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今の日本なら「忘れられた巨人」と向き合える

10年ぶりの新作に込めたカズオ・イシグロの思い

2015年6月26日(金)

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  27歳で書いた長編デビュー作『遠い山なみの光』で英王立文学協会賞、第2作『浮世の画家』で英ウィットブレッド賞、そして3作目『日の名残り』で英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞するなど世界から熱い注目を集めてきた日系人作家カズオ・イシグロが、このほど10年ぶりに長編小説『忘れられた巨人』を発表した。

 「人はどんなことは記憶し、どういうことは忘れるのか。そして社会や国家はどんなことを記憶にとどめ、いかなることは忘れようとするのか」――。長年温めてきたこのテーマを小説として完成させるのに「10年以上の歳月がかかった」と話すイシグロ氏が、この本に込めた思い、そして幼少時から英国で育った彼がどのようにイシグロ独自の世界観を形成していったのか、若い頃にホームレスの人たちの支援活動に携わるなど大きな影響を受けたという経験なども交えつつ小説家イシグロの背景を語ってくれた。

(聞き手 石黒 千賀子)

カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)氏
1954年11月8日長崎県生まれ。1960年、5歳の時に海洋学者だった父の仕事で英国に移る。78年英ケント大学英文学科卒業。80年英イースト・アングリア大学大学院創作学科卒業。82年長編デビュー作、『A Pale of View of Hills(邦題:遠い山なみの光)』を発表し、英王立文学協会賞を受賞。同年、英国に帰化する。86年『An Artist of the Floating World(同:浮世の画家)』を発表し、英ウィットブレッド賞を受賞、89年『The Remains of the Day(同:日の名残り)』で英ブッカー賞受賞。95年『The Unconsoled(同:充たされざる者)』、2000年『When We were Orphans(同:わたしたちが孤児だった頃)』、2005年『Never Let Me Go(同:わたしを離さないで』、2015年春『The Burried Giant(同:忘れられた巨人)』を発表した。
現在、妻ローナ氏と娘ナオミ氏とロンドン郊外に住む。(写真:的野 弘路、以下同)

新作『忘れられた巨人』は、「社会や国家はどんなことを忘れ、どんなことは覚えているのか」について書いた小説だと発言されています。

イシグロ:はい、このテーマで小説を書きたいと以前から何度か話をしています。最後に話したのは2001年秋に東京で開かれた「ハヤカワ国際フォーラム」でした。フロアの人からの質問で、「次はどんな作品を書くのか」と聞かれた時です。

10年以上前からこのテーマを考えていたということでしょうか。

イシグロ:はい。長い間、これは非常に興味深く、かつ重要なテーマだと、意識していました。ただ、このテーマを表現するためにはどんな物語にすればいいのか、それを考えつくのに想像していたよりずっと長い時間がかかった。どういう設定にすれば、いい物語になるのかという問題です。

憎しみや復讐心は隠れていただけで、存在し続けていた

9・11の米同時多発テロがきっかけというわけではない?

イシグロ:東京で講演した2001年のあの日は、9・11事件の直後でしたが、もっと以前からこのテーマについて考えていました。大きなきっかけは、1990年代のユーゴスラビア解体に伴って発生した戦争でした。日本の人にとっては遠くに感じるかもしれませんが、ボスニア、特にクロアチアは欧州に住んでいれば、誰もが休暇に遊びに行くところでした。

 冷戦が終結し、1989年にベルリンの壁が崩壊して以降、私たちはみな、欧州は最高に平和な時代を迎えるのだと信じていた。それだけにユーゴでの戦争勃発には、大変なショックを受けました。何より私にとって衝撃だったのは、社会の記憶とは時としていかに暴力的になり得るか、という事実でした。

 ボスニアやコソボでは、異なる民族が地域によって別々に暮らしていたのではなく、みな混じり合って生活していました。異なる民族同士の結婚さえある程度進み、互いに近所づきあいをしたり、互いにベビーシッターをしたりというほど平和に暮らしていたのです。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナに住むセルビア人たちは、1世代前の第2次大戦中に起きたことから、ボスニアにいるイスラム教徒に対する憎しみを忘れてはならないと教え込まれていた。クロアチア人に対する憎しみも覚えていた

*ボスニア・ヘルツェゴビナの大部分は第2次大戦中は、ナチス・ドイツの傀儡ファシスト国家であるクロアチアの支配下に置かれ、セルビア人はユダヤ人やロマ、反体制派とともに激しい迫害を受け、数万~数十万人が各地で虐殺されるか強制収容所に送られたという。

 それだけに、あの地で第2次大戦後、平和と和解が図られたかに見えたのは興味深いことでしたが、実はその平和は本物でなかったわけです。あくまでもチトー政権による共産主義体制のもと、憎しみは力によって抑え込まれていたにすぎなかった。だからユーゴスラビアが解体すると、憎しみや復讐心が存在し続けていることが判明、隠れていただけ、という実態が明らかになったのでした。

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「今の日本なら「忘れられた巨人」と向き合える」の著者

石黒 千賀子

石黒 千賀子(いしぐろ・ちかこ)

日経ビジネス編集委員

日経BPに入社後、英LSEに留学し修士取得。日経ビジネス、日経ナショナルジオグラフィック、日経ベンチャーを経て、2003年日経ビジネスに編集委員として戻る。主に、本誌の「世界鳥瞰」の欄を担当。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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