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読者の皆様からのフィードバック

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 教育勅語はなぜ必要か

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ご協力いただきありがとうございます。日経BP社は,読者の皆様からの投稿の内容につきまして,その信頼性,適法性などを一切保証いたしません。何らかのトラブルが発生した場合,日経BP社は一切,責任を負いませんので,皆様の自己責任においてご利用願います。その他,コメントに関する諸注意はこちらをご覧ください。

>自己犠牲。
>挺身。
>私心の排除。
これら美しい心の持ちようを称揚したくなる人の気持ちは否定しない。が、後続の「その種の」道徳ーー天皇(の威光を笠にきる権力者、さらにはその仲間、利益を共有する企業etc)への自己犠牲.挺身.私心の排除を根付かせるための道徳ーーが教育勅語であることを認識しておかなきゃ。身も心も捧げろ、異論は挟むなってブラック企業経営者か。好き放題に下が忍従してくれればこれほどやりやすいことはない(そうして前は戦争に突入)。権力者が教育勅語に執着するわけだ。(2017/05/20)

>私個人は、「日の丸」という表象や、「国家」という枠組みや、「国体」という概念のような、「形式」としてわれわれの前に立ちはだかる「権威」に対して礼儀正しくふるまうことよりも、生きて動いている生身の人間の生命や感情を尊重することの方がずっと道徳的だと考えている。

ここから話がおかしくなっている。
筆者の間違った勘繰りにより、日の丸が「権威」と判断されたが為だ。(2017/05/11)

国を守るということをあえて教えてしまった結果、権力者にとって都合の良い、変な空気ができてしまった。まるで北朝鮮で指導者に忠誠を誓っている様な状態。勝てる訳の無い相手に強がる姿は太平洋戦争前の日本のよう。指導者にもの申せない空気ができると指導者が間違えても誰も止められない。恐ろしいことだ。(2017/04/29)

亡くなった親父(と同じ世代の皆さんの多くも)は子供の頃に教育勅語を刷り込まれたため、何の疑問も持つことなく戦場に駆り出され、祖国が破綻すると同時に親父自身の大事な人間性を犠牲にせざるを得なかった。戦後、このことの反省から現在の憲法が生み出されたはずなのに、この国のトップ(と国防大臣をはじめとする同調者達等)自らが同じ過ちを犯そうとしていることに何の疑問も持っていないことに、深い憤りと怒りを感じている。(2017/04/29)

今回の教育勅語の問題に際して、その後の国の考え方や取扱についての議論を期待していましたが、野党は自民党の足を引っ張り、首相を失脚させることばかりに偏り、根源的議論を素通りしてしまったようです。
ところで私は、昭和30年代から40年代にかけて義務教育を受けた者です。
当時の教育では、日教組により左傾した教育を受けたように思っております。そして教育勅語に関しては全く教育を受けた記憶がありません。
従いまして、これを教材とするにどこに問題があって、何がいけないのかを意見する立場にありません。
文科省では「適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない」と発言されていますが、戦後教育勅語が禁止された理由について、【現代の社会において、どこに問題があるのか】「適切な配慮のもとに活用」することは非常に有意義ではないかと考えています。
臭いものに蓋をして、『無い物のように』無視するのではなく、「適切に教材として教育に活用すべき」と思います。

ただし「こうした内容に着目して、適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない」と続けられると、「教育勅語」自体を是認を意味しているかのように読むことができます。

先に「左傾化した教育を受けた」と記しましたが、共産主義や社会主義は人間の根本的資質を見誤った間違った理論であった事は明らかではあるとした上で、加えて生まれた土地や民族、男女、思想信条によって争う事は全く無意味であることも歴史が証明しています。
ところが、今回の籠池事件における安倍首相との関係性の云々や、文科省の発言、小田嶋氏の記事から読み取れる内容やら、様々な面での右傾化に危惧しています。
ブームは自然発生ではなく、特定の人が作り上げるものですが、右傾化も誰かの「描いた絵」であるような気がして仕方がありません。(2017/04/22)

憲法改正論者の多く(いわゆる「保守派」)が、「憲法を改正すれば何とかなる」と主張し、まるで憲法改正が救世主であるかのごとき論調が見られます。現実には、日本国憲法は過去72年間かけて醸成された日本国の歪みの一部に過ぎません。祖国は、国民が守るしかない。という、国家の基本を多くの国民が共有しない限り、憲法を改正したところで我が国は「普通の国」に戻ることはできません。

「祖国を、国民が守る」という当たり前の考え方が、日本国民の通念となり、歪みを正すための動きが始まり、その一環として憲法改正という話にならなければ、問題は解決しないと思うのです。

いずれにせよ、日本国は70年以上も間違え続けてきました。70年の間違いを、憲法改正一発で正せるなどと夢想を抱くのは、そろそろやめるべきです。(2017/04/21)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と言う事に「素晴らしい」「格好が良い」と考える人々が相当な数に上っているということが恐ろしいと感じます。現政権は、「戦後レジューム」の脱却を声高に叫んで誕生している。特に経済面を押し出していたが、その中身は 憲法改定であり、国家主義であったようだ。かつて麻生財務大臣が口を滑らせた「国民が何も気が付かないうちに憲法を形骸化する」ことが静かに実行されつつあることが恐ろしい。野党やマスコミも 単に現政府の政策に反対と言い、またスキャンダルのみに質問を集中するのではなくこの点をはっきりと国民に知ってもらうことに焦点をあててもらいたいと思う。(2017/04/19)

教育勅語の教育を受けた90代の大多数が生存していない日本で、教育勅語を復活させようと企てている人たちがこんなに多いのかと愕然とする思いの今日この頃。
教育勅語の時代を知らない人ばかりの日本で、再び悪を復活させて良いのだろうか。
勅語ということばは、天皇を特別な存在として崇めていることば。
そして、天皇のことばを巧みに利用して日本が戦争を勃発したことは今の国民でも知っていることだろう。
何かがおかしい今の日本。
何かがおかしいと国民が気づかないと、間違った大変な方向に日本の国が進んでいってしまいそう。
戦争を知っている日本人が極少数になり、親から戦争の悲惨さを聞かされた団塊世代も70代になってしまった。
戦争を知らない大多数の日本人を洗脳しようとしているかのように映る今の日本の政治家や危険な空気に大いなる疑問を感じてしまうのである。(2017/04/18)

小田氏は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分を「教育勅語の中の憲法に反する部分」だといっているが、本当か?
これって憲法にある「公共の福祉」の一形態ではないのか。
世界の大多数の国が共有している概念だと思うが。
バイアスを外して世界を見てごらん。(2017/04/17)

違和感のある記事ですね。
教育勅語に賛成する者を軍国主義者と決めつけておられるようで不愉快です。

現代日本、日本国憲法の下では、「教育勅語」はどう変わるのか?
自分は、教育勅語を理解し、その上で日本国憲法下で解釈する派です。

天皇は象徴、主権は国民、勅語は父祖や学校の先生から語り掛けに変換すれば、
普段の生活での道徳、大災害が起きた時に取るべき行動、それらが見えて来る
貴重な文章だと理解しています。


「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ 以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
小田嶋氏が問題としているこの一節を日本国憲法下で変換すれば以下の通りです。

「国民に危機があったならば正義と勇気を持って国民に尽くし、永遠に続く国民の運命を助けるようにしましょう」

東日本大震災の時に、多くの国民が取った行動そのものだということが判るでしょう。(2017/04/17)

小田嶋さんを支持する。大臣の態度には薄ら寒いものを感じる。なぜなら、
日の丸に敬意を表しつつ、権力構造の中で下位に存する生身の人間を尊大に、乱暴に、粗末に扱う、これはまさに戦中戦前の日本軍のの精神構造ではないか(例外はあるにしても、将校が兵卒を、将兵が中国人朝鮮人などを,etc.)。(2017/04/17)

教育基本法だけでは、大きな欠陥が出来ます。そこで教育勅語なのでしょう。

一般に、植民地ではなく、独立国家では、国家を守る為、我が身を犠牲にして戦う事を教えます。例えばフランスの道徳の教科書には

「真の愛国者は・・必要があれば、国土防衛のために生命を犠牲にする」(出典 「公民の倫理」P・フルキエ p250)

「生命を犠牲にする」という高貴な魂が無いと、厳しい世界情勢の中で、独立を維持できません。

その犠牲(サクリファイス)は、ラテン語の 神聖な事をする(サクルム・ファケル)という意味でした。犠牲は宗教的行為でした。

なので、「生命を犠牲にする覚悟」を、一つの法律に過ぎない教育基本法により、持つことは出来ません。

そこで、教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(2017/04/13)

