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田原 総一朗(たはら・そういちろう)

ジャーナリスト

田原 総一朗

1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのジャーナリストとして独立。1987年から「朝まで生テレビ!」、2010年から「激論!クロスファイア」に出演中。新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。
2002年4月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。

◇主な著書
暴走司会者』(中央公論新社) 2016
トランプ大統領で「戦後」は終わる 』(KADOKAWA) 2016
起業家のように考える。』(プレジデント社) 2016

◇関連リンク
Twitter:@namatahara

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

田原総一朗の政財界「ここだけの話」

敗戦は、僕のジャーナリストとしての原点だ

2017年8月18日(金)

 8月15日は、72回目の終戦記念日だった。今回は僕の終戦時のエピソードを語ろうと思う。それが僕の原点だからだ。

 玉音放送を聞いたのは、小学校5年生の夏休みだった。5〜6人が我が家のラジオの前に集まって、天皇陛下の声に耳を傾けた。

 ラジオの音はノイズが多くて聞きにくく、難しい言葉が多かったから、その時は陛下の言葉が何を意味しているのか、よく分からなかった。ただ、「敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所」という、広島と長崎に落ちた原子力爆弾を示す言葉や、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」というくだりは聞き取れた。

 実は、あまりに言葉が難しいので、玉音放送が終わってから、近所の人たちの間では解釈が二つに割れていた。「戦争は続く」という意見と、「戦争は終わった」という意見だ。しばらく経つと、市役所の職員がメガホンで「戦争は終わりました」と歩き回った。その声を聞いて、ようやく戦争は終わったのだと分かった。

 僕はその時、前途が真っ暗になった。

 僕らにとって、将来の選択肢は二つしかなかった。陸軍に入るか、海軍に入るか。僕は当時、海軍に入ろうと思っていた。陸軍は長距離を歩かなければならないが、海軍だったら船の甲板の上しか歩かなくてよいから。海軍兵学校へ通っていた従兄弟がとてもかっこよく憧れていた、という理由もあった。

 ところが、敗戦によってその望みは断たれてしまったわけだ。

 僕は家の2階に上がって泣いた。泣いて、そのまま眠ってしまい、目が覚めたら夕方になっていた。2階の窓からふと外を見たら、街が明るいことに気付いた。前日まで、灯火管制で真っ暗だった街が明るくなっていることを見て、何となく解放感を覚えた。

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ジェンスン・フアン エヌビディア創設者兼CEO