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「発見」された不存在の日記について

2018年4月6日(金)

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 大阪市内の路上に、840枚ほどの機密文書を含む国土交通省の廃棄書類がぶちまけられたのだそうだ。

 1990年代制作のB級テレビドラマに出てきそうなシーンだ。
 風に舞う文書。這いつくばって紙切れを拾い集める背広姿の職員たち。遠巻きに眺めながらヒソヒソ話をする主婦。なぜか周囲を走り回る野犬。あくびをする猫。無意味に全力疾走するオダユージ。民放夜8時の2時間枠で放送されるバカなサスペンス巨編にぴったりの絵だ。

 もっとも、映像として「絵になる」のはその通りなのだとして、起こったことそのものは、たいした事件ではない。書類の廃棄を請け負った下請け業者が、運搬中に積荷を落としただけの話だ。国交省の体質が問われねばならないというほどのお話でもない。

 ただ、タイミングがタイミングだけに、必要以上に注目されることは避けられない。

 というのも、この何週間か、あるいはもっとさかのぼれば現政権が発足して以来のこの5年ほどの間を通じて、「文書」ないしは「書類」をめぐる前代未聞の事態が進行中だからだ。

 してみると、廃棄書類がナニワの路上に散乱している絵面(えづら)が、絶賛興行中の行政文書受難物語を象徴するスラップスティックなトレーラー映像として世間の耳目を集めるのは、いたしかたのないところだ。

 文書は官僚の仕事の結果でもあれば、そのよって立つ基盤でもある。
 魂という意味で言えば、武士における刀に相当する存在だと言っても差し支えない。

 官僚による文書の不当廃棄や、紛失や、あるいは隠蔽や、さらには改竄といった未曾有の不祥事が続発しているここしばらくの展開は、武士が丸腰で出仕したとか、城内で大小を紛失したとか、でなければ、差している腰のものが竹光でしたみたいな不祥事に相当するお話なわけで、世が世なら切腹を申し付けられてもおかしくない。

 と、書き進めながら気づいたのだが、官僚にとっての文書を、武士にとっての刀になぞらえたのは不適切だった。撤回する。武士の刀は、形骸化した職能の象徴をスタイルとして残したドレスコードに過ぎない。大筋において甲子園球児の丸刈りや銀行員のネクタイと大差のないものだ。もっといえば、武士道における日本刀は「様式化された愚かさ」を忠誠のフックとして利用したアナクロニズムの発露なのであって、結局のところ、組織の構成員が陳腐な強制に従うことで保たれている秩序のための秩序といったあたりが、武士道の正体だったということになる。刀はその武士道という事大主義のちいちいぱっぱにおける統合の象徴というのかドーナツのアナというのか、いずれにせよ空虚な中心を穿つために用いられた滑稽千万な演出道具だったわけだ。

 話がズレた。
 大嫌いなサムライの話になるとつい余計なことを言い募ってしまう。
 武士道大好きな皆さんは上記の十行ほどの内容は忘れてください。

 私がお伝えしたかったことの骨子は、役人にとっての文書の重要性に比べれば、武士にとっての刀などしょせんはアクセサリーに過ぎないということだ。官僚にとって文書は手段でもあれば目的でもあり、結果でもあれば歴史でもある。かててくわえて、自らの存在証明でもあれば退路でもある致命的に重要な存在だ。寿司屋にとっての寿司ネタどころか鳥にとっての翼、犬にとっての尻尾、猫にとっての肉球に近い、それなしには自分たちの存在そのものが意味を喪失してしまう何かだと言っても良い。