>コメントが長すぎる。字数制限すべし。
>重箱の隅ではなく、高い視点からの議論をすべし。
>これからの教育は、道徳云々よりも、自分や自分たちが強みを活かして勝ち残るための戦略を練る思考回路を養うものであるべし。

コメントは簡潔がいいのはその通り。字数制限は500文字以内となっている。

議論したいのなら、自分でそのようなサイトを立ち上げるべし。
思い思いのコメントが記載される点が日経ビジネスオンラインのよいところ。
自分の考えで縛りをかけるのは不遜。

道徳云々「より」の「より」が意味不明。なぜ両立できないのか。その程度の思考回路で勝ち残れるのか?企業の不祥事がなぜ起きるかを考えれば、戦略思考だけでいいはずはない。あくまでも両方を学ぶことが大切と心得るべし。(2017/04/13)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

何度もこちらにコメントさせていただいていますが教育勅語を自分の子供に信奉させたいとは思わないものです。
政府の公式見解も、信奉せよと言っているわけではなく、資料として見せるならありというだけです。
中世の宗教もそうですが、神様の威光や預言の解釈を使って戦争をしたりしてるわけでそうした事例と同様にこんな時代もあったんだよ、という史実を伝えるための資料です。
おそらく右派の議員はそのうち個人的な信奉を表明して支持者におもねるでしょうし、それは個人的な嫌悪で貶せば良いと思いますが、公式見解の方を言論人が問題にするようだと、言論の自由を潰しているのはどちらかという話になるかと。
むしろ小田嶋氏がそれをミスリードしているのが問題です。左派の権威にどっぷり浸かり過ぎて、正しい情報が見えず、そこを指摘されると政府の裏の意図がどうこうと見苦しく陰謀論を展開する毎度の流れは、本を愛読していたものとして残念です。(2017/04/12)

引用略。
コメントが長すぎる。字数制限すべし。
重箱の隅ではなく、高い視点からの議論をすべし。
これからの教育は、道徳云々よりも、自分や自分たちが強みを活かして勝ち残るための戦略を練る思考回路を養うものであるべし。(2017/04/12)

中国の都合の悪いことを隠すところが悪い、個人の尊厳を踏みにじるところが悪いです。同じ理由で教育勅語を批判します。
思いやりは大事ですが、中国で秩序論理で個人が踏みにじられるのをみればわかるとおり、その前に個人の尊厳が大事です。

道徳の教科化にも反対します。より頑なになり、教条的な内面化することを危惧します。
教条的になっては、考えることを奪います。
すべての人間は基本的に病んでいます。問題はどこまでうまく安全な枠内に留めておけるかです。社会や国もです。

「いじめや差別はいけません。」だけではなく、とはいえ、いじめや差別は自分が正しいと信じてもしていることがあるし、また知らないうちにもしていることがであるから注意しましょうです。何度でも反省し修正しましょうです。良い悪いをその都度判断し、成熟を目指す。

個人の中には、自分じゃない誰かがやってくれる(傍観者意識)があり、 先入観があり、偏見がある。
また、自分ではない何かのせいにするところがあり、早く安心したいから何かに原因を決めつけることがある(魔女狩り的に)。
これらは残念ながら無くならない。

すべての人間は基本的に病んでいます。問題はどこまでうまく安全な枠内に留めておけるかです。社会や国もです。

いつまで空気に支配されますか?(2017/04/12)

▼ わたしも教育勅語はいらない、というクチです。立派なことが書かれているのでしょうけど、筆者の言う通りそれである必要はない。更に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という文章、今の日本に必要ですか? 皇運ヲ扶翼スヘシって、今は主権在民ですからね。皇という字はいらんでしょう。それともまだ日本は皇国なのかな? ▼ 国民に、道徳と、国を愛する心を植え付けたければ、まずは口語体でわかりやすく表現し、そして人々の心に響く言葉や文章、行動が必要だと思うのです。口語体でない時点で教育勅語はダメ。行動に関しては、イギリスのジュビリーみたいに、時々国が何かイベントをやればいいんですけどね。できれば今上天皇にも参加して貰って。▼ 日本という「国」を愛せというなら、じゃあ愛される存在になってみろよ、ということなのですよ。衣食住に不足していた時代なら、それを補償すれば良かった。今はそれは当たり前、それ以上のインセンティブを日本という国は国民に示せているか。何もせず、けど愛せというならば、それは傲慢であり、強要でしか成し得ないでしょうね。それこそ戦前思想であり、忌避すべき考えであります。▼ 神道国家の名残か、愛国心は宗教じみたところがあり好きになれません。自分より国を上に置き崇めているような。なので国旗に一礼してしまうのでしょう。わたしは民なければ国無しと考えるので、国と国民は対等だと考えています。なので日本会議の人達が持つような愛国心は決して持たないでしょう。▼ 例の大臣の件、国旗に一礼したのには憮然としましたが、記者とのやり取りについては彼に同情しています。(2017/04/12)

政府は憲法改正を国会決議し、国民投票をしてマスゴミの報道を事前検閲すべきだ。
マスゴミは自社の都合で事実を捻じ曲げすぎ。
安倍政権・北朝鮮・中国より危険集団だ。テロ集団認定すべき。
こんな奴らを野放しにしたら日本社会が崩壊する。
国民を騙すことを商売にする極悪人どもを取り締まり日本から追放すべきだ。
一刻も早く憲法を改正すべし。(2017/04/12)

「寝返りは歓迎するが、寝返り者は歓迎しない」(フォン・ビスマルク)

 一旦緩急ある前に祖国を捨てて逃げ出した小田嶋氏を、一体どこの国が歓迎してくれるでしょう?(2017/04/11)

人間という生物は社会という集団を形成しないと生きていけない。集団にはリーダーは必ず必要。社会とかリーダーという単語には反応しないのに、国家とか天皇という単語に極端な反応を示すのはそこに特別な意識があるからに他なりません。
私は右でも左でもマッチョでも貧弱でもないつもりですが、自治会に参加しない(ゴミ当番も自治会費も払わない)のに平気でゴミを捨てにくる人間は許せない側にいます。
教育勅語だろうが何だろうが構わないので、集団生活の一員であるという自覚だけは間違いなく持たせられるような教育はしてもらいたいと思いますね。
そのために誰かリーダーを示した方が都合良いなら、それは天皇でもいいと思います。タイ人は国王を真剣に尊敬しています。帝国の歴史に拘る姿は朝鮮の慰安婦と同レベルですよ。
自己を主張し過ぎるがゆえに、幸せだとか不幸せだとか運がいいとか悪いとか、そんなことを意識し過ぎる人間が多過ぎる気がしますね、今の日本は。
そして有事の時に最も騒いだり批判したり自分を真っ先に守ろうとするのは、普段集団に背を向けている人間に違いない・・・と思っている私も偏っているのかな。(2017/04/11)

安倍カラーが強すぎて常識外れの大臣が揃ってしまっていることも、教育勅語の礼賛という時代に逆行するような風潮も、この現状にもう我慢ができない。日本という国が「安倍政権」という名の一時的な病気になってしまっている、というように思いたい。慢性病にはなってほしくない。自民党、早くもっとまともなリーダーを打ちたててほしい。一刻も早く。(2017/04/11)

教育勅語にも良いこと書いてあるという部分は愛国心も含めて現行の教育基本法でちゃんと網羅されているんですけれど、あえて教育勅語で無ければならない部分はどこにあるのか御教示いただいきたです。

(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。(2017/04/11)

一国の大臣に大して無礼な言葉を飛ばすクレーマーのような記者(活動家?)に対してまで終始丁寧に接しろと言う方が違和感があります。

そんなに日本がお嫌いなら何処へでも亡命されたら如何ですか?(2017/04/11)

突き詰めて考えれば、大臣には頭の良さが必須。
一流大学卒であっても、演技力が必要で、
演技力も突き詰めれば、頭の良さが必須。

一流大学卒、官庁出身の大臣であっても、
人前に出たら、
良い人・人格者を演じる演技力が必要なのだ。
演技力なき、お馬鹿な大臣は、
頭を鍛え直すべし。(2017/04/11)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

教育勅語には良いことも書いてあるという意見は昔から一部にあったが、どうも最近は多数派になりつつあるようでイヤな世の中になってきたなと感じる。

教育勅語はなぜダメなのか? それは勅語=天皇のお言葉だからであり、上記にあるように、日本国民は天皇家を助けるために命を投げすべきだと書かれているからでしょう。

そのことにあえて触れずに、ただ「親孝行しろ、夫婦は仲良くし、友達を信じろ」などといった、取り立てて言うまでもない当然の徳目だけを取り上げて、教育勅語には良いことも書いてあると言うのはゴカマシ以外の何物でもない。

