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読者の皆様からのフィードバック

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 「教育勅語」を愛する人々

いただいたコメント

ご協力いただきありがとうございます。日経BP社は,読者の皆様からの投稿の内容につきまして,その信頼性,適法性などを一切保証いたしません。何らかのトラブルが発生した場合,日経BP社は一切,責任を負いませんので,皆様の自己責任においてご利用願います。その他,コメントに関する諸注意はこちらをご覧ください。

小田嶋氏の教育勅語に対する認識と、私の現憲法に対する認識が近い。私には現憲法を有難がる者の気が知れない。現憲法を有難がる今の時代から早く抜け出したい。(2017/03/24)

>誰があそこに産廃を持ち込んだのか、調べていけば部落解放同盟にぶつかる。

 解同どころか、山口組系山健組の名前まで出てきた。とんでもない毒蛇の穴に手を突っ込んだんじゃないか?
 野党とマスコミが森友学園問題を長引かせているのは、「テロ準備罪」を含む法案の審議を邪魔するためだと考えられるが、その法案は過激派だけでなく暴力団にとっても脅威。暴力団と戦ってきた民間暴力専門の弁護士グループの一部が、同法案に賛意を表明しているのそのため。山口組も、当然法案の動きを注視しているだろう。(2017/03/23)

今回のお話は、部分と全体の関係のような話として理解しました。そもそも、松野文部大臣の「憲法や教育基本法に反しないような配慮があれば『教材として用いることは問題としない』」と言う発言は、作者の記載の通りであれば、このような改訂をした時点で、教育勅語の形態、内容を保持しないということになる。文部大臣は、部分否定の様式の発言なのだが、実は全否定になっていることになる。だとすれば、作者が記載の通りの考えであるのならば、「教育勅語」という文言は残るかもしれないが、全体は完全な別物になるのだから、そんなに反対しなくても良いのではと思う。一方、稲田朋美防衛大臣の発言は、部分否定の形式を取った、全公認の様式で、最初に「教育勅語の本質は、…」と発言をしておきながら、「実はこの…部分だけは、…」として述べており、本質なのであれば全体の要約なのであり、全体の要約であるにもかかわらず、「この部分」と言う様式で表現することで、あたかも部分なのだよと言っている。そもそも、全否定されたことを持ち出してくると、ろくなことはないので、今回は作者に全面的賛同する。(2017/03/23)

すごいコメント数ですね(笑)
教育勅語、「こういうものがあったが国民主権となるとともに廃止された」っていう感じの教え方なら寧ろ良いと思うんですがね。
反省すべきところは反省し、良いところは良いところとして認める。
それは教育に不可欠な理念です。
過去を無かったことにするような歴史教育は、日本ではやめた方が良いと思います。
自分が習った歴史をそのまま信じ続けることも危険。
村上春樹が新作で南京大虐殺の捏造部分を肯定し世界に広めることになってしまったように...
今を生きる私達には、アップデートが不可欠です。
鎌倉幕府は「いい国(1192)作ろう」ではなく「いい箱(1185)つくろう」に変わったのだと最近知って、驚きました。
自分達が習ってきた歴史を否定するのは辛いことでもありますが、真実を知りたいという気持ちがあれば、心を閉ざして全否定することも無くなるでしょう。
一片の真実が、そこにはあるかもしれませんから。(2017/03/23)

下で、このコメント欄で唯一、奉天中学校で「教育勅語」を強制させられた父親の実例を挙げた者だが、例によってお約束の如く「日教組」云々の反応が返ってきてて、何と言うか笑ってしまった。

そういうのは明らかに、日教組に対する過大評価だと思う。あんなもの、日本人にとって大した影響は無かったと断言するね。
それは、教育勅語が、実は何ら実効性を保てなかったのと同じ。イデオロギーなんてそんなもの。時間が経てば皆忘れちゃうから、不必要に恐れることは無い。

では、以前の、例えば60年代位に、何故国際主義が日本を席巻し得たのか。それは、当時観光旅行がブームだったから。ネットも何も無い時代に、外の国に行くこと自体が、ある種の高揚をもって一般の人々に受け入れられてたから「国際主義」がまかり通ってたのであって、世界平和に関する高尚な理念に誰もが共感していた、というのとはちょっと違うと思う。

ただ、そういう時代風潮の影響っていうのはやはりあって、当時の右翼は、自分の出自は小さな村でも、何れは世界に飛び出て、世界平和に貢献するんだっていう志みたいなのがあって、それが戦後民主主義的な、非常に楽天的な時代の空気に完全に乗っかってた。

そこが、今の引き篭もりトランプとの最大の違い。
自分はその時代に生まれ育っているから、そういう者からすると、右左のイデオロギーより、引き篭もり=悪(!)と思ってんのw(2017/03/22)

(その2)これまで、アジア、欧米と3国で生活したことがありますが、例えば公共の乗り物でお年寄りに席を譲るとか、小さな赤ちゃん連れの人に手を貸すとかいったことは、圧倒的に日本が負けています。下手をすると日本では道徳的行為=カッコ悪いと思えるほど、弱者には冷たいですよね。
何でこうなったのか? 昔は、違ったのか? 戦前の日本の社会を知らないのですが、もっと人にやさしい社会だったのでしょうか?
勅語とは別に、個別パーツの道徳観の欠如といった感覚は私もあり、なんとかならないかなと。ただそれは学校教育の項目で改善できるものではないのかな。「道徳」の事業で教えたところで実践できていない。もっと、違う病気が日本を蝕んでいるのでは? 個人主義ではないが故に、余計に集団の中での序列や優劣を非常に気にする。すぐに他国と比べて日本の方が上とか下とか言い出す。なんか、余裕がないんですよね。個人の満足度の物差しがないので人と比べることしかしない。幸せな奴は許せない、叩け。病気です。その病気の根源の方が戦争へ結びつく何かのような気がします。(2017/03/22)

(その1)教育勅語が創設され運用されていた時代背景や、因果関係は別にこれをもとに教育を行った結果論として戦争に入ったという歴史等すべて含んだ「教育勅語」の議論と、個別パーツの道徳観を分けて議論しないとかみ合わないですよね。今回の小田嶋Sは、個別の道徳バーツをすら否定しているように聞こえる。「親孝行」「公の秩序」から戦争は生まれないでしょう。その言葉が利用される可能性はあっても、その言葉がなくても別の言葉を利用するでしょう。もっと違う何かが戦争を引き起こしてしまうのだと思います。現代の義務教育下においても「道徳」の授業はありますよね。その中には親孝行とか公の秩序といいったアイテムも当然入っています。
論点がずれますが思っていることがあります。私は今欧州に住んでいますが、感覚的に子供の(日本的)道徳観は日本の子供の方が圧倒的に持っています。授業を静かに聞くとか先生から言われた事を守るとか日本人では当然のことをこちらの子供はできていない(私の周りでは)。ただ、大人を見ると日本人の方がその「道徳観」が備わっているかというとそうではない。大人としての成熟度が日本人は足りていない。(その2へ)(2017/03/22)

教育勅語の、どこが良いのか悪いのか、何がそんなに誇らしいのか?
ひとつ、声に出して読んでみたらどうだろう?何かつかめるんじゃないか。(2017/03/22)

なんかGHQのWar Guilt Information Programに洗脳された感じですね。教育勅語はいいこと書いてるじゃないですか。なんで否定的なの?(2017/03/22)

日本会議や 日本青年協議会 の名前は出せないんですかね?

他者の趣味・嗜好に対してどう思いますか?と聞かれた場合、否定やましてや嫌悪するのではなく自分にはわからないというスタンスが何故とれないのか? あほなのかばかなのか、両方なのか。

自分が最も否定し嫌悪するものは、他者の考えを聞き入れもせず規制し自分の考えを押し付けてくる団体や考え方を持っている人間です。(2017/03/22)

教育勅語の是非(好き嫌い)がこの問題とそんなに関わりがあるのか疑問です。
また幼児に暗唱させることも大袈裟に扱い過ぎ。自分が幼稚園で教えられた事をどれだけ覚えているか考えたらわかる事。うちの子なんて英語を喋ってたけど高校生の今は1ミリも覚えてない。
結局幼稚園の教育なんて親の趣味だし、私学で嫌な人は行かないのだから勝手にすればいい。
幼稚園でお経や聖書を暗唱させているところはたくさんあるのに、それとどこが違うのか分からない。問題は国有地の払い下げ価格が正当であったかどうか。となりの豊中市が国から買った土地は額面上は小学校用地より高いが国からの補助金で実質は2千万円くらいで取得している。なんか変なおじさんで右翼教育してるからみんなで血祭りにあげて喜んでいるように思います。(2017/03/22)

私は、教育勅語は好きです。その文からは、憲法をはじめとする法体系を整え、薩長政治を脱却し、欧米列強に負けない国家を作るぞと気負いながら、基本は親子、隣人との公徳にありとする、明治の若い息吹が感じられます。

それはさておき、法治国家を海外まで行って宣伝する安倍内閣で、国会で失効を決議された教育勅語を有効とするような、法令に基づく行政ができない大臣はおかしい。 さらに言えば、学校法人であれば、同じく日本の法令に沿って運用されるべきで、失効されている教育勅語を使用することが法令違反、レッドカードだろう。 

それよりも残念に思うのは、国会もそれを取り巻くマスコミも、ほんとに大事で複雑な問題には(阿吽の呼吸があるのか)触れず、こんな、法令違反一発退場でだれも文句を言わないことを、くどくどと取り上げている。

国会が今真剣に目の前にある課題として、法令の整備や予算措置をしなければならないことは、北朝鮮対応問題だ。米国務長官が、韓国に行き腹を固めさせ、日本に来て作戦サポートを承諾させ、そして中国とその後の処理を確認し、ロシアに行って手を出すなとくぎを刺そうとしている今、これらが行政の独断で進められて良いことなのか、それを問うことが中央集権を嫌う人たちのなすことではないですか、小田嶋さん。(2017/03/21)

還暦を超えた私のような者が親の世代から聞かされてきた教育勅語の問題点、戦争に突っ込んでいった流れの中でどのような役割を果たしていたか、などの問題が、その問題から距離がある世代にとってはぴんと来ないのだと思います。今回の小田島さんへのコメントを見ると、そこら辺を理解している人がまだまだ大勢いるように思いますが、あと10年、20年したらそれが少数派になってしまわないかと、非常に危惧されるところです。(2017/03/21)

>森友学園の問題の本質は、「教育勅語」ではなく「土地」でしょう?
>誰があそこに産廃を持ち込んだのか、調べていけば部落解放同盟にぶつかる。

こういうカキコミが有るから「ネット社会になって良かった」と思うんですよね(事の真偽は自分で調べますからどちらでもいいんです。こういう問題提起が人目に触れることが大切)。関西という土地の闇の深さを感じます。(2017/03/21)

教育勅語を一部肯定するのに対して、全否定するような内容に閉口した。自分さえよければ、他人はどうなっても良いという個人主義者の増加は、凶悪犯罪の増加と明らかに比例すると思う。社会を重視せず、他人に対して攻撃的な理論を展開する自分勝手な個人主義が現代社会を崩壊させようとしているようにも思えるコラムはむしろ危険だ。もちろん教育勅語を全肯定するわけではないが、全否定して古くからの道徳は完全なる誤りで、自分勝手な行為は自由で許されるというのは行き過ぎであると思うのがフツーだと思うのだ。それが理解できない人を取り締まるのが法治国家の役目であり、テロにつながる思想までも寛容に受け入れるのはどうかと思う。また「腐ったリンゴに執着する人々」という比喩もおかしい。法律で規制しなければ、自ら律することができない愛煙家や薬物中毒者も同じように「腐ったリンゴに執着する人々」だからである。タバコや薬物に頼るのも教育勅語に頼るのも大して違いはないのではないだろうか。自分の意思で制御できないタバコや薬物に依存している人は、確実に他人に迷惑をかけているので、教育勅語信仰よりも、むしろ危険なのではないか。(2017/03/21)

教育勅語の道徳的事項については殆どそのまま教育基本法に受け継がれています。無いのは天皇主体の事項だけです。国土を守るという点についても「我が国と郷土を愛する」との文言も含まれていることからこれでも十分日本を守ることはできます。
また、政府は個人より公共を優先するように憲法を改めようとしていますが、これはイザというときに国民に戦う義務を負わせたいからだと思います。しかし、国民の反対を押し切って無理に改定せずとも、万一他国からの侵略があったときは反対を唱えている国民も一致団結して国土防衛に命を投げ出すことと思います。なぜなら日本男子には武士道のDNAが連綿と受け継がれているからです。(2017/03/20)

GHQ史観に洗脳された人間に何を言ってもしょうがないのです。
よって立つ根本が違うから。まず、そこから議論しないと、水掛け論です。
GHQ史観ー
戦前の日本は全体主義で、天皇を神と祭る「宗教」により国民が洗脳されている、暗黒の危険なテロ国家であった。
まさに、ここにコメントする人が、戦前の日本をオウム真理教に例えるのは、その人が考えているのではなく、その人の頭に植え付けられた「GHQ史観」がそう言わしめているのです。
刷込みですね。本人は自分で考えたと思っていても。
実際は、戦中の日本は無茶な戦争を戦っていたから、国家の強制が生活全般に及んでいたが、それは戦時中ではどこの国家もしていたことである。
なぜ、GHQは戦前の日本を「悪」と決めつけ、日本の道徳、思想を悪として、追放したか?
それは、日米戦争でアメリカは大変な犠牲を払って、日本に勝利した。再び日本を強国にしてはいけない。それがアメリカの国益だった。
日本という国家の強さの元は、すべて破壊し、日本人を骨抜きにする教育をしないといけない。そのために、戦前の日本の全てを悪とした。そして、日本人の公共心、道徳心、愛国心をなくす教育をした。その一環として、教育勅語を廃止したのだ。軍国主義教育をもたらすものだと、レッテル貼りをして。
つまり、今の日本人の歴史観の「常識」は、GHQにより捏造洗脳されたもので、新興宗教の信者のようだというのは、今の左翼を含む、多くの「常識的」日本人が、GHQによる洗脳を受けた「GHQ史観信者」であるのだ。どちらがオウム真理教かと問いたい。(2017/03/20)

「私の父親は現在85歳だが、かつて奉天の商業中学校で教育勅語を強制させられている。」
ようやく親に聞いた人が出てきた。
小生の父親も同じ昭和一桁生まれ世代だが、その世代は虚無感に襲われ、個人主義になっていたものが多い。
最初に戦中の教育を受け、ある日突然教師のいうことが180度変わる。
現人神である天皇陛下のために戦えと言っていた教師が、天皇は人間だ。これからは民主主義だと言い出す。
鬼畜米英だったアメリカが、日本に民主主義を教えてくれる素晴らしい国となる。
子供の頃に、そういうトラウマを受ければ、ニヒルになる。国家などをあてにせず、自分の力で生き抜かねばならないと考える。
したがって、小生の父親も子供の自由にさせた。公共心、愛国心、道徳心などを息子に教えなかった。
そういう子供は、戦後の日教組教育に染まっていくのだ。
小生の家には、明治生まれの祖父母がいた。彼らは、日本の良さが、アメリカGHQによって、その手先の文部省によって、破壊されるのを目にしてきた。
その後も日教組が、GHQ史観を子供に「強制」、「洗脳」していくのを見てきた。
戦後70年以上も、GHQ史観が正当なものだと教育されれば、それが洗脳だろうと、「常識」になる。
今の日本の常識が、捏造であり、洗脳であることを知っているものは、もはやほとんど残っていない。
そのことを祖父母から教わった「孫」として、GHQ史観と戦っていかねばならない。
体は戦後生まれのメタボでも、頭は明治時代の日本人として。(2017/03/20)