コメント115件コメント/レビュー

小田嶋さんのコラムに限らず。
読者によるレビュー欄の、参考になった、ならなかった、読むべきだ、どうでもいい、といった項目をそろそろ変えるべきではないかと常々感じているのですが、そういった意見が他の読者から寄せられることはないのでしょうか?
私自身、すべてのコラムとレビューに目を通しているわけではないので、何を根拠にと言われてしまうと返す言葉がないのですが、今回のコラムに限らず、あるいは小田嶋さんのコラムに限らず(やはり小田嶋さんと河合さんは本誌の二大巨頭ですね)、参考になったか否か、あるいは他の人にも読んでほしいか否か、という回答項目と、そのコラムの内容に賛同するか否か、もっと言えば当該記事のコラムニストの思想(!)に同調するか否か(のみ)を判断基準としてレビューに回答している読者が多いような気がしてならない。
根拠のわずかでさえ示すことができないので、これはあくまで一読者に過ぎない私のごく個人的な感想ではあるのですが、とは言え同時に、これがとても例外的な、特殊な感想であるとはどうしても思われないのです。
「筆者の主張には賛同できないが参考にはなった」「筆者の主張には賛同するが別に広く読まれるべきとも思わない」という感想を抱いた場合、我々読者はどのようにして筆者や編集者、他の読者にその思いを伝えればよいのでしょうか?
コラムに対して読者がレビューを付けたりコメントを書いたりできること、日経ビジネスオンラインの素晴らしさの半分はその点にあるとすら思うのです。
それだけに、その機能が本来の機能を果たしていないのではないかと感じられてしまうことが、独善的ではあるかもしれないが、とても悔しいしもったいないと思う次第です。(2018/04/19 01:24)

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「「発見」された不存在の日記について」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

小田嶋さんのコラムに限らず。
読者によるレビュー欄の、参考になった、ならなかった、読むべきだ、どうでもいい、といった項目をそろそろ変えるべきではないかと常々感じているのですが、そういった意見が他の読者から寄せられることはないのでしょうか?
私自身、すべてのコラムとレビューに目を通しているわけではないので、何を根拠にと言われてしまうと返す言葉がないのですが、今回のコラムに限らず、あるいは小田嶋さんのコラムに限らず(やはり小田嶋さんと河合さんは本誌の二大巨頭ですね)、参考になったか否か、あるいは他の人にも読んでほしいか否か、という回答項目と、そのコラムの内容に賛同するか否か、もっと言えば当該記事のコラムニストの思想(!)に同調するか否か(のみ)を判断基準としてレビューに回答している読者が多いような気がしてならない。
根拠のわずかでさえ示すことができないので、これはあくまで一読者に過ぎない私のごく個人的な感想ではあるのですが、とは言え同時に、これがとても例外的な、特殊な感想であるとはどうしても思われないのです。
「筆者の主張には賛同できないが参考にはなった」「筆者の主張には賛同するが別に広く読まれるべきとも思わない」という感想を抱いた場合、我々読者はどのようにして筆者や編集者、他の読者にその思いを伝えればよいのでしょうか?
コラムに対して読者がレビューを付けたりコメントを書いたりできること、日経ビジネスオンラインの素晴らしさの半分はその点にあるとすら思うのです。
それだけに、その機能が本来の機能を果たしていないのではないかと感じられてしまうことが、独善的ではあるかもしれないが、とても悔しいしもったいないと思う次第です。(2018/04/19 01:24)

「こんなでたらめが進行していたことを知らなかった自分の無能さにめまいをおぼえています」
ぐらいは言わないといけない。

これはまったくもってその通りで、森も加計も安倍に責任があるという明確な証拠はないが、
この無能の稲田を防衛大臣にした責任について、清算しなければならない。(2018/04/17 19:03)

>小生は保守を誇りに思っています。でも、右翼ではない。右翼は右翼的に日本に作り替えようとする部分で、左翼的な日本を目指す左翼と、方向が違うだけで、日本を作り替えようとすることでは同じなのです。

私も「保守」と「右翼」は同じものではないと思います。
同様に「左翼」と言われている人達の中にも「左翼」的に日本を作り替えようとしている人達と、「右翼」的に日本を変えて欲しくない、と思っているある意味「保守」の人達がいると思います。
私には安倍総理や日本会議の人達は「右翼」的に日本を変えようとしているようにみえますが、この点には共感頂けるでしょうか?(2018/04/15 21:03)

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中尾 浩治 テルモ元会長