いずれは 「教育勅語には良いことも書いてある」 が 「教育勅語は素晴らしい」 になり、 「教育勅語を教育の基本にしよう」 になっていくような気がするし、実際にも日本会議に賛同する政治家達はそれを狙っているに違いないと思う。

日本がそんな国になればなるほど愛国心が薄れてゆく日本人もここにいる(2017/04/11)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

全ての国民に、イザとなったら、国家のために死のう、と呼びかけています。これは国民皆兵というフランス革命の思想です。フランスへ留学した勅語の筆者、井上毅が持ち帰ったものです。

この国民皆兵という思想は、儒教の支配する日本には無かった。士農工商のうち、戦うのは士、すなわち臣(支配階級)。

もともと儒教は支配階級である「臣」(君子)に対する行動規範で、「民」は直接対象としない。儒教のスタイルは「君子(支配階級)は何々をせよ。小人は何々だがマネをするな」です。

儒教は民を相手にしない。事実、儒者、元田永孚の勅語草案を見ると

君愛シ臣敬シ君臣一体ニシテ義其間ニ行ハル

君と臣には規範があっても、民は問題外でした。これでは近代国家は出来ない。臣民平等に国防の負担を分かち合うのが民主主義です。

つまり「日本のために、一緒に死のう」によって日本は民主主義国家へ歩き始めたのです。(2017/04/10)

今回のコメント欄は伸びるだろうなーと思って、楽しみにコメント欄を見に来ました。

この手の話題の際、コメント欄の中身はあまり見ていません。
どちらの意見も、書いてあることをほぼ正確に予想できるから(笑)(2017/04/10)

小田嶋さん
あなたのこの文章
『「国家」という枠組みや、「国体」という概念のような、「形式」としてわれわれの前に立ちはだかる「権威」に対して礼儀正しくふるまうことよりも、生きて動いている生身の人間の生命や感情を尊重することの方がずっと道徳的だと考えている。』
ですが、全く国や統治機構というものへの理解が無い事が見て取れますよ。

だから文章全体が軽すぎて上滑りしているんです。
もう遅いかもしれませんが、実社会にでて利害相反する人間関係の中で学ぶことをオススメいたします。(2017/04/10)

教育勅語は誰に必要か、の方が大事だと思う。一連の登場人物、嘘はつくわ仲間は裏切るわ部下のせいにするわ金をごまかすわ、不道徳な連中ばっかり。こいつらが教育勅語を一字一句暗唱して自分の体に叩き込むべき。いや、叩き込んでこのざまなら、教育勅語は世に害をなすものなんだなぁ。(2017/04/10)

 教育勅語のルーツは、明代に洪武帝(朱元璋)が発布した「六諭」。内容は以下の如し。

「考順父母」
「尊敬長上」
「和睦郷里」
「教訓子孫」
「各安生理」
「母作非為」

 この六諭の焼き直しにすぎない教育勅語は、近代自由主義革命だった明治維新の精神を逆行させ、日本人を儒教圏人にせんとする反動のテキストである。
 教育勅語に反対する人は、筋金入りの反チャイナ、反儒教思想の持ち主で、自由主義を信奉する人たちなのでしょう。(2017/04/09)

出来れば、ではなく本当に国を捨てて出国すれば宜しいのでは?
筆者を含め多くの日本人は国家というものを空気と同じように普段意識しませんし、時にはニヒルに批判したりもしますが、外国に住んでみて初めてその存在の有り難みを意識するものです。(2017/04/09)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
北朝鮮の暴走、核、ミサイル開発はキンマサオ殺害とエスカレート、そこへアメリカの言うこと聞かなければミサイル攻撃するトランプ政権。
日本は、現在戦争に巻き込まれる危機に瀕している。
今は戦前ですよ。日本を守りたくない人は、逃げ時ですよ。(2017/04/09)

「何を崇拝しようと知ったこっちゃないが、教育を使ってマインドコントロールするのはやめてほしいもんだ。」
日教組に言ってやってくれ!(2017/04/09)

仮にも大臣にまでなった人が公の場で感情のコントロールができない。
マスコミ対応も満足にできない。
今まで議員として何をしていたんだと言われてもしょうがないでしょう。
イロハのイができてないんだから。
フリーの記者がどんだけ失礼で無能でも一般人への害はたかが知れていますが、大臣がマスコミと落ち着いて話すことすらできない、あしらうことすらできないというのはダイレクトに国民に不幸をもたらします。
大臣の肩を持ってる人たちから「反安倍、反自民憎し」以上の知性を感じられないのは残念なことです。(2017/04/09)

この人も相変わらず頭の中だけは戦前から進化していない。
物事は時代と共にその解釈は変わる。それは歴史が示している。
教育勅語だってそうだ。
天皇は現代においては、憲法で『象徴』でしかない。
それなのに、教育勅語を考える時だけ、頭を退化させる。
なぜ今の時代に置き換えて教育勅語を読まないのか?
文章を書く人間とは到底思えない。

もう一度言う、天皇は現憲法下では『象徴』でしかない。
その『象徴』である天皇制を「天壌無窮に扶翼」、つまり「永遠に続くものとして護持」すると読み直せばいいではないか。現代に則して解釈を変えればいい。
それをなぜ物事を考えようとするとき、その時だけ頭を退化させるのか。
それが私には分からない。

現代日本は日本国憲法の下にある。
ならば教育勅語も、日本国憲法下での解釈で読めばいい。
なぜその時だけ、日本国民ではなく大日本帝国民になってしまうのか。
それこそ、天皇を『象徴』としてみていない証拠ではないか。
それこそ、未だ臣民のままではないか。

今を生き、将来に向かっていく日本人は、もっと進化すべきではないかと私は思う。(2017/04/09)

『教育勅語』→1890年発布、1948年(GHQの影響下で)廃止
『忠誠の誓い』(アメリカ)→1892年起草、1942年に国旗規則として法制化された現行法

『教育勅語』→「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
『忠誠の誓い』→「私はアメリカ合衆国の国旗と、それが象徴する共和国、神の下で全ての人に自由と平等をもたらす、不可分の国家に忠誠を誓います」

『教育勅語』→現在、子供に暗誦させているのは塚本幼稚園など極々一部の保守層のみで、大半のマスコミから総攻撃を食らうほど批判されている
『忠誠の誓い』→現在でも全ての公立校および公立幼稚園などで生徒・児童・園児達に毎朝国旗への敬礼(右手を心臓の上に置くのが作法)と共に暗誦させているほか、国会もこの暗誦から開始されるが、批判的なのは一部の左翼のみ

小田嶋さんや同じサイドにいる人達は教育勅語を見直そうとしている人がいるくらいで大騒ぎしているくせに、アメリカの愛国教育については全く触れもしません。どう見ても「井の中の蛙」ですね。(2017/04/09)

今村大臣が、礼儀を弁えない記者の暴言に対して怒ったのは当然であると思う。
百田尚樹氏のツイートは、この記事で初めて知ったが、その通りだと思う。
また、この記事の著者は、謝罪して撤回はしているが、「奴隷根性」という発想がどこから出てくるのか不思議でしょうがない。この著者も、記者会見の記者と同類なのではないか。

教育勅語についてであるが、批判者は最後の部分だけを引いて云々する。
しかし、全文を読めば実に立派な道徳が述べられているのであり、また、明治天皇も国民と一緒に共に実践しようと呼びかけておられる。
筆者は、そんな道徳は他のものでもよいではないか、アニメでも何でもよいと言っているが、寡聞にしてそんなものにはお目に罹ったことが無い。
そんなものがあるのなら、具体的に示してほしいものだ。(2017/04/09)

皆さんのコメントを眺めるだけで相当の時間を要しますね。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に凝縮される教育勅語は、西洋近世の絶対王政を支えた絶対主義思想を唐様の糠味噌で和えたものでしか無い。歴史的には時代遅れの博物館陳列品のようなもの。それを今でも宝として扱いたがる心情は、一種の青い鳥症候群と読めた。
また、今村大臣と記者との質疑応答の遣り取りを、記者の資質や質問方法の問題に帰し、大臣は被害者で可哀そうと言った論調も多い。木を見て森を見ずの論法と読んだ。政治家もマスコミも個々の木の話にこだわるよりも、大局を見据えての応酬をして欲しいものだ。(2017/04/09)

教育勅語に関する小田島氏の意見は、とても真っ当であると思います。私心を捨てて国家に忠誠を誓うべきと自己陶酔するように思っている人がそれほど多く存在するとは思いたくありませんが、小田島氏のようにきちんと発言してくれる人が増えてくれることを願います。(2017/04/08)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