教育勅語の内容自体に大きな問題があるとは思いません。
戦時中に時の為政者に利用(悪用)されただけかと。

よく切れる包丁はおいしい料理もつくるが、使い方を誤れば人を傷つけ、殺めもする。

行き過ぎた集団主義もいけないが行き過ぎた個人主義もだめ。
ONE FOR ALL, ALL FOR ONE。

どこで線を引くか?永遠のテーマ。(2017/03/20)

オダジマンありがとう。コラム読むと動かない頭が少し動く感じがします。
教育勅語の問題は硬直性にあると思います。思考力を奪う点にあります。。今の教育にもですが、北欧の思考力を重視する教育を望みます。

人間や社会や国が洗練され成熟するには、正しく懐疑すること、負の側面と対面することだと思います。完成などありません、どこまでいっても未熟な政治、社会、親、教師、上司、学校、会社の中にあって自らがいかにまともさを保てるかです。

道徳だから無条件に国を社会を夫婦を友達を愛したり尊敬したりするわけではないですよね。

「考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれがありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。」につきる。

人間も社会も国も未熟です、
未熟であるという前提にたてば、「個人の尊重(人権)」を抑えるのは公の秩序ではなく「公共の福祉(他の人権)」というのは良い知恵です。

中国の憲法では人権が書いてあるが、公の秩序で実質的に削除されているに等しい。秩序や道徳の前に「個人の尊重」が必要なのです。必ず理不尽なめにあいます。日本なら大丈夫などと奢ってはいけません。
自らのダークサイドと対決しなければいけません。人間も社会も国にも負の部分と対面することが成熟に必要なことです。(2017/03/20)

教育勅語をめぐる理論的なあれこれも興味深いのですが…

現実の問題として、周りは敵、その敵を破るには全国民が一致団結しなければならない、
例外は不可、という全体主義を信仰するよう、大量の大人に政治教育を施し、
その状態を維持するには、具体的にどんなことをしなければならないのかと考えると、
よほどの無理を重ねる必要があるとの結論には簡単に達します。
明日食える保証がない人がいっぱいいるとか、実際にドンパチしてるとか
「社会が弱っている」なら一定程度簡単になるのはたしかですけどね。

となると、そのようなコストを下げるために政治教育が早期教育として
幼児にまで施されるようになるのは必然。全体主義を尊んでいると、
遅かれ早かれいずれ、全国民に強烈な拒絶反応をもたらした
『森友学園のあの教育』が蔓延することになります。
教育勅語にゆるく賛成している方が北朝鮮を例にあげて強く主張するとおり
全体主義下であればあの行為は特殊事例ではまったくありません。

自分の子供がああいう教育をされたくなかったら、
もうちょっと穏健かつ論理的な社会へのスタンスを
身につけたほうがいいと思いますよ。いくら各個人に思想の自由があるとはいえ。
といっても皆さん「なっちゃいないのは他人」と思っているから無駄な指摘ですかね。

あと全然話が変わって申し訳ないですが。
さすがにあの振込用紙では証拠になりませんが…
籠池氏が発言に対して絶対何らかの裏どりが必要な人、であるのは承知の上ですが…

それでも稲田防衛大臣の全力否定答弁を物証でもって論破しているという事例からすると
先週だけなら籠池理事長のほうが現職大臣より発言の信頼度は上、って現状はどうよ。(2017/03/19)

161件もコメントが来ているのをみると相当こ問題は関心が高い。何を争点にしようかと迷う次第である。近現代史を見ると特に明治時代に自由民権運動を初めとし倒閣運動がしばしば起きている。今安倍内閣を倒そうという声が高まらないのはどうしてだろうか?野党が弱いのは判っているが、赤旗では支持が来ないし、石破氏も声を上げないし、皮肉にも小泉元総理のみである。安倍政権の支持率の理由で「他にいい人がいないから」が一番多い。後のことを考えずにいえばとりあえず安倍三代を書いた青木氏あたりを中心に、やる気のない民進党を容れずに明治時代の倒閣運動を見習って、国民的運動を巻き起こしては如何だろうか?かつて立花氏が田中内閣を倒したような一大プロパガンダを打って欲しい。現時点の政権を取り巻く虚実を見ると絶好の機会と思うが、青木氏及び近いマスコミはもういい加減立ち上がって欲しい。老人の愚痴であろうか?国民の多くは待っている。たとえ後は自民党の誰かましな人が政権を取ろうとも。かつて田中から三木そして福田。今回は安倍から岸田そして石破か麻生か小泉か?(2017/03/19)

教育勅語に正しい部分があるならば、その部分だけを現代の道徳として主張し、教えて行けば良い。であるのに教育勅語でなければならないと現政権の政治家が感じているのは、教育勅語にしかない部分を強調したいからだ。

それはもちろん「万一危急の大事が起ったならば、…一身を捧けて皇室国家の為につくせ。」という部分だろう。これを幼稚園児に暗唱させて、頭ではなく体にすり込ませることを賞賛しているのは、この「価値観」自体を思考させないためだ。つまり、あまりに疑いようがないがゆえに、このこと自体を思考も議論もさせないで、国民がいわば自動的に従ってしまうような原理にしたいからと考えざるを得ない。

ヒットラーの片腕だったアイヒマンの裁判を見て、ハンナ・アレントは指摘した。つまり、アイヒマンが残虐行為を行ったのは彼が残虐だったからではなくて、ただ命令に従う凡庸な人間だったからであるが、自分の頭で考えることを止めてしまう凡庸さこそは、人間をやめてしまうことに他ならないと。教育勅語を称賛する連中は、日本国民をアイヒマンにしたいのだろう。これはまた、日本の北朝鮮化に他ならない。(2017/03/19)

教育勅語自体、相手を敬い、敬愛し合う事を教えている。

搾取と謀略の限りを尽くしてきたイギリスやアメリカを筆頭とする
西欧、欧米列強に対抗・対応し、
インド、マレーシア、ベトナム、フィリピン、インドネシア等の様に
日本が植民地化され、一切の教育を与えられず、白人の気分一つで女子供は犯され、
優秀な人間の腕を切り落とされるような愚民政策を筆頭に、
侵略から守る術だったことを理解していない無知な記者である。

そもそも腐っていない物に対して「腐っていて」と表現する事は
失笑に値した。

無知でなければ必死に欧米と中国韓国という小アジアの
甘い汁を吸う事を期待し発信する我欲に走る手合いの時代遅れな記者である。
TVを捻ればいつでも表れる様に、マスコミに万といる事を注意して行きたい。(2017/03/19)

先日帰国した時にスーツケースでなくダンボールでした。スーツケースの重さすら勿体無いので。バスの乗り降りめちゃくちゃ大変でした。日本の男性は誰一人手伝ってはくれませんでした。ニュージーランドなら誰かサラッと助けてくれます。日本のお家芸団体戦は目立つ行動を規制し行間を空気読めと押し付けてきます。その結果自分と違う異質なもの(ダンボール帰国する女、ベビーカー、車椅子云々)を徹底的に排除しようとします。陰湿。脈々と教育勅語、戦中教育、ヤンキー思想要するに個として深く思考しないバカを大量に産み出しているんだと思います。個人主義はシビアです。子供も親も関係ない1個人。ニュージーランドの老人で一人暮らしはゴロゴロいます。子供が親の面倒をみるなんて圧力はありません。女性で結婚せず家族の居ない人もいます。個人の選択だから言い訳も出来ない。しかし頼れる人がいなくてもソーシャルサービスがあり、誰か助けてくれる人がいます。日本では社会(普通を標榜する人々)に順応できなくなったらどうなりますか。自己責任と言って相手を徹底的に虐める。団体からこぼれ落ちたらどうなるか、ヤンキーやヤクザの足抜けと同じような感じでリンチされます、カルト宗教然り。みんなバカです。人が自己表現でき抑圧のない状態で知性をほとばしらせながら個々が刺激しあって全体が高まっていく、という状態には教育勅語と戦中教育でなりますかね?? 結果は侵略、強姦、差別、暴力、敗戦でしょ。個人個人が自分の頭で考えて全体の利益となるようなシステムこそが公共ですよ。制限と抑圧が公共に寄与する点はひとっつもありません。(2017/03/19)

オウム真理教の教えに良いところがあるというのと、教育勅語に良いところがあるというのは同じことだと考えています。
ただ、私には信じられないことなんですが、世の中にはオウムに入信してしまう人がいるんです。これは良いとか悪いとかの話ではなく、世の中っていうのはそういうものだと思ってます。我々にできることはオウムはダメだよって言い続けることだけだと思います。(2017/03/19)

教育勅語の内容は そんなに危険な思想を含んでいますかね?
学校教育の中に於いて、日教組関係の方々には都合悪いってだけじゃないですかね?
「教育勅語を否定すること」を肯定するなら、そんなシニア世代の方々は若者から『ジジイ!邪魔だ〜』という言葉を浴びせられても、上司が部下(新入社員含む)から『ウゼェ!』と面と向かって言われても、怒ったらダメですよ。(2017/03/18)

教育勅語に関する議論で混乱していると思うのは,教育勅語の内容がいいかどうかという議論と,どういう歴史的経緯があったかという議論はされているけれども,人の生き方は誰が決めるものなのか,というだいじな部分が欠けている気がします。教育勅語は,天皇が臣民に対して,こういう生き方をせよと命じているものです。現憲法下では,人がどう生きるかは,法律に反しない限りにおいて,一人ひとりが自らの良心に従って決めるべきものであって,天皇の命ずるところに従って生きよ,という教育勅語とは,内容うんぬん以前に根本的に相容れない。教育勅語を肯定することは,とりもなおさず現憲法の根幹を全否定することにつながるのだ,という視点を欠いてはならないのではないでしょうか。(2017/03/18)

教育勅語は内容的に賛否はあろうが、最大の問題はその強制性。教育勅語であろうが、逆に左翼的革命イデオロギーであろうが、強制されれば有害なのは大差ない。反論自体を許さないという構造に問題がある。また、「自分が好む道徳を、他人にも強制する」行為は道徳的なのか。件の政治家や教育者らは、「自身が道徳を守る」より「他人に守らせる」ことに熱心なようだ。彼ら自身は道徳以前に法律すら守っていない(疑いがある)。道徳や順法意識は、まず彼らが学べばよい。

以下にあるコメントで、「占領中に憲法を書き換えるのは、国際条約違反」としているものがあるが、これは法的に誤り。大日本帝国憲法の事実上の廃止は、日本がポツダム宣言(国際法上の休戦条約に該当)の受諾により受け入れたと解されており、合意した以上は履行義務がある。よって、一度合意した現行憲法を後から覆すほうが条約違反。また「占領中に」云々は、ハーグ陸戦法規への言及だろうが、これも誤解。以上の論争は約70年前に決着している(学会で議論の末、上記コメのような押し付け憲法論は敗北。憲法の基本書レベルにも記述あり)。いまだに蒸し返す政治家もいるが、知識不足なのか故意なのか。(2017/03/18)

今回のイラストはいつもより悪意を感じさせないような描写なんですが、何か理由があるんでしょうか?(2017/03/18)

私が教育勅語をうさん臭く思うのは、それを道徳教育にプラスのように言う人はたいてい、教育勅語に書かれていることを守っていないことです。週刊誌によると籠池氏は義父の法事に出たことがないそうです。そのような親不孝をしていながら、教育勅語の父母に孝行をありがたがったいるようです。ほかにも他人への博愛を説いているようですが、稲田防衛大臣の答弁にはアフリカで苦しんでる人に対する愛は感じません。まあ、だいたい、この手もものは自分の都合の良い時に、都合のよい部分だけを取り出して賛美するのが普通です。私はそのような行為こそ個人主義そのもので、教育勅語が好ましくないと言っていることの一つだと思います。
△戦前教育の研究者の書いた記事によると、昭和になってからは明治時代に書かれた教育勅語は時代遅れということで見直しの機運が強かったそうです。そのため補足するためのいろいろな文章が軍からでていたようです。戦前懐古趣味の人たちでもそれらを取り上げることはないようです。このあたりも、表面をなぞっているだけで本当に戦前の思想を啓蒙しようとはしていないようです。きっと、学を修めることも怠っているのでしょうね。(2017/03/18)

個人主義のエッセンスは各個人の違いをお互いに尊重しようということであり、他人に迷惑をかけてもいいという事とは全く違います。お互い違う部分があるのを認めながら助け合う中で、その折り合いのバランスをつけていくということです。

ちょっと話は変わりますが、何故か、小田嶋さんのコラムに対しては、「左寄りの奴らはxx」的なコメントが沢山つきます。左って何ですか?憲法9条死守、天皇制反対、個人主義尊重、戦争絶対反対、親中親韓とかそういうことですか?私は、憲法9条は変えたく無かったけど、日本周辺、及びアメリカの現状を考えるとそうとばかりも言ってられない、でも、変えた結果、きちんとした議論を経ず勝手に権力側で決めた戦争に送られるのはマッピラごめん、今の天皇制には基本賛成、韓国や中国とはお隣だし仲良くしたいのはもちろんだが、お互いに礼儀をわきまえつつも言うことはきちんと言っていくべきだと考えています。こんな私は左でしょうか。今の世の中、単純に右とか左というわけ方に当てはまる人がどれくらいいるのでしょうか。お互い、相手にラベルを貼って嘲笑うだけじゃなく、この国をどうしていきたいのかきちんとした議論をすべき時に来ていると思います。(2017/03/18)

「森友学園問題」のオソロシサは、もし違法性や疑惑がなければ(明るみに出なければ)、すんなりとひとつの「愛国」小学校が開校していたかもしれないということ。総理夫人は堂々と名誉校長で、生徒たちは高らかに教育勅語を朗唱していた...。

小田嶋さんの記事は、このことに恐怖する人が少ないということの恐怖を、教育勅語を切り口にわかりやすく指摘しています。でも「参考になった」「ぜひ読むべき」という評価が多いことは心強い限り。

それとは別に、「教育勅語」的な鼓舞に日本人が弱いというのは、考えなければいない大事なことだと思う。でないと、今抱えている日本の問題が全く解決されないまま(滅びるor衰退して)いく可能性が大(この前と同じように)。(2017/03/18)

戦後民主主義の否定がオダジマさんは怖いんでしょうか。
私は変化のない方がおかしいと思うのですが、、、主義主張・教育なんて時代とともに変わるべきものでしょう。戦前に生きているみたいとのことですが、今の北朝鮮は日本人を拉致していたり、ミサイル兵器を日本に向けて恫喝的にはなってきたりと、まさに戦前の混沌とした一発触発状態じゃありませんか。

