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“大師”に頼りながら汚職に走る中国官僚

無神論者であるべき共産党員たちの“腐敗の心理”

2015年7月31日(金)

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 “李小琳”と言う名前を聞いたことがあるだろうか。李小琳は1988年4月から1998年3月までの10年間にわたり中国の“国務院総理(首相)”を務めた“李鵬”の娘(長女)である。1989年6月4日に発生した“六四事件(天安門事件)”当時、総理であった李鵬は、民主化を求める学生を主体とする一般市民のデモ隊に対し、軍隊を出動させて武力鎮圧させることを主張して戒厳令を発動し、多数の死傷者を出した張本人とされ、天安門事件から27年を経た現在もなお人々の怨嗟の的となっている。その李鵬の娘である李小琳は、“太子党(中国共産党の高級幹部の子弟等で特権的地位にいる者たち、あるいはその総称)”の中でも特に著名な人物である。

李鵬の長女の降格

 李鵬はモスクワに留学して水力発電を学び、帰国後は発電所に勤務し、“北京供電局(電力供給局)”を経て、1979年に“電力工業部”に移籍した。その後は電力工業部の副部長、部長を経て、“水利部”と合併した“水利電力部”の副部長となり、1982年に中国共産党中央員会委員に選出され、出世街道を驀進することになった。こうして水利電力部を基盤として出世を続けた李鵬は電力業界を牛耳るようになり、長男の“李小鵬”と長女の李小琳はともに大学で電気工学を専攻して、電力業界の要職に就いた。

 李小鵬は2002年に41歳で新たに設立された中央政府直轄の大型電力企業である“中国華能集団公司”の“総経理(社長)”に就任し、その6年後の2008年には山西省へ転出し、2013年に山西省の省長となって現在に到っている。一方の李小琳は、1994年に電力工業部の投資で香港に“中国電力国際有限公司”を設立したのを皮切りに、1998年には“中国電力投資集団公司”の“常務副総経理(常務副社長)”に就任し、2008年には香港上場の“中国電力国際発展公司”の“董事長(理事長)”を兼任するようになり、「電力業界の女王」と呼ばれる地位を獲得した。2008年には“全国政治協商会議委員”に選出され、2013年に再選されて現在は2期目である。

 その飛ぶ鳥を落とす勢いであった李小琳に陰りが見え始めたのが、2015年5月29日に国務院が批准した中国電力投資集団公司と“国家核電技術有限公司(国家原子力発電技術有限公司)”の再編による“中国国家電力投資集団公司”(以下「国家電力投資」)の設立であった。李小琳は国家電力投資でも然るべき指導的地位に就任するものと考えられていたが、7月7日に李小琳を中国五大発電集団の1つである“大唐集団公司”副総経理に任命する旨の人事異動が公表された。この人事は明らかに降格であり、いよいよ習近平による「李鵬叩き」が始まる前触れかと噂された。当の李小琳は「党の決定に従う」とこの人事を受け容れ、大唐集団公司の副総経理に就任して活動を開始した。

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「世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」」のバックナンバー

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「“大師”に頼りながら汚職に走る中国官僚」の著者

北村 豊

北村 豊(きたむら・ゆたか)

中国鑑測家

住友商事入社後アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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檜山 敦 東京大学先端科学技術研究センター 講師