この言葉自体は正しいと思うんだけどね。

問題は、この言葉を広めたいと思っている人は、いろんな人の意見を聞きたくないってのが本音じゃないの。
森友学園の理事長も、全然人の意見を聞かない人だよね。

今回の復興相の反応は、丁寧に説明する、っていう姿勢が欠けているんだよ。
彼の発言自体は全く持って正しい。
震災からかなり時間が経ってるんだから、少しずつ支援を減らしていかないといけないのは当たり前だ。
支援は、いつ打ち切っても不満が出る。

そんなことは事前に分かっていることなので、じっくりと説明して納得は得られなくても誠意だけは見せないといけなかったんだよ。
この場合の復興相の仕事は憎まれ役だ。
嫌な仕事だが、だれかが担当しなきゃいけない重要な仕事だ。
支援を始めるのは非常に簡単だが、止めるのはとても難しい。

その程度の事が理解できない人が大臣やってるんだよね、まあ、民進党ならもっと酷い人が大臣になるんだが。

今までもらっていた支援を止めたら、止められた人は怒るんだよ。
でも、それを怒られながらも、しっかり気持ちを込めて丁寧に説明をするのが政権政党の政治家の仕事なんだよ。
それくらい分かんないのかなあ。

彼は教育勅語を読んだかもしれないけど、自己犠牲っていう精神を理解してないんだよ。(2017/04/08)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

簡単に言えば「イザとなったら国家の為に死のう」です。明治時代に出版された解説書では、ジャンヌダルクやワシントンを例にあげて説明しています。これは当然でしょう。

なぜなら、国家を守るには、誰かが死を覚悟して戦場へ行く必要があります。誰が行くのか?

封建時代は王様が兵士を雇って国を守っていました。しかし、民主主義は国民主権です。主権者である国民が戦場へ行くのが原則です。フランス革命の革命軍は、雇い兵ではなく国民でした。

だからフランスの道徳の教科書では
「真の愛国者は・・・必要があれば、国土防衛のために生命を犠牲にする」
出典 「公民の倫理」P・フルキエ p250

そもそも現教育基本法は、占領時代に出来た。だから国家への献身義務が無い。GHQがそんな法を作らせるわけが無い。一方、教育勅語は、独立国家、大日本帝国が作った。だから国家への献身義務がある。

教育基本法は、植民地人間を作り、教育勅語は、民主主義国家を担う人間を作る。(2017/04/08)

コメント欄見る度に思うけど、小田嶋コラムを熱心に監視している自民党や官邸のスタッフが何人いるか、興味あるぜ!(2017/04/08)

教育勅語を肯定する人は、親孝行や仲良しについてばかりで、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分までを肯定する人は少ない。
森友問題にも共通するのだが、最近「偉い人」が良く考えずに言ったことが問題になると、その言ったことを後から問題にならないように取り巻きたちが取り繕うことが増えている。教育勅語についても同じことで、「偉い人」がいいと思っていることから、それ肯定をするために問題ない部分だけを切り取っているようにしか見えない。みっともない言い訳に過ぎない。それこそ子どもの教育に悪いのではないか。
正直に間違えを認めずに、こういう言い訳をすることが多くなったのは、自分たちに自信がないからだと思う。まともな対抗勢力がない中、結果的に一強となった現政権で、指針となるものが見いだせていないような気がする。とにかく強気で「強いリーダーシップ」を気取ってはいるものの、その土台となるものがない砂上の楼閣のような感じがする。また弱みを見せることについての恐怖心も大きいのように見える。まあ、大きな器の人間ではない。(2017/04/08)

「『教育勅語』は今でも全部覚えているよ」と言っていた父、もう他界しましたが、このような議論がまた蒸し返されていることを知れば、どれほど悲しむことか。現在、日本国民が手に入れた民主主義は、それまでの経緯は複雑で、暗い部分も多いのは確かですが、少なくとも国民を一人一人大切にしようとするにあたっては評価できるのではないか。
「一億総玉砕」という言葉を美しく思いません。大和民族が消え去ってしまうことに日本人としてよしとすることがあり得るだろうか。(2017/04/08)

 記者の態度・人格、報道のあるべき論を語る方も当然いらっしゃると思いますが、報道・記者、マスメディアが常に正しい情報を私たちに伝えている訳がないですよね。常に情報の断片・一面でしかない事を。マスコミは常に正しく報道するべきだと考えること、期待することがそもそもの間違いだと思うし、この問題はそこではないですよね。
 小田嶋氏が語る通り「教育勅語」であり、あの状況でも「国旗に敬礼する人」でしょう。
 国家に忠誠を誓い、国家(天皇?)のために命をささげる国民を作りたい方は、ぜひ隣国に渡って、第一書記やその親たちに忠誠をささげさせる国の作り方やその体制維持の方法を学んで来ればよろしい。そうすれば今のアメリカくらいの民主主義の国になれる。
 あ、民主主義って多数決・ゼロサム社会の弱者(敗者)が切り捨てられる格差社会の意味で使っています。勝った方は何でもアリでやっていけますから。(2017/04/08)

論点は異なりますが。

今村さんは、記者に(記者自身が挑発したしないは別にして)、所謂"キレて"しまったのでしょう。
それで、常日頃思っていたとして身、人として言ってはいけない事を言った。
周りに諭されてか、冷静に戻ったからか知らないが、後で謝罪。

これって、殺人者の言い訳と同じではと、感じるのですが。

カッっとして=キレて、人を殺めた=人として言ってはいけない事を言う。

一般的にはヤバイ人だから近づきたくないですよね。

でも、有事に滅私できるのもこの手のタイプが多いのかも。(2017/04/08)

無礼な態度に腹が立ったとしても、怒鳴るような、品位のない態度ではなく、冷静かつ毅然とした態度で接するのが、一国の大臣として正しいですし、一人の人間としても尊敬します。
なぜ、マッチョな人達はすぐ怒鳴りたがるのかが分かりません。
要するに、セルフコントロールが出来てないか、わざと怒鳴っていたら、力で他人をコントロールしようとしている、実は、怒鳴る以外、何も出来ない人かどちらかじゃないかと思います。
教育勅語、、温故知新は良いですが、古い価値観丸暗記の教育は、いただけません。
自分の頭で考えて、行動出来るような人間を育てなければ、これからの社会、経済のグローバル規模での変化の中で、日本、終わると思います。(2017/04/08)

教育勅語はなぜ必要か・・・今後日本人がアメリカ人様中国人様の奴隷として牛馬のように働き無駄死にするため。。。。安倍お子ちゃま内閣のトラブルで明らかになりつつある愛国の正体!(2017/04/08)

◆このコメント欄は本当に勉強になりますね~。◆基本、小田嶋氏の鋭い分析に、「なかなか深いね~」と思いつつ、ただ、最後の国を出てどこかに行きたいみたいな言葉はいただけないかなと思って読みました。が、実は皆さんのコメントが楽しみで、一日置いて全てのコメント(現在121件)に目を通してから書いています。◆「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を入れてとリクエストがありましたので、それに触れると、教育勅語の問題点がここにあることはだいたい共有されていると思っていましたが、そうですらなかったことにも感心しました。政府ですら、教育の教材として用いるのを可と言っているだけですが、それ以上にそれを勧めてもいいという思いをお持ちの方がいらっしゃるということで、人はそれぞれだなと思います。◆一つ一つの事柄は別の見方もできるし大丈夫と言えることも多いですが、次から次へと繰り出される法案の出し方、方向性を見ると、ちょっと心配です。日本の優れた官僚が記録を削除したとか、廃棄したとか、ありえません。◆そうした公権力の在り方に問題提議をしてくださる小田嶋氏には頑張っていただきたいです。国から出ていかずに。(2017/04/08)

『奴隷根性』ツイートに、言葉は過ぎるが共感した私だが、世の中の過半数(マッチョ系男?)には反感を買っているかもしれないと、このコラムで知って愕然としている。
そうかぁ…復興大臣は冷静だったのか…。
そして、小田嶋さんや私の様に「教育勅語はキモい」と思う人間がいる事は、ある種の人から見ると「戦後、欧米傾倒教育の歪みの結果」と考えられているんだろうか?(2017/04/08)

Q:教育勅語はなぜ必要か?
A:自己犠牲・挺身・私心の排除といった特別な道徳は、教育勅語でなければその真髄を伝えることができないから。

キーワードだけ抜き出してみましたが、小田嶋氏の言わんとしている事がピンと来ません。

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を子供に暗唱させたからといって、それだけで自己を犠牲にして国家に尽くそうという心が根付く訳ではないですよね?

「この地域ではエスカレーターの右側を歩くのが常識」みたいな話で、
自分の周囲の人間が当然のようにそう振る舞う環境に身を置かせることが重要なのであって、それは別に教育勅語でなくても出来る事だと思います。
むしろ、洗脳を目的としている人からしたら、教育勅語なんて使わない方が反発が小さくて効率的なのでは?

