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ウシオ電機の原点はマリリン・モンローだった

牛尾治朗・ウシオ電機会長に聞く(前編)

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2016年7月21日(木)

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赤字だった父親の事業を引き継ぎ、1964年にウシオ電機を設立した牛尾治朗氏。「光」から「光システム」へと事業を発展させてきたその歩みは、戦後日本の発展の歴史にも重なる。日本の中堅企業から世界の中堅企業を目指した軌跡を聞いた。

経営者には徹底的に現場を歩くタイプと、大所高所から見ていて戦略を練るタイプがいますが、牛尾さんはどちらがいい経営者だと思われますか。

牛尾:組み合わせですよ、それは。両方とも重要。一番上が現場を歩き、その次が長期戦略を練る会社もありますし。組み合わせが良ければ成功します。

 私の若い頃は、何もかも1人でやっていました。高度成長期だから、運不運も含めてやった方が勝ち。それと、ランプ、光を中心とした産業は完全に米国がリードしていましたからね。ウシオ電機を設立してから4年目の1967年には米国に法人をつくり、GE(ゼネラル・エレクトリック)との提携を進めた。留学から戻ってきたばかりで、英語は全然、苦にならなかった。

牛尾治郎(うしお・じろう)氏
1931年兵庫県生まれ。53年東京大学法学部卒、東京銀行入行。米カリフォルニア大学大学院留学を経て、64年ウシオ電機を設立し社長に就任。79年会長に就任。経済同友会代表幹事、内閣府経済財政諮問会議議員などを歴任(写真:菊地一郎、以下同)

ニクソン・ショックとオイルショックを越えて

 組織経営へと変えていくきっかけはオイルショックです。ニクソン・ショックで1ドル360円の固定相場だったのが変動相場へと移行した。うちは割と利益率が高い方だったので、それは難なく乗り越えられた。ところが、73年、今度はオイルショックが襲うわけです。1バレル当たり1ドル50セントくらいだった原油価格が8ドルを超えるまでに高騰した。将来は1バレル20ドルぐらいになるだろう、という予測も出ていました。

 うちは原材料費の割合を30%くらいに抑えていましたから、それでも、何とか乗り越えられるだろうということで強気路線を崩さなかったんです。そしたら、翌年に総需要が減っちゃった。世界中で、2割ぐらい減ったんじゃないかな。収益うんぬんよりも、各地で売り上げがガターッと落ちちゃったわけです。

 ああ、これは1人でやっているのは危険だなと思いました。総需要というのは計算に入れてなかったから。そこから組織的経営へと切り替えていった。グローバル関係は僕がやるけれども、各地の製造や販売、収益計画などはできるだけ分散する。それで、だいたい見込みが立ったところで社長を辞めたわけです。会長に就任したのが79年だから、会社設立してから社長でいた期間は15年かな。

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