• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

中島 敬二(なかじま・けいじ)

元インド住友商事社長/Nakajima Consultancy Services社長

元インド住友商事社長。Nakajima Consultancy Services社長。インド在住。1944年9月26日山梨県甲府市生まれ。1968年慶應義塾大学経済学部を卒業し、住友商事入社。1975年からインドとの取引にかかわり、スズキがインドに設立した合弁会社マルチには立ち上げ時期からかかわる。 インド駐在(ニューデリー)、本社の自動車第五部長などを経て、1998年からインド住友商事社長。デリー日本人学校理事長、デリー商工会議所会長などを歴任。2001年本社に帰任し、理事・広報部長。2004年に定年退職後、関連会社社長に就任したが、住友商事が出資するインド企業の再建を依頼され、同社Directorとして2006年から3度目のインド赴任。 退任後、DMICインド政府アドバイザー(日本政府派遣)、ハリヤナ州政府名誉顧問などを務める。その後インドで起業し、日本企業のインド進出を支援するコンサルタント会社、日本食レストラン、ホテルなどを経営する。

◇主な著書
インドビジネス40年戦記』(日経BP社) 2014

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

めげない日本人商社マン、インド70歳起業記

チャンスは向こうからやってくる

2016年7月15日(金)

前回から読む)

 この連載では、40年にわたってインドビジネスにかかわり現在はインドに在住してビジネスを続けている元商社マンである、私、中島敬二のインド体験の一端を紹介しています。

 前回は、開業した日本食レストランで、酒を提供する許可を得るまでの混乱や困惑をご紹介しました。今回はさらに、望んだわけでもないのに、ホテルまで経営することになってしまったいきさつについてお話しします。

日本食レストランに続いて、経営を担うことになったマネサールのホテル

ホテルオーナーからの依頼

 レストランの経営を始めたのに続き、私は2015年には同じマネサールでホテルの経営者となりました。108室のホテルです。自ら望んで経営を始めたわけではありません。なぜ私がホテルを経営することになったのかをまず説明しましょう。

 私が経営するマネサールの日本食レストランと同じ敷地内にはホテルが建てられていて、もうすぐ開業するのだろうかと思っていました。ところが、このホテルのオーナーが、私に「あなたに経営してほしい」と依頼してきたのです。

 私はホテル経営にはまったく関心がありませんでしたし、工場地帯のマネサールでホテルを経営したとしてもお客は少なく、採算が合わないと思ったので即座にお断りしました。しかし、インド人は簡単には諦めません。いろいろ条件を変えて頼み込んでくるのです。それでも私は断りました。

 しかし最初の依頼から1年半ほども経ったある日、ホテルのオーナーから、「中島さん。あなたを待っている間に4社から経営をしたいと要請がありましたが、中島さんとの約束があるのですべてお断りしました」と言うのです。私は「あなたと約束などしていない」と言おうと思ったのですが、彼の話を聞いているうちに、その気になっている自分に気づきました。

義を見てせざるは勇なきなり

 彼の期待に感激したのが第一の理由ですが、マネサールの環境が少しずつ変わってきたことも感じており、そのことも影響しました。1年半前はまったくなかったオフィス・ビルが建ち始めました。日本人も数は少ないですがマネサールに住み始めました。さらに現在デリー空港からグルガオンを経由してマネサールに到着するには1時間半かかりますが、2016年には新たな高速道路が開通し、空港からマネサールまでの移動時間がわずか25分になるとの情報を得ていました。だから、ひょっとしたら経営は成り立つかもしれない、という思いが出てきたのです。

続きを読む

著者記事一覧

もっと見る

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トランプ政権のここまでの動きはスロー。

ジョセフ・ナイ 米ハーバード大学特別功労教授