見出しを見て期待したのに、がっかりです。(2017/04/08)

何時もながら小田嶋さんの文章力には感服する。彼のビデオを見て小生が感じた違和感を、小田嶋さんは見事に言語化してくれた。氏の洞察力、文章力は一級である。

今村氏を始めとする現在の権力中枢及びその周辺にいる人間に「自分の国とは何か図示しなさい」という問題を出すと、人々が階層化された、集団化された社会と領土が描かれるのであろう。国民主権・本的人権・平和主義という現在の日本国憲法が意図する国の形を図示しようとする発想にはならないであろう。

形式的権威により順序付けられた権威者が、上位者に媚びへつらい、下位者に威丈高に振る舞う様は、現在の憲法の立法意思を蔑ろにしており、決して容認できるものではない。権威の証である大臣の職は辞任すべきであろう。(2017/04/08)

片言隻句を以てその趣意を曲解するべからず。けだし「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の字句を以て豈に忖度するをえんや。小田嶋氏の言説に賛同するとせざるとを問わず、隻句を以て国旗・国家・邦史を弄することことこそ嘆かわしけれ。▼邦国の歴史に若槻禮次郎なる首相あり。その自叙伝に『古風庵回顧録』なるものありけれども、その末尾は今上陛下(昭和天皇)の所謂東京裁判への訴追免るるを以て欣喜するの報を以て巻の終わりとなしたり。興味ある諸賢あらば、若槻禮次郎『明治・大正・昭和政界秘史』(講談社学術文庫)を参照されたし。▼若槻首相は過去の人なり。その所見信条を忖度するは、小生の任にあらず。また、緩急あらば小生は近在の警視庁町田警察署・町田消防署・町田市役所の避難指示に従うをもって上策と考える凡夫なり。▼『教育勅語』は大阪の学校の一件や復興相の一件の本質にはあらず。『教育勅語』を称揚せんとしても皇国を発揚することもあらじ、皇室の繁栄・安寧たるとも思ひがたし。復興相の思想信条は存ぜねども、苟も月卿雲客たらば邦国国民を含む象徴たる国旗に一例せむも何の不思議かあるべき。尤も、小生は復興相の今回の言動に賛同せざるなり。(2017/04/08)

激しく同意
>>いつものことではありますが、小田嶋氏はどうして都合よく規範を使い分けられるのでしょう? いつもは「憲法を守れ」との主張を繰り返しながら、こういうときに限って憲法で保障されている「思想信条の自由」や「学問の自由」を侵害するような主張を堂々と展開するのですから、ご都合主義もここに極まれりとしか言いようがありません。

そもそも、菅官房長官は教育勅語について「政府として積極的に活用する考えは全くない」「一般的に教育は、学習指導要領に沿って学校現場の判断で行うべきだ」とした上で、「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と述べ、政府のあるべき立場を貫いているに過ぎない状況です。当然でしょう。小田嶋氏がここで熱弁しているような教育勅語の排除を政府が行ってしまえば、明らかに憲法違反になってしまうのですから。

個人的には他にも適切な教材は幾らでもあると思いますので「教育勅語が述べている良いところを活用したい」とする人達の考えに同調できません。しかしながら、「教育勅語を排除しなければ国家主義に洗脳される」などと短絡的に盲信し、これを排除しようとしている小田嶋氏のような人達のほうが遙かに気持ちが悪いと感じますし、何より危険な考え方だと思います。

小田嶋氏やこの出鱈目なコラムを「参考になった」としている人たちは、どこを目指しているのですか? 特定の人達の思想から外れる教育は排除すべきだというのであれば、それこそ思想統制に繋がっていく恐れがあります。その意味が分かっているのでしょうか?(2017/04/08)

教育勅語を復活させようとする保守派が言う「一旦緩急」云々、国家の危機ですがアレは周辺諸国の軍事的脅威ではないことは彼らの言動から明確かと。

財政危機ですよ。ようは保守派政治家が言いたいのは
「税金が払えなくなったら義勇を持って日本のために年金や医療を求めることないよう身を処してくれ」
そういうことです。高齢者への礼を逸しているのは教育勅語を勧める方であります。

それにしても「公」と「私」はいつから対立する概念となったのか。「滅私奉公」という言葉もありますが日本語には「公私一如」という言葉もあります。もとは仏教の言葉らしいですが。(2017/04/08)

何故我が国ではマスコミの発言に対してはお咎めなしなんでしょう。
あの失礼と言うよりおちょくった態度の質問に他社からストップも掛からず、またこの問題が大きくなったあとも百田尚樹氏(特に好きでもないが)以外の著名人はメディアの卑怯さを声に出さない。
また驚くのはこの筆者のような考えの持ち主が居ることで、それをまた日経という大メディアが掲載する。
言論の自由ではあるけどもねぇ。(2017/04/08)

コメント見てると、
「偉い」から逆らってはいけない
そういう、思考停止な日本人が増殖してますね。(2017/04/08)

教育勅語批判としてはやっと傾聴に値するレベルになったと感じました。これを前回書けば良かったのですけどね。ただ、今回の前半部分はまるで不要です。コラム中程でまるで話題が変わり、読んでいて混乱しました。

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

これ、奉する対象が天皇や国になっているから気持ち悪さを感じるのでしょう。その点には同意します。
しかし、対象を家族や親しい友人にまで狭めれば、否定する人はほとんど居なくなるでしょう。ではご近所さんまで含めるのは? 親類は? 勤め先の仕事仲間は? 地域社会だったら?

OKとNGの境界は何処にあるのか? そもそも何故境界が存在するのか?
本当に論ずるべきはここだと思いますよ。ここに焦点を当てないから肯定派と否定派の議論はどこまで行っても噛み合わないのだと思います。(どちらが正しいとかではなく、全く噛み合っていません。論点がずれまくっている。)

ちなみに、国家を更に超えて奉する対象を「人類」にまで広げると、(少なくとも建前としては)ほとんどの人が否定しなくなるでしょう。
国家だけNG率が高くなる理由を考えてみるのも面白いです。(2017/04/08)

不思議なのは、おそらく普段はマスゴミなどと呼んで貶めているであろう人たちが記者に品位・礼節を求めていることである。私はジャーナリスト、芸能人、芸術家等は一種のアウトローだと思っているしそう期待もしているので記者側の態度は明らかな嘘や差別(あくまでも弱者に対してのに限る)的なものでも無い限り問題視はしない。公務員、議員、ましてや閣僚に対して品位・礼節を期待することとは同一視できないどころか、まったく逆である。
あと、「そんなことは一言も言っていない」的な、明言しない限り思ってもいないはず的な擁護もオダジマ氏批判の定番のようだ。馬鹿馬鹿しい。では憲法9条問題で「日本は一国平和主義で良い」などと明言する(彼らのいうところのいわゆる)サヨクがどれだけいるというのか。少なくとも私は見たことが無い。(2017/04/08)

1月18日のオバマ大統領最後の記者会見で
"You’re supposed to cast a critical eye on folks who hold enormous power"「記者たちは巨大な権力に批判的な目を向けなくてはならない」
と、民主主義に於けるマスコミによる権力の監視の重要性を訴えました。

これは日本の民主主義にはとても重要な示唆のはず。それなのに、あるマスコミの挑発的な行動に非難が起き、暴走しようとしてる今村復興大臣に同情する論調が多いのは何故なのだろうか?(2017/04/08)

そもそも安倍首相は改憲がしたくて、その理由は自分達の国が危機に陥っても戦うことができないからですよね。

そして、いま危機に陥る可能性が高まっているからと。

小田嶋さんはこれを否定するのだとして、戦わずに隣国等に蹂躙されても良いという考え方なのだろうか。

現実というのは非情なもので、どこかで何かの選択をしなくてはならない。それを忘れて、いつもただ批判と反対ばかりするような論調には賛成ができない。

何かの代案があれば良いが、小田嶋さんのここ最近の記事はひたすら反対と批判ばかりでウンザリしてしまう。(2017/04/08)

>私個人は、「日の丸」という表象や、「国家」という枠組みや、「国体」という概念のような、「形式」としてわれわれの前に立ちはだかる「権威」に対して礼儀正しくふるまうことよりも、生きて動いている生身の人間の生命や感情を尊重することの方がずっと道徳的だと考えている。

全く同感です。
よって、目の前に生きている今村氏という生身の人間の感情を尊重しない自称ジャーナリストは、全くもっと不道徳極まりない人間だと思っています。叱られて当然でしょう。(2017/04/08)