別に我々が平和を求めたとしても、相手が平和を求めていない以上、こちらもいつ殴りあいになるかわからないのだから、備えておくのは当たり前でしょう。
その思想が戦前に近くなるっていうのなら、別にそれはそれで正しいと思いますよ。戦争するかどうかは別として、軍備しないといけない状態が刻一刻と迫っているのに、そこから目を背けるオダジマさんのほうが、私からすれば薄ら気味わるいです。(2017/03/18)

切れ味が悪いですね。「こうすべきだ」ではなく、「俺はこっちが好きだ」という個人の好みの表明に留まっているからだと思います。
逆に言えば、この問題は個人の好みの域を超えられない。冒頭で威勢良く「教育勅語は国会で否定されている」と書いた割に尻すぼみになるは、教育勅語そのものを否定することは出来ても、「教育勅語的なるもの全て」を否定することは出来ないからです。そして、「教育勅語的なるもの全て」を否定できないのは、そこに書いてあることが、個々に拾えば特段邪悪でも何でもないからです。
教育勅語的な人に対する小田嶋氏の違和感には共感する部分もありますが、小田嶋氏ほどの強い嫌悪感の表明は、私から見れば同じ穴の狢です。この程度のちっぽけな全体主義ごときで大騒ぎするほどの個人主義崇拝には強い違和感を感じます。それは幼稚園児に教育勅語を唱和させるのに対する違和感と同様なものです。「どっちも極端だよ!」です。
私はどちらかというと個人主義寄りの考え方の持ち主ですが、それでも「自分の家族」という集団のためならかなりの自己犠牲を喜んで受け入れます。世の中にはもう少し大きな集団のために自己犠牲を受け入れる人も居るでしょうし、国家のために、人類のために、という人だって居るでしょう。そういう「程度の問題」として捉えずに、右左で二分化している限り、我々は過去の過ちから逃れられないと思います。(2017/03/18)

宗教的な洗脳で愛国心や道徳を植え付け、国体を維持していくための歯車を大量生産しようとしている権力者たちに、うすら寒さを感じているパヨクの皆さんの気持ちはよくわかる
「何お前ら群れてるんだ、自己犠牲も大概にしろよ、息苦しくはないのか?」と遠吠えしても、集団は、そんなことより「日本を守りたい」んでしょう。
今の日本が好きで日本を守りたいという気持ちも大切ですけどね・・・(2017/03/18)

書き方をマイルドにし過ぎたので、再投稿します。

× 感受性の高い(子供っぽい?)
○ オレオレ詐欺に引っ掛かり易い思考が平坦な

て、ところですね。
この程度で軍国主義に染まると思う方がどうかしてます。
まぁ野党4党の人達を見てると、あんな胡散臭い証拠に飛び付くくらいだから日教組の教育こそ騙されやすい教育なんだろうな、と思ってしまいますがw(2017/03/18)

(先に続く)
戦前・戦中の教育勅語的な倫理観が、180度激変して戦後民主主義が成立したのは、明らかにその当時席巻していた国際主義(Internationalism)があったから。実は、自分が子供だった昭和30年~40年代でさえ、♪戸締り用心火の用心のオジチャンとか、♪大きいことはイイことだー!の音楽家とかが居て、必ずしも思想信条的に戦後民主主義と一致しているとは思えない人たちではあったけれども、その彼らにしても、狭い日本の中に閉じこもっていないで、世界の人たちのために役立つ人間になるべきだと、意識が外へ外へと向かっていて、この外の世界に向かっていくという方向性に関しては、実は同じ時代の空気を共有していた。「戦後民主主義」に輝かしい印象があったり、実際、当時作成された特撮ものがやたらと楽天的だったりするのも、背景にインターナショナリズムがあったから。

それがなくなったら、今日のような閉塞感全開の社会に逆戻りとなる。意識が内側に向かうと、その時点で不寛容が生じやすい。
やはり、看過出来ないのはグローバリズムではないか。市民社会の成熟を持たない日本のような国では、世界から閉じた途端に「教育勅語」的な世界が開陳されるように仕組まれている。いくら多様性の肯定を目指し、内と外の狭間の無数のグラデーション足り得る安穏の地を夢見たところで、結局掛け声倒れに終る。何れは教育勅語に象徴される集団主義的・全体主義的な強制力の前には無力を曝け出すことになるのも目に見えている。

であるならば、かつてのインターナショナリズムの代用と化しているグローバリズムを肯定していくのが、唯一健全な道筋であると自分は考える。(2017/03/18)

私の父親は現在85歳だが、かつて奉天の商業中学校で教育勅語を強制させられている。
当時の教師は退役軍人が殆どで、全文暗記が厳命されており、朝礼の時に暗誦出来なければ殴る×蹴るが待ち受けていたので必死になって覚えたと。中でも、特に覚えが優秀だったのがクラスの中に1割程居た韓国人だったが、授業が終わるとインテリ然とした彼らに対する僻みもあって子供の間で日本人VS韓国人で毎日が戦争のようだったと(←アレは「イジメ」ではなく「戦い」だったとw)。
ところが、戦争が終わると、急に態度が変わったのがかつて暴力を奮いまくっていた教師の面々で、後に同窓会を開くと、あの時は悪かった、あぁするしかなかったんだと、小ぃぃぃさくなって只管謝るだけだったので、自分の父親からすれば、教育勅語の効力なんてそんなものだ、「唯の小娘(=稲田防衛大臣)」に何が分かるとまったく相手にしておらず、今回の騒動に関しても話にならないという感想のようだ。。。(2017/03/18)

教育は国からの命令(勅語)としてコントロールされるべきものではない。憲法はそういった教育の自由や人権を保証するためのもの。ここで議論されている「道徳」は、家族、地域のコミュニティのルールとして皆が合意して決めていくものであって、決して権力から押し付けられるものであってはならない。(2017/03/18)

日本国旗や国歌に軍靴の幻聴を聞くような連中のお話みたいですね。
中国の大軍拡や北朝鮮の核ミサイルよりも、教育勅語に脅威を感じる手合いなんですかね?

まぁ、冗談はさておき5ページも使って書き込むような内容って感じませんでした。
そういえば野党4党が協力して、籠池氏が素人すら騙せないような寄付の証拠を持って国会証人喚問に臨むようですが、野党4党の連中も教育勅語を危険思想と見なしてましたね。
ああいう連中が「リベラル=頭が良くない」とイメージを定着させている方に危機感を覚えた方が良いのでは?
教育勅語については賛同も反対もしない中立派ですが、旗や歌や道徳に軍靴の音を聞く人達ってどんだけ感受性が高い(子供っぽい?)んだろう、と言うのが一般人の感想だと思います。(2017/03/18)

教育勅語って北朝鮮が言いそうな内容だな。あんな国にはしたくない。戦前の日本は今の北朝鮮にどこか似ていないか。(2017/03/18)

確かに、軍国主義を煽りかねない教育勅語は決して受け入れられるべきものではないと思います。

その一方で、教育勅語の一部で説かれている「他者への責任を重んじる」といった道徳は間違ってはいない気がします。

民主主義の根幹である個人を大事にしつつ、他者への責任も重んじることは可能なのではないか、というのは理想主義でしょうか。(2017/03/18)

"教育勅語"を別のものに書き換えても、違和感が無いような、ありふれたストーリーに、
何故、こんなに大騒ぎをしているのでしょうか?
"金日成"に書き換えて、大騒ぎするほうが、ずっと健全だと思える案件なんですけど。(2017/03/18)

戦前・戦後なんて初めからなかったのですよ。戦後民主主義とはghqが検閲したメディアが作り出した幻想であり、立派だけれど中身の入っていない宝石箱だったんだと実感します。国民が自分で考え、選び取った民主主義でないから、こうもたやすく崩れ落ちてしまう。韓国との違いでしょうね。(2017/03/18)

『教育勅語は、既に効力を失った教材だ。というよりも、教育勅語は、単に効力を失ったのではなくて、より積極的に、教育現場から「排除」され、「追放」された過去の亡霊だ。歴史上の悪夢と申し上げて良い。腐ったリンゴだ。』に関して。

金本位制兌換紙幣は廃止されていますが、金は腐っていません。
国の制度として廃止されただけで、現在も有用です。

文科大臣の発言も、民間の教育方針には深く関与しない旨の意味なので、問題は有りません。

そもそも「教育勅語」は「おことば」であり法律ではないので、政府自身が排除を決めても、民間の使用を制限する事は出来ないし、その法律もありません。

「教育勅語」の使用を問題視する事自体、自由・民主主義に反します。
勿論、馬鹿げた意見でも発言する自由は有ります。(2017/03/18)

世の中には主体思想を教えている学校が仮にあったとして、どうもあるようですが、皆さんはどのように思いますか?共産党宣言を小学生が暗誦出来たとして、どう思われますか?
日本国憲法前文だとどうですか。
私はどれもあって良いと思う立場ですが、日本はそういういい国であり、ノー天気でも生命の危機が乏しい幸せな国です。だから皆さんの言説は認められている。因みに共謀罪が成立してもこれは変わりませんよ。
加えて、この手の思想教育は反抗期移を経験して批判精神が培われたのち、多分高校からじゃないと良くないと思います。小学生には早すぎる。教育勅語も憲法前文もです。
それから、憲法学をかじった身としては、明治憲法はよく出来てるんですけどね。小田嶋様も一度伊藤の憲法議解をお読みになっては?芦部先生の本も格調がありますよね。高校生くらいに両方教えられる社会科の先生がいるといいなと思います。リベラルの人はそういう教育を目指されては?と思います。
それと小田嶋様含めリベラルの皆さんの危機感は随分ですが、何を怖れているのでしょう。自らの優等生的立場の崩壊でしょうか?(2017/03/18)

 教育勅語にも良いとこがあると主張する人々の言葉が、汚くなりがちなのはなぜだろうか。とても「博愛衆に及ぼし学を修め・・・徳器を成就し」てるように思えない。なぜその矛盾に自分で気付かないのだろうか。カネをちょろまかし、平気で虚言を吐き、公衆の面前で他人を罵倒するような人が「道徳を中心に据えた学校を作ろう」とするが如しなのか。本当に中身が判っているんだろうか。(2017/03/18)

 確かに教育勅語が時代遅れで現代の価値観にそぐわない内容が含まれているのは事実だろう。
 しかしながら、それが憲法9条ほど荒唐無稽でも有害でもないことも事実だ。
 小田嶋氏といい民進党党首といい、ブーメランが自分に突き刺さっていることに気付いていないのか、しらばっくれているのか?ともかく彼らのしぶとさは大したものだとは思う。(2017/03/18)

次回は、ぜひ「憲法9条」を愛する人々ーをやってほしいものですな。(2017/03/17)

公の秩序を個人の尊厳に優先させることで、支配の貫徹がより容易になり、国家の意思、即ち、政権の恣意的支配ができるのです。そんな国家にすれば、日本は今よりずっと「美しく」、「強く」なれるのです。それを目指すのが安部晋ちゃんなのです。園児らに声を合わせて叫びましょう!「安部ちゃん、ありがとう。美しい日本、万歳!」 顧みると、戦後の日本は余りに個人の権利を尊重しすぎてきました。明恵さんの個人としての且つ私人としての権利、即ち、森友への百万円の寄付を行う権利も安部家の都合でもみ消し、無かったことにされるのでしょうか? 23日の国会の委員会にはついでに明恵さんにも出てきて「真実」をお話して欲しいですね。(2017/03/17)

「邪悪な偏見だと言う決めつけ」を解かれている箇所は見えないように感じるのは、私の至らぬところかと思います。
 左右どちらにせよ両極端な発言が今のところ、多くを占めているのは仕方のないことだと感じますが、
 「教育勅語じゃなくても道徳は教えられるじゃん」でいいし「個だけじゃなくて公も大切よね」で良いのではと思うのですが、我慢がならないですかねそういうのは
 90年代の報道番組では「個の時代」なんて声高らかに発しておりその後「空気読めよ」時代があり
 今は、「まぁどっちも大切だし極端はいかんよね、ガリガリ君じゃ今の時代持たないし」ていう中庸はサイレントマジョリティだと思っているのですが
 それだと知識人は商売上がったりでしょうか(2017/03/17)

?????
外人が言うといい言葉であり、日本の明治天皇の御訓示であれば、悪い意味なのか???

「個人はお互いに自立し、そんな個人が自分の周りの人の幸せを考え、他の人が幸せになる手伝いができる時、自分の幸せを感じることができる」と言ってます。
「人を自立させない為の教育」の支柱の一つになっているのが教育勅語だと分かりました。」

広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)

アドラーのいうことと、博愛とどこが正反対なのか?

勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
人格の向上につとめましょう(徳器成就)

これは自立を促すものでしょう。

これらの徳目を読んで、悪い印象を持つ者は、自分の心の奥底にある悪しきものが、鏡に映されるように見えてくる現象のようです。(2017/03/17)

教育勅語を受け入られるひとと、受け入られないひとの間には決定的な違いがあります。

自分の人生の主人公は自分であると信じるか、自分の人生の主人公は「空気」や「世間」や「公」という得体の知れないものであると流されるか。

私は、たとえ路頭に迷おうとも自分の人生の主人公であることは手放したくありません。(2017/03/17)

日本が戦争に負けたことがよっぽど悔しかった人たちが、亡霊のように蘇ってきているようですね。(2017/03/17)

「大正天皇、昭和天皇、今上天皇の意向を無視して、いつまでの明治天皇のお考えを尊重していること。」
道徳に対する御訓示であり、天皇陛下の即位ごとに変更するものではない。ナンセンス

「現内閣の考えを今上天皇のご意向とするしかない。」
内閣の意向を天皇陛下の意向とするのは、不敬である。
右翼は天皇の名前を出せば、いうことを聞くだろうなど、浅はかな考えだ。
明治天皇の御訓示だから、素晴らしいと考えるものもいるが、小生は一般的な日本的な道徳だから、必要だと思うのである。的外れも甚だしい。

「教育勅語には「憲法や法律を守りなさい」と書いてあるのに」
この憲法は大日本帝国憲法のことだろう。占領下で捏造されたアメリカ製憲法を守れということではないと信ずる。
教育勅語が憲法違反か、ぜひ左翼は訴えてみてくれ。「みんな仲良くしましょう」みたいなものが憲法違反だという憲法ってどんなものですか??そんな憲法はちゃんちゃらおかしいね。
また、各野党は教育勅語禁止法でも作ればいい。それから、法律を守れというべきだ。
最初に結論があり、あとで理由をつけただけに過ぎない。(2017/03/17)

「いったいアタマの中にどんな味噌が入っていれば、こんな言葉を考えつくことができるのだろうか。」

そっくりそのままお返ししたい。(2017/03/17)

教育勅語に「いいことが書いてある」と考える人とは、意見が合わない。そして、そういう人々は往々にして意見が合わない人を見下して、反省することがない。それのどこが「愛」なのかと。単に権力にすり寄りたいだけじゃないのか。

手垢のついた教育勅語ではなくて「いいこと」を具体化する何かを別に考えるべきだろう。(2017/03/17)

