• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

【明石 康】「最近の集団的自衛権の論争は観念的」

日本人初の国連職員が説くグローバル化

2015年6月29日(月)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画(毎週水・金曜日掲載)です。

 第28回は、元国際連合事務次長の明石康氏。日本人初の国連職員となり、事務次長を務めた。幅広い国籍、文化、宗教の人々と働く中で、明石氏が考える、グローバル化に必要なものとは。集団的自衛権の論争が過熱する中、「抑止」と「対話」の両方が必要だと説く。

日本人初の国連議員
明石 康(あかし・やすし) 26歳で国際連合職員となり、国連事務次長を務めた。秋田県出身で、「私にとって第1外国語は標準語。秋田なまりはフランス語と英語の習得に役に立った」。現在は国際文化会館理事長などを務める。「眼は遠くを 足は地に」を自分の墓石に刻む予定。1931年1月生まれ。(写真:サトウヒロノブ、ほかも同じ)

 第二次世界大戦が終わる頃、私は秋田の中学3年生でした。

 学徒開墾のため、私たちは毎朝鍬を持って出掛けて、夕方に帰ってきて小学校に泊まるという毎日でした。

 本当に空腹でひもじかったです。ぼろぼろした粗末なご飯とおかずは大根。干し大根とか、葉っぱが付いた大根とか、形を変えて出てきました。

 終戦の詔勅はラジオを通じて、家族と一緒に聞きました。内容を全部分かったわけじゃないですけれども、とにかく戦争が終わったということで、終わったんだという安堵の気持ちとともに、これからどうなるだろうかという不安の気持ちもありました。

 それから2~3週間たち、「もしかしたら戦争中より明るいよい時代になるかもしれない」という希望が浮かんできました。新聞を見たり、学校の先生の話を聞いたりしながらそう思ったんでしょうね。

 私が通っていたのは地方としては名門の秋田中学で、「この戦争は明らかに勝っていない」「敗戦するんじゃないか」と仲間で話し合っていたし、「広島に落とされた新型爆弾は、もしかしたら核爆弾ではないか」というようなことも話していました。軍部の発表に関して、懐疑的に見ている若者が結構多かったです。

 終戦になり、それまでは軍国主義に協力するようなことを言っていた教員たちが、口を揃えて今度は民主主義の礼賛を始めたのを見て、私は子供心に「こういうのはいかんな」と思っていました。

 戦争が終わって数年間、権威というものは信用できなくなった。日本の将来に関して、やっぱり我々は自分自身で考えないとだめじゃないかと思いました。今までのような、日本を間違った方向に持っていくことになったら大変だと、古い世代に対する不信感が強くありました。

 だから、国のあり方や外交を間違えるととんでもないことになるぞ、という気持ちがあって、そうならないために、自分がきちんとした理解を持たないとだめだという思いが強くなっていきました。

コメント0

「戦後70年特別企画 遺言 日本の未来へ」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

日本の未来は、男性と同じ程度、女性のリーダーが作っていくものだと確信している。

ビル・エモット 英エコノミスト誌元編集長