被災地から自主避難するのも自己責任ならば有事の際に家族や大事な人を守る為に我が身を投げ出すのもまた自己責任ということだろう。我が身を犠牲にすれば後はお国が家族を守ってくれるだろうなんて、どんだけお花畑なだんだか。(2017/04/08)

退席する際に日の丸に一礼するのは国家への忠誠だとかキモいとか意見が出ているが、
私は単に「習慣」の問題なのではないかなと思う。

一家そろっての食事の最中(自宅内とします)に旦那さんがふとしたことで
奥さんと口論になってしまう。奥さんに口で劣る旦那さんが言い負かされ、
癇癪を起こして席を立つ。その際に普段からの癖で「ごちそうさまでした」と
言った。

そんな程度のことではないかな、と。(2017/04/07)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

国というのは個人を守るバリアーではないかと思う。
バリアーがなくなったら、あっという間に個人は力の強いやつに牛耳られ、奴隷になってしまう。
一人ひとりの個人は弱いからだ。
力の強いやつは、弱いやつを奴隷にしたがるからだ。

バリアーがあるから、弱い個人も好きな意見を言える。
そのバリアーは、みんなで協力しなければ守れない。
1人では強いバリアーは作れないからだ。

国がなくなったら、強いバリアーも無くなる。
バリアーがなければ、誰も個人を守ってくれない。
だから個人が大切なら、国を守らなければならない。

国を守ることは気が重いとしても、それをしなければ僕らは自分を守れない。(2017/04/07)

 みんな大事なことを失念している。全ての近代民主主義国の有権者には、須らく国防の義務が課せられているということを。憲法に明文化されていなくても、それは厳然として存在している。
 ちなみに、大日本帝国は、天皇を元首に戴く立憲君主国家であり、当時は立派な近代的民主主義国であった。「一旦緩急アレバ…」とは、帝國臣民の国防の義務(同時に権利)を、日本の国体に沿う表現でテキスト化したものである。(2017/04/07)

道徳や倫理の教育を、教育勅語のようなお題目を教えようとする人々にも、「みんな仲良く、お互いを思いやろう」のような逆の、やはり押し付けで教えようとする人々にも、腹が立ちます。どちらも観念的かつ教条的で実際の倫理的判断には役に立たないからです。ダイバシティー社会ではそんな甘っちょろい道徳感では思考停止するだけです。多様な価値観を受け入れるとは、何が正しいのか、何が道徳に適うのかさえ異なる人々を理解し、平和に共存しなければならないのです。それが多様化の進んだ欧米諸国でさえ難しいのはおわかりでしょう。道徳の時間には「トロッコ問題」を考えること、議論し、自分の頭で考えることをしてほしい。と言っても文科省のお役人には届かないのでしょうが。(2017/04/07)

小田嶋さんの意見に賛同します。記者が非礼な態度、言葉使いがあったにせよ、一国の大臣として、ヤクザと違うのですから、「男」として、非礼な人間をたしなめる事ができる力量、識見を持った人物であってほしいと思います。そういった人が権力を持つ世の中であるべきが、逆の方向に進んでいると思えてなりません。(2017/04/07)

「教育勅語を推進しようなんて誰もしていない。ただ禁止はしないというだけだ」と言っている方が結構いるようですが、現実に園児に教育勅語を暗唱させている幼稚園があり、その教育方針にいたく感銘しそこが設立しようとする小学校の名誉校長を引き受けた首相夫人がいて、その顔を立てるためにか色々と特別に計らって「神風」を吹かせた役人がいるじゃないですか。その学校の教育理念には現総理大臣もシンパシーを感じていたそうですし。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」にしてもそうだが、子供が読んで意味が分かりそうにない文章を使う意味が分からない。歴史の中で過去に起きた事実として取り上げるのであれば意味もあるだろうが、「内容が良いから」教えたいのであれば、原文にこだわらず今の言葉で教えるべき。「朕惟フニ」で始まる原文を持ち出す事を肯定する者には裏の意図を感じる。それは内容よりも「陛下のお言葉」であることを重んじていることに他ならない。「宗教学校だってイエス様や仏様のお言葉を伝えるではないか」という人もいるだろうが、それは宗教と断っているからできることだ。教育勅語をありがたがる人たちも、「明治天皇を教祖と仰ぐ宗教活動」だと断ってから活動するべき。それを一般的な教育の一環と位置付けるのは到底認められない。(2017/04/07)

私は海外に住んでいます。海外から日本を見ていると、大変すばらしい国であることを強く実感すると共に、日本人であることの誇り、日本人としてのアイデンティティーを強く意識します。日本人である喜び、日本の文化を心底から理解できるうれしさを感じます。周囲にも、日本のために何かをしたい、貢献したいという日本人は大勢います。一方で、日本にしか住んだことが無い大半の日本の方は、日本や日本文化、日本人をあまりに低く評価しすぎだとつくづく感じます。
政府はこの日本という優れた国を、世界の中で強くて尊敬される国にしようとしているのですが、、肝心の国民が日本や日本人であることを意識してくれないことから単純に教育勅語を持ち出したのではないかと考えます。すばらしい企業の従業員は愛社精神や社員としての誇りを持つのですから、日本としても同じように、教育勅語に頼らずとも愛国精神や日本人としての誇りを持たせることはできるはずです。その目的を明確にせずに、教育勅語を持ち出すこと自体は姑息とさえ感じます。(2017/04/07)

無礼な態度に、きっちり対応することが少なくなってきたのではないか。
個人の自由を尊重することも大切だが、社会の秩序を守る最低限のマナーも必要だろう。
この論を見ていると、一見そのようなことを言っているようで、個人の自由のほうがすべてに優先される社会を賛美しているように見える。
社会は個人の集合体なのだから、集合体のマナーは守ってほしい。
また、集合体が崩壊しないような努力も惜しいまずしてほしい。
マナー違反をとがめる勇気も必要だろう。(大臣が少し理性を失ったのは残念だが)
オダジマさんは電車で騒ぐ子供たちをたしなめる勇気があるのだろうか。
日本が嫌いなら本当にお好きな国へ出ていかれたらよいと思います。
(そんな勇気があるなら見せてほしいですね)(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

 この文言を否定することのできる社会、個人は国家に先んずると主張できる状況を、私は大変好ましいと思っています。
 その反面、それはとんでもなく贅沢な状態なのだ、と思わざるを得ません。
 国や権威を扶翼しなければ自分たちの幸せが守れない、そうしたものに自分や家族を守らせるしかない、そんな場所は今も世界中に存在します。
 私たちの祖父や祖母もそうした時代に暮らしていたのであって(なんと近い過去なのだろうとおののく思いです)、上記の文言を嗤う気には到底なれないのです。
 
 しかも悪いことに、そうした時代や状態は私たちの個人的な努力を踏みつぶして到来することがあります。
 他国からの圧迫はその好例で、私たちの努力ではどうにもなりません。(イラク国民は「何が何でも戦争する」というアメリカの決意を曲げることができたでしょうか?)
 私は将来(そうなって欲しくないものですが)、家族の上に覆いかぶさって死ぬことになるかもしれません。
 そのとき「日本よ強くあれかし、国運よ無窮なれ」と思わずにいられるでしょうか?(2017/04/07)

教育勅語を字義どおりに扱ってはならない理由は、第一にこれが、親子関係など儒教的概念を説くふりをしながら実際には天皇(親)と国民(子)について語っており、最終的にお前の命を天皇に捧げよ、という超国家主義的イデオロギーに集約されているため。そして忘れてはならない第二の理由は、教育勅語が作られた当時天皇は神であり、教育勅語は神から降されたものとして子供たちに神に自然にひれ伏す感覚を体得させ記憶させ忘却するとがないよう開発された。その上で、柔軟な思考の子供たちに対して宗教観を内包する教育ツールとして使うことにより、国家神道の精神を効率的・強制的に移植して、天皇制中央集権国家、国家国粋主義の形成に強力に寄与するよう、国民教化のための有効なツールとして明治政府が意図的に作成したものだから。教育勅語とは明治政府の開発した洗脳のための手段だった。すばらしい道徳観などという発言は、教育勅語が生まれた背景やその果たした洗脳の成果を考えれば、グロテスクで無責任きわまりない。教育勅語の冒頭に現れる皇祖とは、神話上の天皇の祖先であり宗教上の観念である。教育勅語が国民にふるった強制力は、天皇の現人神としての宗教的権威に基づくものだ。大日本帝国の国教である国家神道の教典としての機能を担い、それを子供達の教育機関で強制的に使用する事で天皇制国家国粋主義の形成に絶大な効力を発揮した。したがって、教育勅語発布の翌年、内村鑑三が教育勅語に礼拝をしなかったために国粋主義者らから批判を受け教職を去るという事件や、キリスト教関係者を巻き込むいくつもの事件が発生している。教育勅語は、国民は天皇のために命を捧げなければならないという超国家主義的イデオロギーを説いているばかりでなく、大日本帝国の国教である国家神道の子供用のいわばバイブルだった。民権思想に国民が染まることを恐れた大日本帝国政府が国民教化のために開発した、国家神道(この明治以降に生まれた国家神道自体、古来からの神道ではなく色々な宗教をつぎはぎした明治政府のいわば発明品である)をベースにした洗脳教育ツールを無頓着に(あるいは確信犯的に?)使う事など本来ありえないことだ。(2017/04/07)