教育勅語でも何でもそうですが、中身に書いてあることだけに基づいてその意味とか価値とか評価してい良いと思っている人が結構いらっしゃるようです。コラムニスト氏の言っていることは、その意味や価値はそれに何が書いてあるかだけではなくて、それが書かれた理由というか、歴史的な文脈と合わせて評価する必要があるという至極真っ当なことだと思うのです。わたしはその考えに賛成ですし、書かれた理由や背景から切り離して中身だけ論じるからいいこと書いてあるのに否定するなんて非国民だのようなどうしようもないお馬鹿な判断になってしまうのでしょう。国民の知的レベルが低下するというのは恐ろしいことだと思います。(2017/03/17)

個人主義が嫌いな人たちが、一億総活躍時代とか言っているのは、非常に面白いジョークですね。(2017/03/17)

口先で平和だ民主主義だと言っても、学級運営からしてが集団の圧力を利用してなされていたし、校則だって変更の手続きは与えられず上から押しつけられたものに過ぎなかった。民主主義教育のためには、口先で平和を謳うのではなく、個人を抑圧するその手の学校の運営手法そのものだったのに、そっちは温存した。民主主義教育はただのポーズに過ぎなかったからあっさりひっくり返されたってだけの話じゃないでしょうかね。(2017/03/17)

ところで、現代の日本は個人主義が行き過ぎており、国家に害を及ぼしていると考える政治家は、どこにその根拠を求めるのでしょうか。少なくとも、現在の日本で問題となっている少子高齢化、不景気、格差の原因は、構造的なものや時代の流れの結果であり、決して「行き過ぎた個人主義」が原因ではないはずです。(2017/03/17)

先ず、教育勅語で道徳を植え付けられた戦前の日本人が現代よりモラル意識が高かったとか言う事実はありません。例えば第一次世界大戦の好景気に沸く日本社会が高度な道徳に支えられていたかと言うとそんな事はない。当時の新聞を調査した研究がありますんで調べてみたら良いです。

現代日本が過去の日本よりモラル低下しているように見えるのは個人の道徳が低下したのでは無く情報化社会の産物ですな、あと社会が老齢化してきたとか。老人はとかく過去を美化し未来に絶望しますがそれは死に対する防御心理。歴史事実を見ると現代は過去より素晴らしく未来おそらくもっと素晴らしい、日本国憲法にもある理念の成果ですよ。

それから「良い事を言っているから良いでは無いか」的な方もいらっしゃいますがその手のはちょっと昔の「水からの伝言」「江戸しぐさ」擁護でもありましたな。教育勅語も同じもんだを抱えているのです、根拠が嘘や出鱈目であったなら道徳も崩壊するのですよ。
将来国民の心と皇室が乖離した時、親不孝を重ね友人を裏切り嘘を平気で吐く国民に堕して良いのかと。ま、敗戦直後の荒んだ社会ってのはもうごめんですわ。(2017/03/17)

昔の記事から・・・
「これまで長い間、様々な局面で私が努力を放棄していたのは、私のせいというより、世の中が悪かったからなのだと思う。」
「ただ、バリアフリー環境が貧しい国(イタリアとか)では、その分だけ街を行く人々がベビーカーや車椅子の通行者に非常に協力的にふるまうマナーが徹底されていて、総合的に考えると、結局のところ、東京が一番剣呑だ、ということらしい。」

結局、世の中すべてが悪いと考える人の記事ですから、そのつもりで読めばいいんじゃないですか?(2017/03/17)

とりあえず、森本学園問題は、安倍政権を襲った初めてのショックといっていいでしょう。
野党党首に言いたい。
「これで勝てねば、貴様(ら)は無能だ」
と。(2017/03/17)

教育勅語に欠けているのは個人の尊重です。
個人主義に自分勝手が含まれることを私は認めます。ということと、個人としての自分の負の部分と対面せずに成熟はありません。
国・社会・家族・会社・友情は、個人の尊重としばしば対立します。
集団が大事だからといって、個人が尊重されないことは望みません。そこに矛盾を認めます。個人・国・社会には必ず負の部分があります。負の部分を排除せずに、目を背けずに かかえながら向い合うことなしに成熟はありません。

私たちは公の秩序や義務で人権を抑圧する国を批判しますが、個人が集団の論理の前で理不尽なめにあっていることを批判しますが、批判する国と同じことをしてはいないかという疑問をもつこと、自らを客観することから避けているように見えます。

国・社会・家族・会社・友情で理不尽なめにあうのは運用が悪いんだというだけではなく、上手く運用などできないと考えねばならない。
人間のどこまでいっても未熟であるという前提にたてば、個人の尊重と公共の福祉(他の人権)というのは良い知恵です。

自らの負の側面と対面することなしに成熟はありません。人間の未熟さをかかえた深みがある社会を望みます。(2017/03/17)

子どもに朗唱させてもよいことと、朗唱させてはいけないことの境目はどこにあるのか。

それは、その子どもの思考や思想の自由度を奪っているかどうかで判断できるのではないかと記事を読んで思いました。

つまり、九九は子どもの思考をより自由にするのに対し、教育勅語は子どもの思考から自由を奪う。それがたとえどんなに正しく素晴らしい思想であったとしても、子どもに朗唱させるべきではないと私は端的に考えました。(2017/03/17)

戦後民主主義に対して、私も含めた世代的な共感というか、憧れみたいなものが、否定されつつある現状は、小田嶋さんが感じているように薄ら寒い、気味悪い感じを禁じ得ません。

そうした中、今回の固定概念を外しての記事には大いに啓発されるものがありました。

私の考えのポイントは以下の点です。

・個人という概念はもともと人間という存在を人や社会や世界との関係性の中に見出していた日本人にとって、しっくりとこない、本質において掴みづらいところがある。

・そうした日本人的な人間観は、本来は多様性の否定ではなかったはずである。

・むしろ天皇制における中央集権は明治以後の欧米的な個人主義と同時に導入されたものである。

・様々な集団に様々な形で関わることで矛盾する多様性を同時に持つことが日本人のメンタリティの根っこではないか。

・そうした日本人的なメンタリティをファシズムや中央集権、戦前の滅私奉公ではなく、むしろ多様性を肯定し、グローバリズムに対するアンチテーゼとして確立できないか。

・教育勅語のような古い道徳の復活ということではなく、個人主義を超越し、多様性を肯定する道徳観を確立できないか。

・ワンピース的であっても中央集権でない、教育勅語でもない日本的倫理観を真剣に考えるべきではないか。

こうして書くと単純なようですが、これまで数多の知識人がなし得なかった困難さもありますね。
戦前を否定しつつ、欧米とは別の土着的な倫理観を持つことができないものでしょうか。(2017/03/17)

偏った左翼思想、こんな人だと思わなかった。失望です。(2017/03/17)

「籠池氏、田母神氏、その他多くの教育勅語を愛する人々は何故、法を軽視するのか?そして自分達が絶対的な正義と考えるのか?」
左翼もなー。GHQに洗脳された脳みそで、絶対正義を唱えているようにしか見えませんが、、、
占領中に憲法を書き換えるのは、国際条約違反ですよ。法を軽視したのはGHQであり、それを真に受けて、法を守れって?

親に聞け!祖父母に聞け!
左翼は、左翼言論、左翼文芸に洗脳されているのに、洗脳されたとは思っていない。
そして、特徴は親についての言及が全くないことだ。なぜかというと、左翼の親は、同じ左翼か、逆に非常に保守的な親かだ。そして、左翼的な親のそのまた親、祖父母はおそらく保守的な人間だったのだろう。
左翼の多くは、保守的な親に反抗して、左翼サイドに落ちたのだ。親子の反抗期が、左翼思想を育んだのだ。したがって、親と正反対の思想信条なので、親の話をしたがらない。反抗期のまま大人になって、年を取っていく。親に対する反抗心が、そのまま体制や政府に対する反抗心となる。

オダジマ氏の親は、保守的な父親ではないかと想像する。(家父長的な?)

小生の父親は戦中に小学校に通い、もちろん教育勅語を教育された、しかし、その後の戦後教育で、それを全否定され、空白状態になり、自分の息子に教育勅語についてのコメントを残すことはなかった。
一方、祖父は明治生まれであり、日教組教育を常に批判していた。教育勅語も、書いてあることはまともなことであり、戦後の世の中でも必要なことだ。と言っていた。天皇陛下に関するところを省けば、戦後でも十分に通用するとも語っていた。
君が代問題についても、君が代は世界に誇る美しい国歌である。血生臭い欧米の国歌と比べて、平和で格調高いものだ。君=天皇陛下ではなく、君=国民みんな、だと解釈して歌えばいいと言っていた。

ここに集う左翼の方々の親、祖父母は、教育勅語について、何と語っていたか教えてほしい。
おそらく、親から聞いたこともないとか、祖父母とそんな話をする機会もなかった。と答えるだろう。そういう生い立ちだから、日教組から左翼洗脳されているのだ。(2017/03/17)

教育勅語復古派が現時点で抱えていて、気付いていない問題点が二つ。
一つ目。大正天皇、昭和天皇、今上天皇の意向を無視して、いつまでの明治天皇のお考えを尊重していること。ただし、昭和天皇と今上天皇が教育勅語をどのようにお考えかは憲法の縛りもあって示されていないので、現内閣の考えを今上天皇のご意向とするしかない。
二つ目。教育勅語には「憲法や法律を守りなさい」と書いてあるのに、現在有効な「教育勅語は現憲法に合わないため無効」という国会決議(=広い意味での法律?)を無視している、つまり教育勅語を無視していること。(2017/03/17)

教育勅語のどこが、人間の自立を妨げているのかが よく分かる記事です。
「集団の愛で包まれたい、集団の帰属意識に浸かりたい、個人よりも集団の利益を優先させる。」
日本に蔓延している-集団の圧力-への違和感をどう理解したらいいんだろうと思っていたところです。
テレビの「嫌われる勇気」を見て アドラーの言ってることが知りたくなりアドラーの本を何冊か読みました。アドラーは
「個人はお互いに自立し、そんな個人が自分の周りの人の幸せを考え、他の人が幸せになる手伝いができる時、自分の幸せを感じることができる」と言ってます。
「人を自立させない為の教育」の支柱の一つになっているのが教育勅語だと分かりました。(2017/03/17)

個人を大切にするためには公共心も自国に対するロイヤリティも何もかもが害悪で、常に自分のことだけを優先することこそが正義だと小田嶋さんはお考えなのかな、とまで読めてしまいました。

自然発生的に「祖国の役に立ちたい」と思う気持ちは、全否定されなければならないのでしょうか?(2017/03/17)

「仁義」。良い言葉です。「仁」は私の名前でもあります。しかし仁義を認めるのなら任侠道を認めるのだなと言われても困ります。コンテクスト・社会的文脈が変われば認識も変わります。

教育勅語で言われている概念はおおむね普遍的なものでその一つ一つを取り出せば良いものです。しかし特定の組み合わせで異なる歴史的文脈のなかに置かれると異なる色彩を帯びます。武家専制時代の幕を降ろした直後には未来に開けたものであったかも知れませんが軍閥ファシズムによる災厄を経験した後では未来に開いたものではありえません。

離乳食は乳児には良いものですが成人が頼るものではありません。成人になっているのに離乳食を食べないからといって非難されるいわれはありません。離乳食を好む成人がいてもだからといってとやかく言うことでもありませんがね。(2017/03/17)

戦前回帰・明治回帰の機運には危うさを禁じえません。

また、小田嶋氏への反論される方は、それを持って日本国を否定されているように感じているのも気になりました。
曰く、国外へ行けなどと、どうして言えるのでしょうか?
それこそ、現在日本に対する否定ではないでしょうか。

先日の陛下の「おことば」では現憲法下での象徴天皇としてのあり方を模索されておられることを述べられました。
教育勅語復活を望む人々は、陛下の御心を傷つける逆賊のそしりは免れないと思いました。(2017/03/17)

行き過ぎているのは個人主義ではく、自由主義ではないでしょうか?
本来自由には、責任と義務が根底にあるのですが、自由の解釈を間違って、
人に迷惑をかけてもいいような風潮になっています。
また、個人主義(集団より個人優先)といいながら、結局、日本の
秩序の中(警察や軍隊等)に守られた個人主義でないでしょうか?
集団がいやなら、無人島で自分の身は自分で守ってはいかがですか?(2017/03/17)

まずテキストの内容とはチョイとずれてしまうことを予めお詫びしておきます。

森友学園の幼稚園で行われている愛国教育は、例え右寄りなワタシが見ても気持ち悪いものです。
なのでこれを攻めたくなる気持ちはよく分かる。

でも民主党が、「教育は政治的に中立であるべき」的な主張に力を入れるのはどうなんでしょう?

「教育の政治的中立はあり得ない」

興石元幹事長がそう公言して憚りませんでしたよね。
日教組とズブズブの興石氏らしい、清々しいくらいに正直な立場表明ではありますが、幹事長自らこんな発言をしていた党が愛国教育をネタに使うなんて、また特大ブーメランになって跳返ってきかねませんよ。

国有地大特売に的を絞ったほうが賢明だし有効なのではないでしょうか。(2017/03/17)

別に左巻きでも右巻きでもいいんですが、教育勅語の書いてある文章が危険な思想と思えますかね。思う方は相当どちらかに偏っているか文章能力が相当劣ってると思いますよ。現代文章ではないので違和感はありますが、物凄く端折って簡単に言うと「親兄弟、夫婦、友達と仲良く助け合って生きて行きましょう。自己啓発に励みましょう。」と至極当たり前ですし、子供の教育には同じようなことを常日頃言ってますよね。「友達と仲良く、助け合いましょうね。」って、危険な思想ですかね。多分、気に入らない特に左寄りの方々は、天皇自ら実践するので国民もお願いしますねという旨の勅語と国難が起きたら国のために尽くしましょう...という所ですかね。「天皇」と「国のために」は、朝日新聞や左の方々にとっては、嫌なキーワードですものね。この方面の方々は、すぐ軍靴の音が響いちゃうんだよなぁ(笑)まぁ、小田嶋さんもあえてこうやって批判的に取り上げるというのは、その方面のお方だということで、大変分かり易い。
とは言っても、今時の幼稚園や学校で暗唱させるのもちょっと偏った道徳教育だと思いますよ。時代に合った形で道徳教育は行うべきですね。(2017/03/17)

教育勅語の内容に踏み込まないままの記事に呆れてしまいました。

教育勅語は教育理念として素晴らしい内容だと思います。

理念なき教育が戦後から延々と続いている国家の悲劇を終わらせるために、教育勅語に匹敵する理念を作らねばならないのではと考えます。(2017/03/17)

戦前の日本がそんなにいいならコンビニを使うな~などとコメントされていた方へ。

別に戦前が良いとは思いませんが、国家の枠組みや議会制民主主義を否定し、自分一人で生きていると思うのなら納税などの義務からは逃げないといけませんね。ただし医療費は全額自己負担でお願いいたします。国庫で建設された公道を歩いたりするのも、あなたの思想信条ではやってはいけないことになるんじゃないですかね。
繰り返しますが私としては戦前に戻りたいとは思いません。またコンビニなどのサービスや科学技術を利用するかどうかは教育や思想ではなく戦前戦後という時間軸だけのことなので別の話だと思います。
あなたの思想と矛盾するから行政サービスを利用するなとは申し上げませんし、そのような権利も私にはありませんし、行政サービスは思想信条に関わらず多いに利用していくべきものですが、小田嶋信者の頭の悪さだけはここに晒しておきたいと思います。(2017/03/17)

