失、ささやかな抵抗の記録』(晶文社)を著者の多田麻美さんからいただき興味深く懐かしく読んだ。同書に使われている写真は多田さんの夫で写真家の張全さんが撮ったものだ。今回のコラムは、書評風になる。

下町の路地の街並みと暮らしと記憶が消えていく

 多田さんは私が北京に駐在していたころからの知り合いで、北京の胡同(フートン)に10年以上も暮らし、北京の胡同文化に惚れぬいている人である。胡同とは北京の下町の路地やその周辺の街並みのことを言う。語源はモンゴル語の井戸らしく、井戸を中心に庶民の生活が営まれたことの名残だとか。狭いものは幅40センチ位の路地で建国前には3000から6000の通りが網の目状に張り巡らされていた。

 胡同の暮らしはおおむね貧しく、貴族の屋敷スタイルである四合院も、民国時代には修復されずに老朽化し、また複数の家族が雑居する大雑院と化していた。トイレや風呂はなく、クーラーも暖房も十分とはいえず、隣の家庭の晩御飯のおかずまで匂いでわかるような環境でプライバシーもほぼない。清潔快適な暮らしになれた人にはとうてい我慢できそうにない不便なライフスタイルであるはずなのだが、多田さんはそんな昔風のライフスタイルを好み、不便さを楽しみ、下町人情に溶け込んで暮らしていた。とても私にはまねできないと思ったものだ。

 700年前の元王朝の時代から北京の中心部に網の目のように広がり発達していった胡同は文化大革命の10年に貴重な歴史的文物、遺跡、建物が破壊され、文革後の改革開放には再開発の名の下に消滅していった。それでも1980年代初めはまだ北京市街地の3分の1の面積が胡同で市人口の半分がそこで生活していたという。

 胡同が急激に縮小していったのは90年代からだろう。多田さんによれば、この20年に再開発や環境整備の名目で消えた胡同はざっと計算しただけでも9.3平方キロメートルに及ぶそうだ。そして彼女自身、何度も胡同取り壊しによって引っ越しを余儀なくされてきた。そこに住んでいた人たちは、わずかな保障金を与えられて強制立ち退きさせられたり、あるいは郊外の新しく建てられたアパートに強制移住させられたりする。失われるのは家だけでなく、昔ながらの近所づきあい、地域で共有されてきた暮らしの記憶だという。

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「老北京の胡同から考える」の著者

福島 香織

福島 香織(ふくしま・かおり)

ジャーナリスト

大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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