毎回きっちり地雷をお踏みになって、その勇気と勤勉さに敬服いたします。

最近の風潮を見てつくづく思うのですが、日本人って、戦争舐めてますよね。

兵役を経験した某欧州国の若者と最近の日本の一部右傾化について語っていたら、
彼は大層興奮し、

「そういう好戦的な人は一度兵役に行ったほうがいい。
基本的な装備だけで30キロあるんですよ。
僕は通信兵だからアンテナ担いでプラス10キロ。
ロケットランチャーも10キロあります。
兵役の仕上げは、フル装備での24時間駆け足移動です。
戦争って、ドンパチやってるのは一瞬で、移動ばかりなんです。
日本みたいなジジババ集団で、30キロ担いで何人移動できるんですか?
やれるもんならやってみろ」

ほんと、その通り。

やれるもんならやってみろ。

ちなみに、戦争中はホテルには泊まりません。
野宿です。あしからず。(2017/04/07)

確かに百田氏のツイートはキモかった…。ああいうのを「男」だと思っている男性に限って、精神的含むDVをするような気がする…(と、なんだかんだ働きもせず「子どもはたくさんがいい」「母親はできるだけうちにいてほしい」とか夢想して人に難癖つけていた元夫を思い出す)。
本当に「男」(いや、この言葉がそもそも何なので「大人」?)なのは怒りを露わにする人間ではなく、困難に対して黙って道を示せる人であって、キレて怒鳴る男はほんとサイテー(なことが多い、実際)。「男には立ち上がる理由がある」的な理屈をつけているだけで、我慢できない子どもと同じ(こういうタイプの男性が、ですよー。男性全員ではなく…)。
そんなわけで、ユーモアを持ってツイートのできる小田嶋さんを、感覚的に支持します。たとえ世間的には少数派であっても…。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という教育勅語。国民主権、基本的人権と合わないから明確に失効されています。
そこに「あなたらしく、幸せに生きて」
は抜けています。単に自分勝手と切り捨てられません、自分の国がひどいことをしないようにする責任が含まれます。

今も空気や流れのせい(全体のせいにする)ところがある、で個人の責任を放棄している。そのような国や自分に、自らのダークサイドと向き合わない国や自分に成熟を期待できません。

「考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれがありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。」につきる。(2017/04/07)

この件に限らず、報道機関や記者の傍若無人な態度、最低限の大人のマナーと節度を欠いた言動が非難されないのはなぜなのか、非常に疑問です。この記者の言動は独善的であり、偏屈な正義感を振りかざしたかなり乱暴な物言いを、メディア各社がきちんと報道しないことも問題です。大臣の側にばかり問題があるかのような偏った印象を与える編集・動画の切り貼り・報道手法が酷いと思います。報道機関や記者には「権力を監視する」という社会的役割があるのだとしても、それでも復興大臣の会見時のような、非常に傲慢な記者の言動が許容されるべきとは思いません。そもそも私たち国民はイチ民間企業でしかない報道機関や、素性の不明な記者風情にそのような社会的役割や権限を委託した覚えもありません。注目されれば良い、視聴率を稼げればよい、売り上げを確保できればよい、とにかく政府を批判すれば良い、とそういう行動原理で一部の報道機関や記者が動いていることを、国民はよく知っています。建設的な議論を呼び起こせないメディアや記者の態度を頻繁に目にする昨今、国民は彼らを信用などしていません。挑発に乗った大臣もどうかと思いますが、そもそも挑発を仕掛けて非生産的な議論を喚起した記者の方こそが最も強く非難されるべきと思います。記者という立場の前に一人の社会人でもあります。社会人として最低限の節度も守れない記者の態度こそ、非難されるべきものです。報道機関や記者たちは「自分たちの言論こそが正義」と信じているのかもしれませんが、それは独りよがりの錯覚かもしれません。そういう自省の念を常に抱きながら、報道に携わって欲しいです。(2017/04/07)

"私個人は、「日の丸」という表象や、「国家」という枠組みや、「国体」という概念のような、「形式」としてわれわれの前に立ちはだかる「権威」に対して礼儀正しくふるまうことよりも、生きて動いている生身の人間の生命や感情を尊重することの方がずっと道徳的だと考えている。"

この文がすべてだと感じ、大変共感しました。ヒューマニズムとは何か。(2017/04/07)

この記事を読んだ限りではオダジマさんに大いに共感しますが、
コメント欄を見ると、記者の態度が実際に悪かったらしい意見が散見されるので、
問題の記者会見を見ていない立場からはノーコメントで。

ただ、コラムとコメント欄を読んで感じたことは、
オダジマさんに反論する人は、オダジマさんが決めつけているのとはまったく違う理由で反論しているなぁ、ということです。

この事件に関するオダジマさんの認識そのものに異論がある人の割合が多く、
議論ではなく、議論の前提に反論されているということです。

今日に始まったことではないですが、オダジマさんは主張への反論と、主張の前提への反論をごっちゃにして、議論を不毛なものにしてしまう傾向がありますよね。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

大変大事なことを高尚に書いてみた。しかし時勢が変わって字面が合わなくなった。
そんな感想です。

小田嶋さんの文章きらいじゃないのだが、反安倍、反自民、反国家主義が溢れていて
苦しい。とくに反国家主義という大金持ちだけが実践出来る思想を骨髄に信じているのが
よくわからない。
そろそろ平壌とか北京とかモスクワとかに亡命してみるのが良さそうな感じですが
理想の民主革命とやらを成し遂げたソウルもおすすめですよ。

まあ面倒くさいからやらないでしょうけど。(2017/04/07)

大臣は内閣改造を重ねるたびに劣化する傾向にあると思っている(年功昇進)ので、驚くに値しない。
ただ、森友問題に見られるように、それまで賛美の声を挙げていた人々が己に「利」あらずと見るやいとも簡単に賛美の対象者を捨て去るのを見るにつけ、”目〇、鼻〇を笑う”の人種と思うほかはない。敗戦前までは鬼畜米英と国民を先導し、お上に従わねば非国民と隣人をなじっていた指導者や有力者が、敗戦後はその敵ににじり寄り、挙句は東京をはじめとする多くの都市に無差別爆撃を指導したル・メイに勲章まであげているのである。
教育勅語を勧める人ほど、道徳を説いている。笑止である。(2017/04/07)

小田嶋さんのコメントはいつも双方からの視点を持ってるようで片方からの視点しか持ってない。あと嫌いな人に対しては冷静さを失ってこじつけ批判が展開されることもよくある。今回の記事もそんな感じ。確かに今村大臣の反応は私も失敗であったと思う。それと同じく記者側にも問題がある。小田嶋さんの記事を見ると、双方の言い分を取り上げているようで記者側の擁護にしか見えない。なぜ記者は無礼な態度を取ってもいいのか。なぜ大臣だけが紳士にならなければいけないのか。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を利用しているの左翼のほうだろう。小生はこの文章を見ても、当然と思うが、、、、
左翼は、ノンポリ層がこれを見ると、義勇で「義勇軍」と軍隊を思い描いて、嫌がるだろう。
皇運で、天皇陛下の支配する戦前の暗黒日本を想起して、嫌がるだろうと考える。
小生は義勇は正義と勇気、皇運を天皇陛下がおられる、この素晴らしい日本の日本の運命と考える。
何も恥じることはない。堂々と教えるべきだと思う。
教育勅語はなぜ必要か?
ここに書き込むようなインテリたちが、GHQが始め、左翼、日教組が継承したGHQ史観に洗脳されている状況を見て、なおさら教育勅語が必要だと意を強くする。
ここに書き込む人には手遅れだが、彼らの子供や孫たちには、教育勅語を教え、GHQ史観を払拭せねばならぬと思う。それはもう「権利」なんかじゃない。「義務」だと思うんだ。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
「滅私奉公」であれば、葉隠「死ぬ事と見付けたり」の武士道の称揚でも済むが、日本会議の連中が目指しているのは、戦前の天皇制の復活である。だから教育勅語にこだわる。戦前の日本人はこれに条件付けられた集団だった。それゆえ、例えば、ポツダム宣言受諾に際し戦争指導者たちがぐだぐだ議論を長引かせてしまったのは、国民個人個人の命の問題ではなくて「国体(天皇制)護持」が譲れない一線だった人たちがいたことによる。早々に結論を出していれば、広島長崎の原爆投下、ソ連参戦による大陸での棄民等さらなる何十万もの死者を出さずに済んだかもしれないのである。それほど、「洗脳」は恐ろしい。
日本会議の連中は、戦前のように簡単に戦争ができる国に戻ってほしいのだ。そのための戦前の天皇制の復活を望んでいる。彼らは、平和を希求する今上天皇のことは敬ってはいない。「天皇制」復活のためにはむしろ邪魔な存在なのだ。
日本会議の連中に日本の政治を牛耳らせてはいけないのだ。(2017/04/07)