小田嶋氏はこの文章で「自分が教育勅語について認識不足なだけかもしれない」という下りを書いたまでは良かったんですが、その後も最後まで中身を考察することなく終わっていますね。
結局この方は、
「戦後占領軍によって葬られた戦前の価値は見直す必要はない」
「公よりも私、集団よりも個人が大事」
と読みとれます。

こういう人の文章をあたりまえのように載せる日経ビジネスは特定の思想に誘導する雑誌であり読む価値がないと判断します。(2017/03/17)

森友学園の問題の本質は、「教育勅語」ではなく「土地」でしょう?
そもそも、あの土地になぜ産廃があるのか、マスコミも野党もなぜ調べないのでしょう?土地の価格が下がったのは、いまだに証明されない政治家の口利きではなく、産廃が元凶のはず。
誰があそこに産廃を持ち込んだのか、調べていけば部落解放同盟にぶつかる。なぜそこを取材しないのか、理解に苦しむ。(2017/03/17)

教育勅語にものすごく違和感を感じました。私など戦争を知らない世代がこれを聞いた時、国のために命を捧げるというような内容はいきなり戦前に戻った感じでびっくりです。本当に恐ろしい教育だと思います。「言ってる内容に問題は無いのでは?」とテレビで発言されていた芸人さんがいらっしゃいましたが、内容をきちんと理解するべきです。まさに軍国教育。こういう考えの人が沢山いて違和感を覚えないところが怖いです。(2017/03/17)

教育勅語を愛する人々は,その徳目の実現ではなく,徳目を押し付ける権力が欲しいのである。(2017/03/17)

個人を大切にするというと、すぐ「わがままで自分のことしか考えないこと」と誤解する人が多いですが、個人主義というのは「自分だけが大切」ではなく「自分も含めて個々人が尊重される」のであって、自分のことしか考えないのは個人主義でもなんでもありません。それぞれの個人を尊重するからこそお互いに助け合うことができるのです。一方で個より公を尊重するというのは一見良さそうに聞こえますが「公」の定義が曖昧な上に、それが多数派なり力を持った人なりが「公」になりうること、その「公」がいつも正しいとは限らないこと、その「公」に乗っかる人しか幸せにならないことが問題点です。滅私奉公を担ぎ出すより「個人を尊重すること」の誤解を正していく方が幸せになると思います。(2017/03/17)

教育勅語を賛同する人たちがいる事は事実でしょうが、小生は嫌ですね。私より公が優先される社会は全体主義と思います。それはまるで北か中共のような社会でしょうかね。教育勅語がまかり通る社会・未来を想像できません。そのような未来なら願い下げです。極東アジアがキナ臭くなりつつある現状でも、とても耐えられませんね。(2017/03/17)

「親孝行せよ」とか「夫婦は円満に」とか「社会に貢献せよ」とか国に言われたくない。自分の意志でしっかり判断できるので余計なお世話。国の危機に際しても、守るに値する国や社会であれば家族や仲間のために戦いますよ。(2017/03/17)

私立の学校であれば、多少の変な教育は許されるのか?
私立大学であれば、学生本人が選択のイニシアティブを取るだろう。
しかし、私立の幼稚園、小中高の場合、
本人の選択というよりは、親の選択が多いだろう。

で、愚かな親が、愚かな学校を選んでしまって、
愚かな教育という被害にあうのは、子供なのだ。

愚かな親の意向で、愚かな学校に行かされて、
残念だったね、チャンチャン、で済ますべきではなく、
私立の学校であっても、愚かな教育を施さぬよう、
役所、地域、マスコミ、大人は、目を光らせるべきだ。(2017/03/17)

>森友問題でアベ政権倒れそうですね。

たまに居ますけどこの手の方って本気でそう思ってるんですかね?
それとも煽り?願望?
私の見る限りではむしろ追い詰められてるのは無責任に大騒ぎして引くに引けない野党とマスコミだと思うんですが。(2017/03/17)

ネギをノドに巻くのは科学的に効果があるらしいですよ。(2017/03/17)

あれっ、さっきJR東・・と書いてしまったような・・
CMはNTT東日本のものでした。大変申し訳ありません。(2017/03/17)

JR東日本の、イチローが出ているCMを連想しました。

「イチローはプレイで語っている。
チームの勝利のためなら、自分は主役にならなくていいと。
私たちはどうだろう。チームのために自分の力を尽くせているだろうか。」

この社会状況でこの三行目を読むと、微妙~なひっかかりを感じてしまいます。作者にそんな意図はなくても、サブリミナル効果というかステルスマーケティングというか。(2017/03/17)

森友学園の報道には違和感を感じていました。ゴミ処理が適切に処理されていたかどうか、申請で不正が行われたのではないかという瑣末(ではないか!)な問題でお茶を濁されてしまわないかという疑念が違和感の根っこにありました。小田嶋氏のこの記事は、森友学園問題の核に触れていると思います。なぜ、森友学園の話の中で、稲田防衛大臣や安倍首相といった政治家の名前がなぜ出てくるのか、その底に流れている本質的な潮流に目を向けるべきだと私も思います。世界的にも国家主義的、民族主義的な政治潮流が支配的になろうとしていますが、日本もそれに違わずです。むしろ、先行して小泉劇場のあたりから、そうした流れが起きていた気がします。自民党の国会議員のほぼ(ほぼはいらないかも)全員が、「日本会議」に属しており、言ってみれば「教育勅語」を愛する人々であるという事実を認識すべきだと思います。小田嶋氏が言う、私たちはすでに戦前と同じ時代を生きているというのに全く同感です。私自身は、「教育勅語」を全否定します。内容の一部に良いことが書かれていても、目的が「国民を国家の道具にするための教育」と間違ったものであった考えているからです。(2017/03/17)

この記事を読んで、教育勅語も検索して読みました。確かにヤンキーの思想だという感じがしました。任侠映画で親分のひとが宣うようなことが書かれているんだなと納得し、わたしは親分のために爆弾を巻いて突っ込んでいったりするのは嫌だな、と改めて思いました。教育勅語に愛を感じるひとは、少なくともテロリスト予備軍ではあろうと思います。「緩急アレハ義勇ニ奉シ」は暴力を肯定する文言でしょう。共謀罪が通ったら安部さん稲田さんから順番に逮捕されるべきでしょうね。通ってほしくはありませんが。(2017/03/17)

「敗戦」を「終戦」という言葉にしたときに、今の準備が行われたと思われ。
「公」の前に「私」は存在してはならないのは、明治からではないかと。あのクーデターは良くなかったなー。(2017/03/17)

籠池氏、田母神氏、その他多くの教育勅語を愛する人々は何故、法を軽視するのか?そして自分達が絶対的な正義と考えるのか?

おそらくかつての日本陸軍も同じ思考の持ち主であったろうと容易に推測できる訳で…
もう恐ろしい何て言葉では言い表せません。

教育勅語を支持する若者の多くは、「みんなが良いって言ってるから」というスマホを選ぶ感覚と同じ理由だとは思いますがね。

でもそれが怖いんだよな〜(2017/03/17)

東日本大震災で忍耐強く配給の列に並ぶことをせず、原発事故と聞けば遠く西日本まで逃げて行く。
困っている人を助けず、復興支援に自ら汗を流すこともない。
そんな『個』だけを優先する日本人を称賛するならお好きにどうぞ。
但し、大規模自然災害が多く、人々が手を携えて克服して来た日本国に居るよりも、災害のない平和な国へ移住することをお勧め致します。(2017/03/17)

テキストの一部を切り出しての批評も気が引けるのですが

>ただ、彼らが、占領軍によって全否定された(と彼らが考えている)
>戦前的な美しい日本を「取り戻そう」としていることはどうやら間違い
>のないところで~

のくだりについてです。

美しかったかどうかは別にしても、占領軍が戦前の日本を全否定していたのは事実かと思います。
しかし敢えてカッコ書きで"(と彼らが考えている)"と書かれているのを読むと、小田島さんが、「占領軍は戦前の日本を必ずしも全否定はしていない」とお考えのようにも受け取れます。

小田島さんが意図されたのはどちらかと言えば・・・・・

>ただ、彼らが、占領軍によって全否定された、戦前的な 
>美しい(と彼らが考えている)日本を「取り戻そう」
>としていることはどうやら間違いのないところで~

・・・・・ということでしょうかね?????
これなら占領軍も小田島さんも戦前の日本を全否定しており、少なくとも美しかったとは思っていなかった、という意味に受け取れますので。

些細な事にも思えますが、書き手にとって己の立場が読者に伝わるように配慮したテキストを書くことは、自身の立場を曖昧にすることで保身を図ったり、あるいはミスリードを意図でもしない限りは大事なことだと思います。

釈迦に説法と思いつつも、一筆啓上。(2017/03/17)

アナーキストの小田嶋さんらしい考察でしたね。
教育勅語を恐れ嫌う人々に逆に尋ねたい。最初と最後に当たる、勅語としての文面と皇運隆盛ことあらばってな文面をなくし、口語体にでも書き換えたものならば、良しとするのか、あくまでも反対するのか。
国の公共サービスを享受し、安倍自民党政権のやることなすこと、全て反対。皇室だってなくなればいいと思っている、個人主義の皆さんは、日本という国を離れ、どこか南の無人島あたりで個人主義を貫いて生活すればいいんじゃないのかと思います。医療保険もなく、骨折したらしっぱなしの、どこか暮らしやすい個人主義の貫ける島があるんじゃないかと思うのです。(2017/03/17)

戦後民主主義教育の中で個人の尊重の教育を続けてきたと思っていたら、知らぬ間に自民党や大阪の準与党は集団の尊重と個の否定に走っている今の社会があるという理解は確かに共感するものです。集団最優先の思想は日本のアジアの仮想敵国と同質の中味になってしまうのですが、それでも中韓憎し、素晴らしき日本を守ろう、のかけ声で近視眼的な妄動に同調したがる若い人が増えてきたのは、欧州の動きやトランプ礼賛と同じような背景かもしれません。救われなくなったと思い込む人たちをしっかりと社会として意識し、社会の重要な自立した個人として取り込まない限り、またまた世界を相手に喧嘩する北朝鮮並みの国家に戻ってしまいます。(2017/03/17)

堂々と書いてくださって、主張してくださってありがとうございます。(2017/03/17)

どうして、教育勅語の内容や具体的背景に踏み込まないのか。
一体この文章は何を論じているのか。
具体的な話をなしに、どうやって「良いもの」か「悪いもの」と区別できるのか。
記事内でも書いている通り、よく知らない人が多いはずだ。
もう少し考えてほしい。(2017/03/17)

教育勅語に関して、一部に強烈な違和感を、残りの大部分にそれなりの肯定感を持っている「味噌を入れ替えるべき」人間です。明治神宮でもゆっくり熟読しましたが、やはり違和感と肯定感の共存は変わりません。しかし、こうやって全否定したりドーナツと堂々と揶揄できるのは良い世の中です。オダジマ節を聞ける未来であって欲しい。オダジマ節を聞けない未来であって欲しくない。(2017/03/17)

「戦前の日本の子供たちを皇軍の兵士に仕立て上げるにあたって大きな役割を果たし、そのことで一度は教育現場から追放された教育勅語が、」
これこそが、GHQによって洗脳された証であり、日教組の申し子である「赤軍の兵士」に仕立て上げられていることを雄弁に語る。(2017/03/17)

小田嶋隆さんのコラムでコメントがゼロといことは無かろう。
それだけ今回のコラムが教育勅語LOVEの人たちの根幹に触れ、手が付けられなくなっているものと推察する。炎上どころの騒ぎではないのでしょう。
社会で習った「教育勅語」。私も内容は深く読んだことはありません。「教育勅語」という言葉が醸し出す”有難き御言葉ぽい”モノは感じるけど、否定する材料をこれまで持っていなかったのも正直なところです。
私はどちらかというと集団に群れて仲良しチャンと手をつないでいくのは好きではありません。ひとりか少数でいいと思う。(2017/03/17)

「どうして、一部の人々は腐ったリンゴに執着するのか。」
憲法9条こそ、腐ったリンゴいや、毒リンゴではないのか?
こちらが聞きたい。
どうして、一部の人々は腐った九条に執着するのか?
現行憲法だからというなら、改正すべきだと答える。(2017/03/17)

 トランプ現象やブレクジットなど現在、世界で歩調を合わせるように起きている動きは、グローバリズムの行き詰まりによって民主主義の正当性普遍性への疑義が生じていることの現われだろう。「行き過ぎた個人主義」などもこうした文脈でみる必要はある。現在の民主主義が多くの問題を抱えていることもたしかなのだ。
 一方で教育勅語に象徴される「個よりも公」といった価値観にも一定の論理的正当性もあり、日本人の自然な感情思考に馴染みやすいというのもたしかである。しかし、このような日本人に染みついたイエの思想や集団主義が全体主義に結びつきやすいのも、悲惨な過去の経験から我々はすでに知っている。
 私はとくに戦前社会が公の美名のもと実は我欲を貪るのに利用されていたのではと思っている。江戸時代、武士はたしかに威張っていたろうがカネはなく、武士は食わねどの清貧に甘んじており、むしろそれなりに豊かな町民農民の揶揄の対象だったりもした。明治以降の教育勅語的な世界では、江戸の儒教が天皇をいただいて中央集権的装いになったが、資本家、地主、役人やら一部人間の我欲に利用され、労働者農民らが搾取される格差社会となった。そんな我欲に駆動される帝国主義が大戦という破局で終わったのは幸いな面もあった。
 しかし、アメリカ支配の戦後民主主義も、広大な国土、進んだ工業生産、特に石油などに支えられた豊かさあってのものだったことは、今から見れば明らかだ。そんな恵まれた状況が長続きするはずはないのだから、民主主義を見直す必要があるのもまた必然なのであろう。
 結局、世界は戦後民主主義vs戦前回帰のような二項図式で捉えられる事態ではすでになくなっており、民主主義をいかにバージョンアップするかというのが課題になっていると思う。(2017/03/17)

小田嶋先生のおっしゃることもっともだと思います
個人と公の綱引きのような状態で
今は公側が引っ張る人が本当に多くなっています
小田嶋先生はヤンキー文化と切って捨られており
それは全くその通りだと思います

ただ一つだけ意見を書きたいのは
日本人といえども生まれたときの自然状態では
他の個人主義に重きを置かれる国の人々とも
個々に持つ多様性に差はないだろうということです

その中には付和雷同に生きなければ不安になるような人
和や集団を優先して生きていきたいと思う人もいれば
逆に
自分の主張を断固言いたくてたまらない人
国などに頼りたくない自分の人生は自分で責任をとるという人
強者には常に反発心を抱く人

