中学生の頃からプロサッカー選手になろうと意識していたので、大学卒業後にプロになれた時は嬉しかったですね。でも、大学で教鞭をとっていた父からその時に言われたのは、「いつか引退する時が来るんだから、今から準備はしておきなさい」ということです。
一生裕福に生活していくためには約10億円が必要とすると、それぐらい稼げているのは日本のプロサッカー選手でもほんの数人です。他の選手たちは引退後、プロサッカー選手以外の仕事をしなければなりません。つまり、絶対に転職をする必要があるんです。しかも、30歳まで現役を続けられれば大成功なので、自分が生きてきた年数と同じぐらい、また違う仕事で稼がなければならない。22歳の時に、そのことを父に言われて衝撃を受けました。
中学1年の時にアメリカに1年間住んでいました。まずはその時学んだ英語を再び勉強しようとしました。父がいた名古屋大学の留学生を週に1回自宅に招いて、1時間ほど英語を教えてもらいました。夕食も一緒にとりましたが、その日はわが家は英語でしか話しちゃいけなんです。ドラマみたいでしょ(笑)。それを1年半ほど続けました。
英語を知っていて損はないし、多少なりとも武器になるかなと思いました。サッカーでも外国選手とのコミュニケーションに役立ちますから。
現役時代はベンチスタートが多かったんですが、名古屋グランパスエイトのベンゲル監督の時は納得していました。自分の役割をちゃんと分かっていたし、ベンチから出て行く時には「お前はこうしろ」と具体的に役割を与えてくれたので、それをきちんと遂行すればよかった。それ以前は「仕事を与えてもらえないかもしれない」「仕事を与えてもらっても、具体的に自分は何をすればいいのか…」という状態でしたから。
ベンゲルという“できる”管理職が来たので、この人にために頑張ろうと思いましたね。試合に勝てば「君たちのおかげだ」と言ってくれるし、負ければ「自分のせいだ」と言ってくれる人だったので、信頼できる上司だと思っていました。
話すのが好きだったので、引退後は解説者を目指しましたが、仕事のオファーはゼロ。現役時代は本も出版したし、毎月スポーツ雑誌でも原稿を書いていました。買い物のコラムまで持っていました(笑)。でも、引退直後の2001年2月の月給は、5万8000円の原稿料だけでした。
各テレビ局の専属解説者の枠は元日本代表選手で埋まっていたので、実績のない僕には入り込む余地がなかったんです。彼らは優秀な選手として実績を残してきたからこそ、「今のプレーはよかった」というシンプルなコメントでも成り立つんです。実績がない人のコメントは感想でしかないんです。
そこで、「今のミスはなぜ起こったのか」「中村俊輔選手のフリーキックはなぜあれほど曲がって速いのか」というように、論理的に説明できる解説をしようと考えたんです。
テレビの仕事をしていく上で言葉に裏付けを持たせるには、なぜ素晴らしいかを論理的に短いセンテンスで分かりやすく説明する必要があります。その練習として原稿を書いていたんです。しかも「良い悪い」だけでなく、「どうすれば良くなるか」という建設的な提言をすることで、解説だけでなくジャーナリストとしても認められていくと思ったんです。
チャンスをつかむために、雑誌に掲載された自分の原稿を持って、テレビ局にマネージャーと二人でしょっちゅう営業に出向きました。会ってくれる人には誰でも会って、「僕はこういう解説をします。よければ僕の書いた記事を読んでください」と。それがきっかけで「こいつ面白そうだから使ってみるか」と徐々に起用され始めました。テレビ局でもチャレンジャーっていますから(笑)。
ある方に教えていただいたんですが、9つのマスを想定し、自分の夢を真ん中に、その周りの8つに今やらなければならないことを書きます。僕の夢はスポーツジャーナリスト。だから、サッカーを見ること、人に会うこと、原稿を書くことなど、周りに20コぐらい置いて実行してきました。「自分はこうなりたい」という姿があって、「そのために何をすればいいのか」を順番に埋めていっただけです。そして次の目標はサッカーの監督。そのためにまた何十個も周りのマスを埋めようとしています。
常に先を見て、自分にはどういう方法論があるかを考える。マスをたくさん埋められる人が、その方法論を知っている人ということです。みんな夢を持っていますが、ホップやステップがなくて、いきなりジャンプしようとします。でも、1つひとつ埋めていくことが必要で、なおかつ楽しみながらできれば人生そのものも楽しめます。僕の場合は、たまたま昔からいろんなことをやっていたので、それがうまく今に結び付いているんだと思います。