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身の丈の投資で「軽薄短小」を貫く

カシオ計算機特別顧問 樫尾幸雄氏に聞く(後編)

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2015年8月10日(月)

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カシオ計算機のヒット商品と言えば、「G-SHOCK」が有名だ。激しい電卓戦争を勝ち抜いた企業が時計市場に参入した背景には、どのような戦略と決断があったのだろうか。創業メンバーの1人で、生産・技術部門を率いてきた特別顧問の樫尾幸雄氏に聞いた(前回の記事はこちら)。

カシオ計算機の将来を決める重大な意思決定は何だったのでしょうか。

樫尾:それは1980年代に電子楽器や時計事業に参入したことでしょう。当時は、電卓で一応生き残れていました。ですが、これからも電卓をずっと作り続けていくべきなのかどうか、経営陣は悩んでいました。

樫尾幸雄(かしお・ゆきお)氏 1930年11月生まれ。「樫尾四兄弟」の四男で、カシオ計算機の創業時から取締役として生産部門を担当してきた。91年から副社長を務めていたが2014年6月に退任し、特別顧問に就任した。(写真:菊池一郎、以下同)

時計事業への参入が最大の意思決定だった

 亡くなった次男の俊雄は、電卓で培ったノウハウを生かして新規事業を展開すべきだと考えました。それが自分の使命だと。我々兄弟は彼を信頼していましたから、彼の考え方に沿って商品開発しようということになった。そこから時計事業がスタートしています。

 今になって振り返ると、あの決断がなければ今日のカシオ計算機はなかったでしょう。電卓で培ったデジタル技術を時計に応用できると考えた俊雄の発想は大正解でした。

成功した今だから当然のように思いますが、当時、電卓メーカーが時計事業に参入するのは困難なことだったのではありませんか。

樫尾:そうですね。時計は今では量販店でたくさん売られています。ですが当時は、時計と言えば街の専門店で買うのが当たり前でした。日本全国の時計店などの業界団体がありまして、影響力が非常に強かった。彼らからは、弊社で取り組んでいた卸を通さず売ることなどに対して、けしからんとかなり批判されました。

 今だから言えますが、大手時計メーカーの役員がうちに来ましてね、「悪いことは言わないからやめなさい」と懇々と説得されました。彼らにしてみれば、自分たちが築いてきた販売網にカシオが土足で入ってくるような印象があったんでしょう。

それでも引かなかったのは、どうしてですか。

樫尾:やはり、大手時計メーカーが手掛けている時計と、我々が手掛けようとしているデジタルの時計ではマーケットが違うと考えたからです。彼らに対しては、競合して食い合うつもりではなく、新しい市場を開拓しますから、という姿勢で臨みました。

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