そんな色々な性情の人がいると思います

人類もまた生物であり
生物が本来持つ個の多様性は
たかが二千年程度極東の小島に籠もっていた程度で
変わるわけはありません

しかし日本人は日本の社会で生きていく中で
多くの人々が「自分の持つ生来の性情の如何にかかわらず」
日本社会にあわせた最適化をしながら生きています
個人の思いが強い人はそれは並ならぬ苦労があるでしょう
人間は社会の中でしか生きていけません
有り体に言えば、日本では「組織や集団の論理などクソ食らえ」といっていたら飯が食えません
そんななかで多くの日本人は、しかたなく、どうしても、くるしくとも、
公を尊重する日本社会に最適化する道を選んで来たわけです

そんな人々は「お前らが頑張って最適化してきた論理はクソ・無意味」と言われても
頭では理解できても、心で納得することは出来ません
それが今報道媒体が不信感をもたれている要因だと思います
小田嶋先生のようにロジックを十分に理解する提言者の方々には
パッションに目を向けて、どのようにすればその不信感を超えて
話し合っていくことが出来るのかに腐心していただけないかと思います

もちろん小田嶋先生は数少ない筆持つ尖兵の一人だと思いますので
現在のようなスタンスでの発信がその役割だと自認されていると思います
ただそれに共感する方、続こうとする方がいるなら
パッションに目を向けることを一考いただきたいと思います(2017/03/17)

しかし、その価値観ベースの社会が前回は負けたという事実もあるし、今現在、そのような道徳の下で空気読んだり忖度したりしている社会の脆弱性が表面化し、かつ経済的にも成功していないというか凋落しつつあるというか着実に後ろに進みつつあるという状況において、どのように評価されるべきなのでしょうか。(2017/03/17)

明治の文明開化においても公と個人のバランスは日本人に突き付けられた課題だったはずだが、その後の大きな戦争に突き進む原動力となった個人の権利を極端に制限する考え方に大きく振れてしまったのは、個人の未成熟が原因のひとつだと考えられる。
戦後民主主義は、権力の集中にさまざまな制約を設け、個人の権利の重要性を強調して偏ったバランスを是正しようとしたはずだが、またここにきて同じような方向に時代が振れ始めている。
公と個人のバランスと一概に言うが、公の実体とはなんだろうか?
「公共の福祉」といえば誰だってそれは必要なものだと分かると思うが、一部の権力が公の仮面をつけて自分の考え方を一方的に押し付けてくるとなると、それは他の個人の権利を不当に侵害し始める。そう考えると、公共の福祉自体がすでに個人と個人のバランスで成り立たっているものだ。個人の間のバランスを保つために、主に自分を引いてバランスをとるのが日本的な美徳で、自分を押し合ってバランスをとるのが欧米流といったところか。権力側からすると、日本的な美徳は都合がいいかもね。(2017/03/17)

彼らを通じて作り上げようとしていた世界を知りたい⇒森友学園に入学して勉強しましょう。
教育勅語が腐ったものではなく、発酵して効果が100倍にもなった物だと理解できますよ。
過去の物を色眼鏡で見て全て否定し、現在こそ最良だという考え方には賛同できません。(2017/03/17)

形式と中身の切り分けが必要なのでは。形式的には否定された勅語を公務員が擁護するのはダメでしょうというものか。中身は、でも部分的にはいいことも書いてあるんだから、それを支持する人はいる、ということか。コラムの論点として、著者が悪と理解してた事項について明確でなく、その認識と大臣たちの発言とどのように衝突するのかが良く分からない。形式と内容を分離して議論すれば、理解できる話だとは思うが。分離できないというのも著者の視点ではあろうが。(2017/03/17)

教育勅語が老若男女に受け入れらているとはあまりに思えません。根拠の薄そうな仮説に基づいて議論を展開されてもほとんど入ってきませんでした。

ついでにいえば、教育勅語と疑惑の問題をごちゃまぜにして一学校の教育方針を外野がよってたかって叩くようなやり方は見ていて気持ちの良いものではありません。印象操作、ネガティブキャンペーンみたいな報道の姿勢を感じます。従いまして、この学校の問題に絡めて教育勅語の問題を語られても受け入れる気にはなりません。やるなら、今回の事件とは切り離した議論を聞きたいものです。(2017/03/17)

社会世相の不安や首相の国家観を利用してうまい汁を吸うために教育勅語を標榜してるに
過ぎないでしょう。
世相の不安をもたらすのは北朝鮮の核兵器やSLBMなんだけど、筆者は不安を感じてい
ないように見えるけど、筆者は北朝鮮が日本を攻撃しないと信じるべき理由、あるいは攻
撃されてもかまわないということなのか、どうなんでしょう。(2017/03/17)

とりあえず、「国民は国家のために死ななければならない場合がある」というのは当然の話ですよ?
だから連合国「軍」が日本を占領できたわけです。
自分が何もしなくても人権は永久に保障されるという考え方が支配的な第二次世界大戦後の日本こそむしろ異常なのであって、戦前への回帰、まことに結構なことですわ。(2017/03/17)

私は「教育勅語」のどこが問題なのか判らなかったのですが、小田嶋さんが「教育勅語」になぜそれほどにも敏感に、脊髄反射的に嫌悪感を催すのか判った気がします。
ところで、アイザックアシモフというSF作家の「ロボット三原則」はご存知だと思いますので、詳細は省きます。アシモフ氏はこの三原則にも矛盾が存在することに気が付き、晩年、第0条を創作し、第1条を改訂ているのです。
▼第0条、ロボットは、人類存続の危機を看過してはいけない。
▼第1条、ロボットは、人に危害を加えてはいけない。ただし前項第0条に反しない場合に限る。
(以下、略)
つまり、人類存続の危機がある場合、ロボットは特定の人間に危害を加えるのはやむを得ない、としたのです。
何を言いたいかというと、アシモフ氏は個人よりも集団としての人類を優先としているのです。私個人としては、集団のために個人を犠牲にする勇気はありません。また個人を犠牲にできる程の集団に存在しているかも疑問です。しかし「教育勅語」の言いたいことは理解できるし、受入可能です。(2017/03/17)

私も常々、不思議に思います。
戦後の国民主権の教育を受けている人達が、何が良くて「教育勅語」を良しとするのか。
そんなに個人主義を否定し全体主義を賛否するなら、何故「スマホ」などの端末に取り付かれるようにして過ごし、他者との関係を否定するのか。
全く理解できません。
過去の負の遺産を賛否する自民党議員は結構います。森友学園の教育勅語暗唱の様子を見て、賛美を送った議員は、自民党が一番多かったとか。
公益よりも、出世をもくろむ自益を優先してなのか分かりませんが、見苦しい限りです。(2017/03/17)

今回の立論は岸田秀氏の「日本近代を精神分析する」を思い出しつつ読ませていただきましたが、大筋においてその予測は正しかろうと思います。敗戦によって抑圧された内的自己が70数年を経て回帰しようとしているわけで、当然そういうエネルギーは敗戦の瞬間から胎動していたはず。憂鬱な未来像についても大いに同感です。自分自身の中の内的自己に飲み込まれてしまえば危惧はむしろ喜びに転化するのでしょうが、そうはなりたくないものです。ところで、両大臣にせよかの理事長氏にせよ、教育勅語の現代における愛好者が作り上げるのはおそらく戦前の復活と言うよりも戦前のパロディのような社会ではないかと思います。例の幼稚園のありていな姿はとても戦前のような厳粛さを備えず、きわめてゆるいというかたるんだというか、御真影の掲げ方にせよなんにせよ厳かさを欠くものとの評価を見たことがあります。日本を知らない外国の料理人に日本料理の名前だけ教えて料理を再現させる番組を見たことがありますが、あんな感じのパロディが現出するのではないか。それは本物の戦前が良し悪しは別として備えていたシンプルな一貫性を欠いた、現代と戦前の異様なキメラのごときグロテスクなものではなかろうかと危惧するところです。(2017/03/17)

教育勅語を復活信奉する者ではありませんが、昨今の日本の道徳的乱れはかなり気になります。

例えば福島県避難者に対する態度や接し方。
絆やお・も・て・な・しの国などと世界に誇りながら、生徒はおろか先生までも対象生徒への面白半分のバイ菌呼ばわりや陰湿なイジメ。おもてなしや絆などと上っ面の響きのいい言葉だけで何の思いやりもない国と言われても仕方ないでしょう。

思うに、これらの事象は教育勅語的道徳思想の欠落というより、幼少の頃から日本人の大多数が無宗教である事に起因していると思えてならない。(2017/03/17)

戦前のヒトラーのように、偉大なドイツ民族ならぬ美しい日本という幻想にすがってるだけではある
問題はそこにすがるしかない日本人が多数いるという現実
強者が上から分析してヤンキーなんて言ってるようでは只の風刺にしかならないですよっと(2017/03/17)

>私の思うに、大げさに言えば、戦後の平和教育ならびに戦後民主主義の敗北ないしは解体を意味している。

小田島さん的には日教組による戦後の平和教育って正しいものなんですかね?(2017/03/17)

今から30年ほど前、「陸(おか)サーファー」という言葉が流行った。当時サーフィンが流行し、サーファー達がもてはやされていた。サーフィンをする努力も根性もないのに、女性にモテたい一心で、サーファーに多い服装や髪型にし、使うことのないサーフボードを車に積んで、街中に出没しては、ナンパを繰り返すような連中のことを実際に海に入ることがないので「陸サーファー」と軽蔑した感じで呼んでいた。
彼女を作るという自身のメリットを得るために、上辺だけサーファーきどりだった訳だが、最近のやたらと愛国を強調する政治家や評論家、タレント、幼稚園園長たちは、一定数いて安定した「愛国市場」から支持されることで、自身の立場を強固にするというメリットを得ようとしているとしか見えず、「陸サーファー」と同レベルだと感じる。
加えて言えば、首相が愛国的な思想の持ち主なので、それに同調することのメリット、「寄らば大樹の陰」もあるのだろう。
心底の愛国者からすれば、こういう上辺だけの連中が、中途半端な意見を吹聴することで、本来の思想が捻じ曲げられて解釈されることへの反発もあるだろう。真摯にサーフィンをしてきた人の、ナンパに一生懸命な陸サーファーへの嫌悪感と似ている。
目先のメリットのための「愛国者」をあぶり出す必要があるだろう。(2017/03/17)

思い出した!
変な髪形の人を崇拝する学校が日本に沢山あるんですが
そっちは記事にしないのでしょうか?
教育勅語よりも、よっぽど過激だとおもうのですが、
いかがでしょう(2017/03/17)

>疑惑の核心はカネの動きと職務権限
確信はどう考えても共謀罪成立の妨害でしょ?(2017/03/17)

今回はなかなか考えさせられる内容でした(私は教育勅語にも一分の理があると考える立場です)。思うに我々が総体としてどのような価値観に基づいた集団を目指すかという論点に帰着する問題だとは思います。
以下、感想をつらつらと…
「戦後の平和教育ならびに戦後民主主義の敗北ないしは解体」と言っていますが、この教育の行き着いた先が「みなでお手々をつないでゴール」する姿だとすれば、これは究極に個人主義を否定した教育ではないでしょうか? 我が子の小中学校での教育風景を見るに、「悪平等に根ざした徹底した個人主義(や競争)の排除」を行っているとしか思えません。同様の感想を持つ親が一定数いても私は不思議に思いません。
氏のように、戦前の全てを否定する勢いの考え方の人が一定数居ることは理解しますが、戦前の日本は評価するに値する国であったと思いますし、戦中についても反面的な部分も含めて学ぶべき所は多々あると思います。
森友事件?どうでもいいですよ。どのような時代であっても右向き、左向きにかかわらずあのような輩は一定数湧いてでるもので、その時代の判断基準に則り粛々と処理すべき問題だと思います。(2017/03/17)

小田嶋さんは教育勅語を偏見無しに読んでいるんでしょうか? はっきり言って、内容はそんなに大した事は無いですよ。上場企業の社訓を漁れば、このくらいの事を書いているのは幾らでもあります。ご自身が社会性が無い劣等感なのでしょうが、過敏反応し過ぎですね。
後、森友問題も政府側が積極的な政治的後押しした形跡はどこにもありませんよ? 基本的には学長が金の無心とか推薦者とかになってくれとか周囲へ言って、拒否されているだけです。昭恵氏のみが記録に残る形でプッシュしていたくらいです。後はただの推測ですね。政府を批判した妄想とも言えます。認可の問題も、橋下さんが間違っていた、自分の責任と述べています。
後は、例の土地費用の件も、本来は工事費用も含めて妥当な金額はいくらか検証すべきです。どのマスメディアも政治家も妥当性を全く検証しませんけどね? そして、差分の金額がどの程度あって、それが不適切な金額の高さがあれば批判されてもいいでしょうが、政府側の関与が無ければ自民党の批判には当たらないでしょう。
批判ありきの記事はもう止めて欲しいですね。(2017/03/17)

教育勅語は別に腐った食材ではありません。日本の敗戦後3年たった1948年5月にGHQなどが、衆参両議院の文教委員会の委員長を呼びつけ、教育勅語を否定する決議をするように口頭で指示した結果、衆参両院で失効となったわけです。その証拠に両議院とも委員会の審査を省略する形で、決議案が直接本会議に提出されて可決成立しています。つまり日本の軍国主義を根絶やしにして日本に理想的な民主国家を構築しようとする米国ないし米軍のお仕着せで失効がきまった日本の教育方針だったのです。
教育勅語の12の徳目の1~11までは今でも十分通用する内容だと思います。
1.親に孝養を 2.兄弟・姉妹は仲良く 3.夫婦は仲睦まじく 4.友だちはお互いに信じ合い 5.自分の言動を慎め 6.広く全ての人に慈愛の手を 7.勉学に励み職業を身につけよ 8.知識を養い才能を伸ばせ 9.人格の向上に努めよ 10.社会のためになる仕事に励め 11.法令を守り国の秩序に遵え 12.国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう
きちんと内容を精査せず、これらを真っ向から否定するオダジマさんの思考の方が心配になってきます。もしかして迫り来る北爆から人民の目をそらすためにやってます?(2017/03/17)

教育勅語=道徳精神+天皇主権+(少々の)軍国主義洗脳ツール、と言う認識の人らは、教育勅語-軍国主義=麗しき道徳精神+天皇崇拝=スバラシーニッポン!となるんだと思うが、教育勅語=キモイ道徳観念+天皇マンセー+全体主義布教ツール、と言う認識のその他から見ると、教育勅語から何を引いても、まともなものは残らん!となるのだからこのギャップは何処までも埋まるはずがない。賛美者には見えない角度から見てるんだと言う事を言わないと、何で?いいこと書いてあるじゃん!としか思えないんだろう。その道徳観念自体が嫌なんだよー、やめてよ、こっちくんなよ。って事かと。(2017/03/17)

なるほど、と思いつつ、昨今のPTAへの加入を巡る議論との関連性を考えました。
自分の責任が直接見えてこない「国」(総論)では、ヤンキー思考で優越感を感じたい。自分に責任が見える「学校」(各論)では個人主義。実は「国」が求める責任のほうが恐ろしいのに、そこは顧慮されていない。そんな「感覚的」な行動なのではないかと思えました。(2017/03/17)

