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杉原 淳一(すぎはら・じゅんいち)

日経ビジネス記者

杉原 淳一

2005年、日本経済新聞社に入社し、大阪経済部で金融機関や流通・アパレル業界などを取材。2009年に東京に異動し、経済部で銀行や農林水産省、財務省、金融庁などを担当。2012年から日本郵政の取材を始め、2014年末には日本郵政・ゆうちょ銀行・かんぽ生命保険の3社同時上場計画を他のメディアに先駆けて特報した。2015年4月から日経ビジネスで金融機関を中心に取材している。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

それでも、アパレルと生きる

モンクレールを失う覚悟は常にできている

2017年12月1日(金)

 日本のアパレル企業は高度経済成長期からバブル期にかけて海外ブランドとライセンス契約を結び、国内で事業展開することで大きく成長してきた。しかし、ビジネス規模が順調に大きくなるにつれて契約を解消され、主力ブランドを失って大きな痛手を負う企業も少なくない。高級ダウンジャケットの代名詞ともなった伊モンクレールを扱う八木通商の八木雄三社長に、海外ブランドビジネスに関する本音を聞いた。

モンクレールは高級ダウンジャケットとして日本市場でも定着しつつあるように見えます。ただ、ここまで成長するまでには苦労もあったようですね。

八木雄三社長(以下、八木):1970年代に別ブランドでダウンジャケットを売り出したんですが、取り扱ってくれるようなお店がなかったので、最終的にハンティング用品を扱う店に売りに行きました(笑)。ダウンを普段着にするという文化自体がなかったんですね。でも、ファッション性の高いダウンがいずれ普及するという確信は、この頃から持っていました。

 モンクレールに出会ったのが1995年です。我々も色々と苦労してきましたが、モンクレール自体も苦労の連続でした。何度も事業が立ち行かなくなって、そのたびに主要株主が変わるという、上がり下がりをずっと見てきました。それでも、このブランドと製品を信じて投資し続けてきました。「埋もれていた宝を見つけ、賭けに勝った」という面がありますね。

八木通商の八木雄三社長

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ジェニー・ダロック 米ピーター・F・ドラッカー伊藤雅俊経営大学院学長