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「ソニーも大将が変わればがらりと変わる」

ウォークマンの父、大曽根幸三が鳴らす警鐘(中)

2016年5月31日(火)

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 戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。

 連載3回目は、初代ウォークマンを開発した伝説の技術者、大曽根幸三氏。ソニー創業者の井深大や盛田昭夫と直接やり取りしながら進めたウォークマン開発の秘話や、なぜソニーを始めとする日本の電機産業が新しいモノを生みだせなくなったのかを、3日連続で語る。今回はその中編(前編はこちら)。

聞き手は日経ビジネスの宗像誠之。

大曽根幸三(おおそね・こうぞう)氏。
1933年生まれ。56年日本大学工学部卒業後、ミランダカメラに入社。61年にソニー入社。一貫してオーディオ分野を担当し続け、カセットテープからMDまで、一連のウォークマンシリーズの開発を手掛けた。89年に常務、90年に専務、94~96年まで副社長。2000年にアイワ会長へ就任。2002年にアイワ会長を退任した。(撮影:北山 宏一、以下同)

出井(伸之、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)さんが、ソニーの社長になった当初は、大曽根さんもまだ副社長でした。

大曽根氏(以下、大曽根):確かに私が副社長に就いていた時期は、出井さんのソニー経営トップ時代と少しかぶっていたな。

 その頃のソニーは、もう売上高が4兆円とか5兆円の巨大企業になっていて、新社長が急激に舵を切っても、すぐには思い通りに方向転換できない図体になっていたよね。それが幸いして、出井さんが経営トップになってからも、大賀(典雄、元ソニー社長)さん時代の路線がまだ残っていて、その遺産でしばらくは調子良く見えていた。

 大賀さんがなぜ出井さんを選んだのかという点は、本心ではどう考えていたかは分からない。だから私は、「あの大賀さんが後継者として出井さんを指名したんだから」と思って、何も言わなかったけれどね。その頃は、井深(大、ソニー創業者)さんも盛田(昭夫、ソニー創業者)さんも病気で倒れた後で、大賀さんが後継者について相談ができる状態でもなかったから。

 大賀さんの社長時代、出井さんはデザイン部門のマネジメントなどを担当していたこともあったんだけど、「オーディオ事業はこうした方がいい」とか、大賀さんにいろいろなレポートを送って、自分の存在をアピールしていたよね。

 その後、実際に出井さんがオーディオ事業を任されることになるんだけど、事業の舵取りはあまりうまくいかなかったのが事実だよ。出井さんは海外営業の経験が長くて、技術は分からなったから。

 まあいろいろと報道されているし、彼がやったことの「いい悪い」は今さらもう話したくないけれどね。

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「「ソニーも大将が変わればがらりと変わる」」の著者

宗像 誠之

宗像 誠之(むなかた・せいじ)

日経ビジネス記者

日経コミュニケーション、日本経済新聞社産業部、日経コンピュータを経て、2013年1月から日経ビジネス記者。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官