日本は思想信条の自由がありますので、森友学園がどんな教育をしようが私立である限りは自由の筈ですよね。そうでなければ各国が設置している自国民の子供の為のスクールは駄目だし、森友よりも危険な反日教育を推進する朝鮮学校は即時取り潰さなければなりません。
何故教育勅語が蔓延するのかと自分が考えるのは、やはり日教組の自虐教育の反動ではなかろうかと思います。もう直ぐ日教組も絶滅しますから、小田嶋さんが心配しなくても、その内に収まるんじゃないですか。(2017/03/17)

あらぁー?パンくずかよ、ケーキくずじゃないのかよ!と思ったのは私だけ?(ていうかお約束の突込みどころでしたねW)(2017/03/17)

小田嶋氏が教育勅語を忌み嫌い、そこに含まれる集団主義的な考え方に嫌悪感を示されることはよく分かるが、

教育勅語の是非、と言うか、明確に教育勅語を嫌っている人たちの側にも、
>「「私」よりも「公」に高い価値を置き、個々人の自由よりも社会の秩序維持に心を砕く社会の実現」
それ自体は良い事だ、という考え方は、実は勅語が大好きな人たちと共通しているのではないか。

これから我が日本国は貧しくなるのだから、経済成長はもはや望めないのだから、皆で一緒に貧しくなりましょう、皆で一緒に「ともだおれ」を目指しましょう、と言っている人たち。
つい先日も、日本は移民を受け入れるのは無理!と主張して炎上した東大のフェミニズム系の老教授が居たけど、一般に「教育勅語」とは相反する立場に居るであろうと思われる人たちの中からも、以前では考えられない程正直で露骨な集団主義や、個人主義の否定が見て取れるのではないか。

つまり、小田嶋氏が、既に「平均的な日本人のごく当たり前な多数派の思想」となったと思われる「個人主義嫌い」というのは、実は自分のお仲間だと思っている人たちの間でも、極々当たり前の考え方として浸透している。教育勅語に象徴される集団主義的な発想を払拭するだけの、強烈な個人の称揚を是とする思想や価値観を、何一つ提示出来ないでいる訳です。

戦後の平和教育や、戦後民主主義を裏で支えていたのは、一種のインターナショナリズムだった。それが今日失効し、その代わりとなる身も蓋もない現実の現れとしてグローバリズムが存在している。なので、例えば中国と積極的に交易しましょうとか、そういったことを言い出すのは、朝日新聞ではなく、日経だったりする訳で・・、

何が言いたいかと言うと、小田嶋氏のグローバリズムに対する立ち位置。それに対して、氏が集団主義を排除しようとするのであれば尚更、再考を要するのではないか?ということです。(2017/03/17)

小田嶋さんのコレはもはやアレルギーみたいなもんだから仕方ないとして、編集さん、もうちょっと上手い舵取りしたほうが・・・炎上マーケティングのつもりなら止めませんが。(2017/03/17)

オダジマさんが何か心配してるみたいなので
ここで一丁かましてみましょう!

 難しく考えてはいけません
 全体主義を恐れてはいけません
 かつて単細胞生物が群体して集まり
 やがて多細胞生物に進化して行った様に、
 各個人がより高度な秩序の集団として
 より高い存在として融合していくのは
 知的生命体の神への進化の道なのです

こんな感じでどうですか?

それからオダジマさんはひょっとして
早九字:「臨兵闘者皆陣烈在前」 じゃなく
八徳字:「仁義礼智忠信孝悌」 でもって退治されたりします?
(平成版で智→知・悌→貞 でもいいかな)

あと以下の熟語(呪文)でダメージ食らったりします?
清廉潔白・公明正大・品行方正・質実剛健

なんか 『そうかも』って思ったんで・・・(2017/03/17)

こらまた,「善意」のネットサポーターズの工作員の方々が群がりそうなネタを投下しましたねw
言いたいことには賛同しますが,今回はやや精彩を欠いているかな,と印象を抱きました.
私も教育勅語といえば,山縣有朋が作った「洗脳教育のツール」,「全体主義の象徴」ととらえるのが常識だと思っていたので,嘘しか言わない稲田ほか,周辺の生長の家系の人々の言っている意味がよく分からなかったのですが,
どうやら「教育勅語」は最近,超訳されて出回っているらしく,「道義国家」とかいう訳の分からない言葉も,どうやらそこが出所のようです.「国=天皇のためにタヒね」の部分も当然のごとく消えており,「みつを的箴言」程度にしかとらえられない人がいても仕方がないのかな….と思います.

あと,個人的には
>われわれは、ひとつになることが大好きで、寄り添うことが大好きで、自分たちがひとかたまりの自分たちである状況に強い愛着を抱いている。

これをレッズファンに向かって小田嶋さんは言えるのか,ということがとても気になります.
さらに付け加えるならば,「大好き」というよりは,むしろそうしていないと不安で不安で仕方がないのではないかと思います.人間のそうした弱さを支える部分が日本では空洞化しているので.(2017/03/17)

小田嶋さんのコラムはいつも楽しみにしています。今回のコラムも時勢に乗った旬なもので、どんな内容になるか大変楽しみにしていました。ただ、教育勅語の内容に触れられずに、あんぱんの皮ばかりつつくような内容で、肝心の「あん」に触れない内容だったのは少々いかがなものかと疑問を覚えます。教育勅語の賛否は別に置いておいて、そもそも教育勅語が何だったのか小田嶋さんの言葉で「あん」を練ったコラムでないと、それこそ中が空洞のドーナツのようなコラムだったように感じます。(2017/03/17)

過激なまでの一方的な論調。先の大戦、英・米サイドでは特攻は狂気にも思える行為だったに違いない。特攻を再現させないプログラムを作成、徹底したプロパガンダを実行し、日本人を骨なし(精神的白痴)に改造した。著者は愚かにも、これに侵されているとしか思えない。
「教育勅語」の言辞にアレルギーを持っている人は、内容をよく吟味すると至極当然のことと思えるに違いない。(2017/03/17)

なんとなく、モヤモヤしていたものが吹っ切れました。そうですね。私もドーナツにはなれません。ただ、パンくずをバカにしないでいただきたい。それぞれがそれぞれの頭で最良のことを為すことだってできるのです。上から目線よりパンくず目線で公僕は仕事をしていただきたいですね。(2017/03/17)

宗教系の学校も同じ様な問題が有ると思われます。
神の存在が証明されたわけでもない、理屈に合わない腐りきった古代の自然科学の話を持ってきて、そのために生きよと命ずる宗教。これの存在を排除できないと、同じ問題は繰り返されると思います。
その件数は、おそらくこの学園の何倍にもなるでしょう。
宗教の自由を妨げ、偏った思想を植え付ける教育勅語や宗教を教育の現場から徹底的に排除しなければなりません。ここは北朝鮮ではないのですから。もちろん北朝鮮が悪いというわけではありません。(2017/03/17)

稲田が救いようのないバカだということは一目瞭然だが、
松野もここまで狂人だとは知らなかった。

で、教育勅語&松野の解釈によれば、
われら日本国民は一致団結を愛する民族らしい。

だが、籠池騒動と日本会議の超絶薄情ぶりを見ていると、
あの連中は、戦前日本ファーストというより、
自分ファーストなだけである。

三権分立が機能していて、
CNNの男前記者がトランプと壮絶な怒鳴りあいをするアメリカに比べて
わが麗しの日本の何たるチキンぶりよ。

籠池に同情している。

仲間だと思っていた相手に、あんたなんかしらんと言われたら、
普通の人間はリベンジする。(2017/03/17)

「事実、この勅語に関しては、「憲法の理念に反する」として1948年に衆議院で「排除決議」が採択され、あわせて参議院でも「失効決議」が採択されている。」
同じように衆参両院で、当時の共産党を含む全会一致で決議された戦犯問題が、その後忘れられた存在となっているのは何故なのでしょうか・・・(2017/03/17)

▼ ちょっと考えが極端かなあ、と。ワザとですかね? ▼ わたしも老若男女問わず公共の場でのマナーの低下に辟易しておりますが、そういう人達を生み出さない為にもちょっとは教育勅語を学んで公共性を学べよ、と思う程度です。公共マナーの悪さは公共性の無さ、他人への無配慮であって、それが行き過ぎた個人主義であるという主張は間違っていると断言します。▼ 個人主義と謙虚さは両立します。寧ろ個人主義を標榜するなら謙虚であるべきです。個人主義の敵は同調圧力であり、それに卑屈な態度で応えてしまう精神です。考えることをやめた時、個は個でなくなります。教育勅語そのものは公共性がない獣にしつけをするという意味でアリだと思っていますが、勅語の解釈は、獣から人間に脱皮するためにも、絶対に自身で考え咀嚼し判断するべきです。▼ 筆者が危惧する勅語の『公の価値、集団性の道徳』は、本人が勅語をそう解釈したならそれで良し、それも立派な考えです。憎むべきは、勅語の個人的解釈を更に派生させ、集団性、滅私奉公の精神を他人に強要する輩です。こんなのが蔓延るとあの暗黒時代、昭和10年代に逆戻りしてしまう。そういえば最近森友学園という好例がありましたね。あれは「勅語に基づいた教育」を施そうとしたのがそもそも間違いでした。▼ 集団性や和の精神は、個々人が心の内に秘めているだけなら何も問題ない。しかしそれを他人に教育、特に指導するとなればこれは看過できない。もしそんな世になれば、喜んで筆者と同じく一片のパン屑になって、下からドーナツを眺めてますよ。(2017/03/17)

パン屑で良いという人は、作家、絵描き等、一部の特権階級に多いのだが、一緒に仕事をすると、この方々は時間にルーズで権利のみを主張し、まぁ面倒くさい。それだけの技能があるから当然とも別に思わないので、より組織の理論に従う方にすげ変えていくわけだが、何というか「まとまりたくない」というのが、屑の言い訳に聞こえるのが駄目なところに感じるのです。(2017/03/17)

私学がどういう理念で教育しようと
法律違反や反社会的行為でなければ
OKと考えています

普段は多様性とかいってる文化人の
方がこの手の話題に限って偏狭に
なるのは何故なんでしょうかね?(2017/03/17)

成熟した人もしくは国家があるとすれば目を背けがちな負の部分と対面していることは欠かせない。
個人が自らの負の側面と対面しないでどうして成熟できるでしょう。

自らのダークサイドと対決しなくてはなりません。フォースを信じて。(2017/03/17)

普通の日本国民のつもりでいるが、「教材として用いることは問題としない」との閣僚の言葉の何が問題なのか?
相変わらずの反体制気取りの記事にはうんざりした。(2017/03/17)

小田嶋さんがなぜ「ひとつになることが大嫌いで、寄り添うことが大嫌いで、自分たちがひとかたまりの自分たちである状況に強い嫌悪を抱いている」のか、そちらの方が気になります。何がそこまで小田嶋さんのトラウマになっているのか分析してみたいです。
まあ、とあるマイノリティの一員である私でもこれほどの嫌悪感を抱くことは無いのに、小田嶋さんの無頼気取りは正直「ヌルい」としか思えませんけど。(2017/03/17)

教育勅語が日本の国柄を代表しているとは思わないけれど、八紘一宇のような思想を日本人が国柄として何とはなしに意識していることはワタシも本当だと思う。
そういった考え方を政治家が発言すると戦争と結び付けての批判になりがちだし、小田嶋さんのようにチームが嫌いな方には 教育勅語=ファシストの愚民教導ツール みたいな論評になるのだろうけれど、先の戦争を引き起こしたのがそういった私たち日本人が無意識に意識している「国柄」のせいなのではなく、戦争に突き進んだのはワタシたち日本人の国としての未熟さが原因だったのではないかと思う。小田嶋さんも言っている通り、戦争の深い反省の上に立っている今の日本の政治家が戦争をしたがっていないことや、平和や日本の安全を目指していることは当然だろう。
一方で、小田嶋さんの言うような「集団よりも個」「個人主義」によって立つ人々がたくさんいらっしゃって、このコラムのような教育勅語的な考え方に反論する自由がきちんとあることこそが、戦後民主主義の勝利なのではないかと思うのです。
ワタシは「日本を取り戻す」的な、いわゆる自民党的な姿勢に反対の方々に逆に言いたい。
嫌味な言い方ですが、偏向的なマスコミの応援にもかかわらず、一向に国民の賛同を得られない現実にこそ目を向けてほしい。国民の支持を得られる自民党との対立軸をキチンと示して欲しい。
小田嶋さんも応援してあげてください。(2017/03/17)

世の中の大半の人はそこまで真剣に教育勅語のことなんて考えてないですよ。
なんとなく「基本的には変なことは言っておらず正しいものだ」という声が大きいので、「ふ~ん、そうなんだ」ぐらいにしか思ってないのが実情かと。かくいう私もその程度。いちいち自分で調べる気も起きないぐらいの扱いです(笑)。
あと、個人主義の方に重きを置くなら集団としての社会福祉にすがるなよ、とは思います。自分が個人で好き勝手に縛られずに自由に行動したい、それが最重要だと主張するなら、困ったときだけ集団に頼るなよと思います。困っても個人で何とかしろ、というのを受け入れるなら個人主義をとことん貫いてもらって結構です。(2017/03/17)

パンくずとしてくずな人生を過ごしてください。
そのうえで鳩にでも食われて鳩のクソにでもなってください。(2017/03/17)

マー良くも自分の偏った思想を前提に講釈を並べたものですね。小田嶋さんがこのように偏見と思想を持った人とは知りませんでした。
相手が嫌がることを徹底してやり少しでも欠陥的反論が出れば。それ見たことかこいつらは差別主義者だ、それをよくやった、もっとやれと某東京大学の税金で生活してる教授が囃し立てる。
合い通じるところがありますね。
小田嶋さんには教育勅語の中身の何がいけないかを言ってほしかったな。昔排除したものだからいけない?だけですか。それでは言論の自由は守れません、占領下ですべてのものが否定され、日本式民主主義(人種差別の禁止や努力すれば・頑張れば報われる社会等々・・・)が排除された時代。共産主義者を良しとした時代。それが今の日本の腐った土台として巣食ってる。そういう時代に決めたことが正しいと思ってるのですか。あきれたと言ううか、恥ずかしい。(2017/03/17)

小田島さんはかなりの個人主義で人に縛られるのがいやな人であるように思われます。自身も書かれていますが、自民党は「行き過ぎた個人主義」を問題にしているわけで、個人主義嫌いではないはずです。多くの人間が関りながら生きているわけで、その人間関係を円滑にするために教育勅語が役に立つと思います。
日中戦争・太平洋戦争を起こした原因は教育勅語ではなく軍部主導の暴走が原因であると思います。(2017/03/17)

全く秀逸な内容でした。自分が思っていることをこれほど上手く文章にまとめられていると感心します。行き過ぎた個人より公を重んじる...こう仰る方々は某(亡)国の総理が行き過ぎた個人主義そのものだとは思わないようだ。考えを共有しているからだろうか?彼らの奉じる思想信条は公であり個では無いと思っている様だ。個人的には受け入れがたい考え方だ。それと憲法違反にも法律違反にも問われかねない教育勅語をありがたく思う人達は押し付けられた日本国憲法より大日本帝国憲法が好きなのだろう。未だに大日本帝国憲法は失効していないと言う輩もいるし。そう思う方々はタイムマシンがあったら1941年辺りに飛んでいって国家を助けるためにその身を戦場に投じるのだろうか?今の歴史を知って開戦を止めようとは思わないだろう。当時の政府は主戦論なのだから。鬼畜米英を討ち果たし大日本帝国繁栄を目指すだろう。閑話休題、教育勅語を辛抱する今TVを賑わせている方々がことごとく教育勅語の内容、精神と真反対な行動を取るのは何故なのか?彼らは教育勅語をありがたがるだけでその精神を実行しようとはしない。全くもって理解不能であり勤行不一致も甚だしい。せめて信じている分位は実行してみてはどうか。それができないから醜態を晒しているのだろう。それにどうしても教育勅語を復活させたいならせめて現代語にして必要不必要を精査し現代にふさわしい形にして復活させるとか考えないのだろうか?まあ内容もわからないまま園児に暗唱させるのを見て喜んでいる様な輩はそのような脳味噌も無いのだろう。あと気になるのは籠池氏が口封じ...暗殺...いや不慮の事故に合わないか今朝のニュースを見て心配になった。証人喚問が無事終わることを祈る。(2017/03/17)

「教育勅語は、昨今話題の森友学園騒動を解読するためのキーのひとつだ」
なんて時点でもうこの記事に存在価値はなくなりましたね(笑

森友問題(?)の論点はどこでしたか?
国有地払下げにかかわる値下げではありませんでしたか??
異様に安値になったのは政治家の口利きがあったからだ、
というのが発端では?

そこで攻めるのがどうやら無理筋となったら、
今度は認可がスムーズにいったのは政治家の口利きがあったからだ、
という論点のすり替え。

この辺までなら、まぁ何かあれば関係者をしょっぴけるのでマシでしょう。

教育勅語のどこに、どんな違法性があるとヒキコモリおじさんはのたまうのでしょう?
「邪悪な思想」という刷り込みがあるから、脊髄反射してしまうのでしょうね。

最近のオダジマ氏は本当に見てて哀れに思えてなりません。
早く移住するか、入院して静かな環境に身を置くほうがよろしいかと存じます。(2017/03/17)

また赤旗や共産党御用学者のソースを鵜呑みにして適当なことを言っているようなので指摘しておきます。

1.
教育勅語そのものが憲法違反だと明文化された判決はありますか?日頃から安倍憎しの学者が違反だと言っているだけではないですか?

2.
野党議員がしつこく聞いてきたから答えただけで政治家にも本来思想信条の自由はある。
支持母体が保守、右派、そして旧軍人やその遺族の団体となればそう答えるのが正解。自民党は政策的にはリベラルなこともかなりやっているが、やっても安倍憎しの面々は評価しないのでこういう思想的な質問への回答は左派有権者に配慮するより元々の支持層に最大限おもねったものになる。むしろそれに気づかず、レイパーで横領犯な著者の日本会議本なんかに一喜一憂して恥じないコラムニストの頭には以下略。(2017/03/17)

“~教育勅語は、単に効力を失ったのではなくて、より積極的に、教育現場から「排除」され、「追放」された過去の亡霊だ。歴史上の悪夢と申し上げて良い。
事実、この勅語に関しては、「憲法の理念に反する」として1948年に衆議院で「排除決議」が採択され、あわせて参議院でも「失効決議」が採択されている。”

この認識、前提がある以上、筆者のような考えはなくならないだろう。なぜ、誰に抹殺されたのかに触れないでの主張はアンフェアである。(2017/03/17)

教育勅語自体は、一神教を真似た国家神道の拡販ツールだったわけですが、
小田嶋さんがそれを「邪悪な教義」と認識しているのは興味深いです。(2017/03/17)

小田嶋隆先生はGHQが日本占領時に無理やり廃棄させただけで、教育勅語廃棄の国会決議時に日本人の意思がどれだけ考慮されていると思っているのか。
1948年に廃止の国会決議、サンフランシスコ条約が発効して日本が独立したのが1952年。
思想、信条の自由を保障している現行憲法の護憲派の小田嶋隆先生が他人が信奉する信条に対して弾圧するかのようなコメントを表明する。
自分が言っていることが自分が一番反対している全体主義だということが分かっていないのだろうか。(2017/03/17)

教育勅語について語るのも、賛成や反対の立場を表明するのも、何ら犯罪ではありませんよ。
なんで、ナチス狩りのように反応するかが理解できずにおります。

いろんな多様性があっていいじゃないですか。
なぜそこまで過激に反応するのでしょうか?(2017/03/17)

森友問題でアベ政権倒れそうですね。

あとは誰が政権を担っていくのか、その政権を誰に託すのか。
野党と国民一人一人に大きな宿題が課せられそうですね。

いま、アベさん以上にレンホーさんがあせっているんじゃないでしょうか?「え、本当に私がやるの?」って。(2017/03/17)

マズゴミお得意の言葉尻捕捉もしくは部分だけを切り出し、とことん悪い方向への印象操作で人の足を引っ張る戦術ですか。
自分も教育勅語とやらが復活して跋扈する世界には行きたくはない(これも印象操作された感はある)ですが、人の意を汲まない、目の前の長短期的なことにしか思考が回らない、過去自分(達)がやったことも忘れて批判しかできないような者が国会にいることの方がはるかに我慢なりません。
驚愕するなら、国会で否定された教育勅語が、再び国会で一議員の発言ではなく総意として決議された時になさればよろしいのでは。(2017/03/17)

憲法に否定されている(との文脈)?
教育勅語のどの部分がいけないのだろうか。(2017/03/17)

勅語なるものは経文と同じようなもので、その時代の権力者(周囲を制圧できる勢力を持った者または組織)が自分たちの都合の良いようなお題目を並べ立てたものだと考えています。
個人的には教育勅語よりも中国生まれの論語を推薦したいのですが、その中国の有様を見て推薦をやめることにします。
まだまだ日本のほうが人間らしく見え、すばらしい国だと思います。これも教育勅語のおかげでしょうか。(2017/03/17)

彼ら彼女らはなぜ誇らしげなのか?

 自分が、好きなもの、尊敬するものであれば、それを語るとき誇らしげであるのは不思議なことではない。それが「9条」であれ「コーラン」であれ「毛語録」であれ「非核三原則」であれ、同じことだ。(2017/03/17)

左翼は敗北しているのです。
GHQはアメリカでも行われなかった、左翼的思想で日本の教育を塗り替えた。
頭のいいおぼっちゃんは、それに洗脳された。今、その洗脳は取れつつある。それが現実です。(2017/03/17)

歴史は繰り返すということなんだろうけど,ちょっとは進歩しないとね.集団主義なんてのはロボットかAIにやらせとけっていう話だ.(2017/03/17)

100か0かで考えるのではなく、良い点は良い点で認める謙虚さも必要では。
まあ、それでは筆者の存在価値がなくなってしまうと思うのであろうが。(2017/03/17)

オダジマセンセーがウヨ認定しているアベちゃんなんかよりずっと激しく右回りにねじれている人たちのブラヒモが外れてポロリと・・・見えちゃうの?見えないの?的状況で、なかなかに耳目をさらっている件ですね。
もちろん彼らの秘密結社の全容を知りたい気持ちはありますが、一方で北朝鮮の軍事挑発にトランプが乗っかろうかっていうご時勢に、こんなことにTVもラジオも新聞もオダジマも時間を費消してる場合ではないようにも思います。
こんなんじゃ、オバさんを引きずりおろして快哉をあげている人たちを笑えないニダ。(2017/03/17)

まぁ「教育勅語を愛する」政治家の危惧している事は財政問題であり国民に望んでいる事は「働けるだけ働いて税金を納め働けなくなったら医療費も年金も求める事無く死ね」って事ですわ間違いなく。「教育勅語を愛する」平民がなにを望んでいるかはちと分かりません、個人が自由と権利を有したいる事が面白く無いように見えますが己自身も個人では無いのか。(2017/03/17)

さすがに文章のプロは纏めるのが上手い。道徳なんてのは万世一系の権威を利した「勅」という形で国民に植えつけるものじゃ無いですよ。じゃあ国家の威信が低下した時、或いは国家権威と自己を同一視してる連中は道徳をかなぐり捨て友人を裏切りウソを吐いても良いのかと、そんな訳ない。

教育勅語を信奉している連中が個人の自由や権利を否定し、他の民族への侮蔑や差別意識を隠そうとしないのは道徳的にどう説明がつくのか。価値観の多様性と言っても差別や人権侵害は許されないのに。

自主自立の個人で構成された社会は強い。お上意識に寄った国民社会はお上が堕落すれば総崩れになります。日本がそうなったら本当にお終いです。(2017/03/17)

金正男が日本に不法入国して捕まって、
後継候補から外れたように、

稲田は今回、防衛省を全く制御できず、
首相後継候補から外れるのだろう。(2017/03/17)

日本の一般会計予算は96.7兆円。国会議員の給与や国会運営費が膨大なのに大阪の一私立小学校の問題で国会審議の時間が費やされていることの方が、教育勅語云々という問題より遥かに大きいのに・・・枝葉末節の議論でしか政権を揺さぶれない野党はどうしようもない低次元。その枝葉末節の事象のその端っこの「教育勅語」のようなことについての心情などをわざわざ記事として取り上げる日経ビジネスはエンタメメディアとしては面白い。(2017/03/17)

小田嶋先生のご発言にこそ今の更にこれからの日本が消える病を感じます。教育勅語の何処が悪いと言わないでGHQの影響が強い時代の国会に否定されたことだけを拠り所にそれを否定されるからです。国が災難に見舞われた時個人の利益だけで国は守れない。今日本は小田嶋先生の人権第一主義の方が多いのでいずれ消滅するでしょう。(2017/03/17)

教育勅語等右派系のスタンスを毛嫌いしておりますが、そもそも日教組による集団心理を強要する同調圧力教育とどう違うんですかい? 確かに全国が教育勅語に行き着いたら振り子が振れすぎたといってもいいかもしれませんが、ごくごく一部の世界の話であり、それ以前に中曽根政権時代が一番戦後右翼系雰囲気が強かった時代でも日本は全体が右派に染まらなかったじゃありませんかい? 小田嶋さん、あなたは単純に安倍首相が嫌いなだけなんであって教育勅語云々はただのオマケなんだから記事にするほどのもんじゃないでしょ。 ちなみに私は教育勅語を別に信奉してませんが、同時に道徳というか左翼の基本である儒教的規範も信奉してません。 ただただ単純に教育にイデオロギー持ち込まずに「普通に勉強教えてろよ」とだけです。(2017/03/17)

ドーナツの一部になりたい人がここにもたくさんいますね。
小田嶋さんはその状況をもう諦めちゃってるのかな。
たしかに疲れますしね。
自分に自信がない人が群れたがるんだと思うんですが、現実世界で
そんなことを言うと袋叩きにされそうです。(2017/03/17)

政治と関係なくごく普通の公立中学、高校に行くと、どこでも薄気味悪いくらい個より集団秩序な教育してますよ。戦争を知らない世代の価値観は今でも軍隊的な普通の学校教育現場で培われたものだと思います。日の丸や君が代嫌いな学校の先生がいちばん戦前的だったりします。(2017/03/17)

人のために犠牲になる。そのこと自体はある種美しいことではあると思う。人のために生きよう、と決めること自体はそんなにおかしなことではない。
ただ、この類の思想は、本人とは別人格の人間が素晴らしいと言いながら押しつけると、途端に醜悪な思想に変貌することは想像に難くない。
だからこそ、国を挙げた全体主義への回帰には反対だ。「自分勝手」に生きる人が、当人の自由意志で他人のために行動することこそが尊いのであって、それを美談に仕立て上げて別の人間に圧力をかけるのはただただ気持ち悪い。(2017/03/17)

病気になって入院してリハビリをしていたときの自分を考えれば、強い一体感を医療職と共有していたはずですが、忘れてしまったのでしょうか。
アヘン戦争の結果に驚愕し植民地化を避けるため軍事力の強化と工業化に邁進していた時代の日本は一体感が強かった時代ですし、敗戦で価値観が逆転しましたが精神的根底は変わっていませんでしたから元に戻りつつあるのです。
弾劾しようとするのもいいですし、認めるのもいいのですが、他者の依って立つところを全く否定するのは自分の理解が足りていないと考えていた方が正しいと思えます。(2017/03/17)

・戦前の日本がそんなにいいなら、イ〇ンモールとかコンビニなんて使わずに、商店街でお買い物。ですよね~。ア〇ゾンなんてもってのほかでしょ?あと、ウォシュレットも洋式水洗トイレのNG。ボッ〇ンくみ取りですよね~。占領軍だった米軍由来の インターネットもご法度?でしょ。

・個人主義で生きている私としましては、団体の気持ち悪さは筆舌尽くしがたいほどに居心地悪ぃです。ヤンキーとは真逆の生き方(と思われる)を貫いていますので、ぼっち万歳です。群れるって、仕事の時だけで結構ですね。

・コラム冒頭のイラスト、近所のおばさん?
あー、あの方ですか 自己防衛大臣。
もっとお顔を崩して描かれたなら100てん…いかん、ニッポンの怖~い会議に殺さ(ry
(文中、大変失礼しました。テヘペロ)(2017/03/17)

まとまりたい人は、自分の意思で勝手にまとまればいいと思うし、
まとまりたくない人も、自分の意思でまとまらないでいいと思う。
しかし、自分の意思で選択し、行動する、全ての人の人権を、
逃げずに直視して、守ることから逃げない、
日本はそんな、“国家という社会”であって欲しい。
これも個人主義と呼ばれてしまうのでしょうか?

真に恐れるべき敵は、少しずつ巧妙に、わかりにくいことから変えてゆき、
存在すら気づかせず、選択肢を消し、考えることも忘れさせるような存在です。
事実を自分の目で見て、自分の頭で考え、
何が起ころうとしているのか、常に警戒を怠らないでいたいものです。(2017/03/17)

小田嶋さんのこの手の話は、どこまで行っても何を書いても生ぬるい自己肯定にしか読めない。

就職してごくわずかな期間で会社を辞めて以降、ずっと組織に属さずにやってきたご自身のことを擁護し肯定したいという思いを強く感じる。

人間は組織化することで発展してきた生き物なので、組織化を良しとする動きがあるのは特に問題ではないと思う。

そして小田嶋さんのように組織に属さないことも特に問題ではないと思う。

問題は、自分と異なる考え、思想に対して殊更に批判的であることだ。こんなことは個々人が好きにすれば良い話で、どちらでも良いと思う。

もはやすでに、組織に守ってもらえるような時代ではなく、誰もが個人の力で生き延びなくてはならないのだから。(2017/03/17)

小田嶋さんの意見に賛同します。
現政権には、敗戦の前後全てを含んだこれまでのこの国の歴史をきちんと踏まえて、過去を振り返らず前向きに進もうという意思が感じられません。一部の懐古趣味と愛国主義がない交ぜになった人たちの戦後否定に迎合していて、かつそれがなぜいけないのかをわかっていない。このままだと今までにない、ワクワクするような未来は描けない。後ろを振り返るのはいいが、過去をクールに見放すことができないものか。(2017/03/17)

担当氏のまとめに拍手。(2017/03/17)

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トランプ政権のここまでの動きはスロー。

ジョセフ・ナイ 米ハーバード大学特別功労教授