 今頃教育勅語を教育の場に取り入れるなんて、想像もできないことでした。まさかの事態が起こっていることを認識して気味悪さが増すばかりです。日本会議の思想が広くもういきわたってしまったんでしょうか。戦後の民主主義を当たり前と思って育った世代には呆れかえることばかりです。
 今村復興相は先日のNHK日曜討論の場で避難区域が解除になったのに思ったほど帰宅者が増えないことを批判して「故郷を捨てるのは簡単です」と言いました。これを聞いて怒り心頭でした。ヒトの気持ちの分からないひとに復興相なんて任せられないと思いました。私は被災者ではありませんが、もしそうだったらどんなに怒り狂うでしょう。この言葉がマスコミで問題にならないのが不思議です。民主党時代のある大臣はゴーストタウンという現状をそのまま言った言葉で大臣をやめさせられたというのに。
 今度の会見にしても益々今村氏に大臣を任せられないという思いが募りました。(2017/04/07)

左翼・右翼とかの偏見に満ちた意見は止めましょうよ、と呼びかけながら、教育勅語を肯定する人は天皇陛下を妄信する人間を増やしたくて仕方無いのだ、とレッテル張りをする訳ですね。鏡を見た方が宜しいでしょう。

>「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
>今回のコメント欄は、この文章を入れて貴方のご意見をお寄せ下さい。

教育勅語の最も批判し易い一節をわざわざ抜き出して意見を下さいとは、呆れるばかりです。マスコミのいつもの恣意的な思考誘導は相変わらずですね。中国の人が犯罪を起こしたら、中国人全体を偏見で見る姿勢と全く同じです。

教育勅語を推進していた教育者が1人いた => 危険だ!国は戦前に戻そうとしている! いやはや、動物的反射神経にも程があります。国の教育方針の何処に教育勅語が強制されているのですか。推奨もされていません。

そもそも「教育勅語はなぜ必要か」のタイトルからして、捏造です。教育に教育勅語が必要だなんて政府の人間は誰一人言っていないでしょうに。禁止していないだけです。妄想を元にして反証を主張するのは、もはや異常者です。それを追及しない編集者の方も同じですね。(2017/04/07)

今週は、大変キレのあるコラムですね。

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

これの意味することは、以下です。
「国体護持のために、沖縄のひとたちが犠牲になるのは当然の義務」

「潜在的核保有能力のために、福島のひとたちが犠牲になるのは当然の義務」

そういう意味では、今回の復興大臣の発言は、表裏がなく誠に実直です。

生身の人間よりも、「観念」に重い価値をおく国は必ず亡びることは、歴史が証明しています。
ナチ時代のドイツ、大日本帝国、毛沢東時代の中国、スターリン時代のソ連、ポル・ポト政権のカンボジア 等々(2017/04/07)

右や左やいろいろな意見があってよいので、記事の内容には特段意見はないのですが、あの記者の態度、発言を見ると、記者クラブってやはり必要なのかもしれないと思いました。

記者クラブって、メディアと行政や政治の馴れ合いの場的なネガティブなとらえ方が一般的ですが、ジャーナリストの名のもとにあのような質問(ってか思慮の浅い意見)を滔々と語られるのは参加者の時間の無駄。 記者クラブ制をなくしたらあんなジャーナリストが本論と別なことでだらだらと時間をつかってしまうのではなかろうか、と懸念されます。かといってどうやってまともな人とそうじゃないのかを分けるのはとても大変だろうし。
つまりは一部のジャーナリストが記者クラブという制度をそのまま残すのに資する行動を結果的にとっちゃってるって気がします。(2017/04/07)

自民党ネットサポーターズのみなさん,今日も荒らしに精を出されてご苦労さまです!

>前から言ってるけどこの一文の正反対の行動論理で反日在日が日本に蔓延していることの裏返しとなっているのであって,教育勅語そのものを論ずるなら同時に韓国の反日教育も持ち出して比するべきでしょう.

何がどう正反対なのかとか意味不明すぎw全然関係ないものを,どう比べるんだよwもうちょと論理的に自分の考えを伝える練習した方がいいよ.あと被害妄想すごすぎw

>「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
皇運を国民と読み替えれば問題ないでしょ.

それもう「教育勅語」じゃねーしw

>他人に迷惑をかけず年長者を敬う心を持つことを子供に教えることは大切なことではないでしょうか.逆に小田嶋氏のような指向の人がメジャーになったら,韓国や中国のような国になってしまいます.それの方が恐ろしいと思います.

いや,むしろその考えってむちゃくちゃ中国・韓国みたいな儒教国家・権威主義国家ですからw嫌韓・嫌中の人たちって,自分たちの主張しているような国になったら,それこそ自分たちが嫌う国のようになるっていうことが分かっていない人たちが多すぎますね.

「愛国心」に関するいくつかの箴言を

不思議なことだ,いつの時代においても悪人は自分の下劣な行為に, 宗教や道徳や愛国心のために奉仕したのだという仮面を着せようとつとめている.

憂国の士という連中がいて,彼らが国を滅ぼすのだ.

最高の愛国心とは,あなたの国が不名誉で,悪辣で,馬鹿みたいなことをしている時に,それを言ってやることだ.(2017/04/07)

19世紀末の自由民権運動を否定するような勅語を復活させたい勢力だということは分かる。
国民に主権なんていらない、「公共の福祉」を一句残さず「公益及び公の秩序」に変えたい。
そんな方々が支配する日本なら断固反対するしかないかなぁと。

あと政治家、そして大臣は国民の代表なんだからそれなりの資質を求めるのは当然では。
ジャーナリスト()などとは重要性が違う。(2017/04/07)

小田嶋氏の教育勅語へのコメント、私も同感です。
教育勅語の内容は決して間違いではないと思いますが、国が強制するものではないと思います。
ましてや、小学生から叩き込まれたら、反日で激高する中韓の人々と同じように衝動的に行動して日本国万歳と唱える日本人を大量生産するように思えて、気味が悪いですね。
では、そのような日本人が信じる、または守るべき日本国とは、いったい何なのか。
自分は絶対に安全なポジションに位置して好きなように国民を操作する政治家や官僚の集合体ですかね。
私は、その様な事態になる前に家族と共に別な所に引っ越しますよ。
小田嶋さん、どこかいい所を知りませんかね?(2017/04/07)

このコラムに限らないのですが、右・左に係わらず、コメントされる方は「自分に都合の良い所」のみ読んでるのでしょうね。
本分内にその意味が書かれていても「読んでいない」のか、はたまた「理解できない」のか。(2017/04/07)

この問題の根幹である,「自主避難者への対応」問題について,国の対応を私は支持しています.小田嶋氏の指摘しているとおり,政治は責任を分かち合うシステムであるわけで,法律の定めるところ以外で自主的に行動した人々に対し,国が無限に責任を取る必要はないと思っていますし,取ってはいけないとさえ思っています(もちろん,「避難指示」を出していなかった地域にもし健康被害が頻発したりでもしたら,自主避難した人たちにも追加で補償金を支払うなどすべきだと思いますが,現状そうではないので).
そういう立場なので,今回のコラムはいまいちかな…と思っていたのですが,中盤からの展開すごいですねw「奴隷根性とか言ってすみません」っていう謝罪からの全然謝罪する気が無い感じ,大好きです.
それと,以前の稲田ともみちゃんに関するコラムにて,「我々の知っている教育勅語と,このテの人たちのいう教育勅語って実は別物」(要約)とコメントしたのですが,今回,「教育勅語のやばさ」の根源に触れていただけてよかったです.
「国旗に礼→怒鳴る」という行動に,私もまったく共感できない人間ですが,やはり国家神道というのは,甚だしい欠陥思想なのだな,と思い至りました.アメリカであれば,神の下の平等というか,何人も神には近づけないという前提があるから,国家権力と「権威」とがある程度分離され,傲慢な振る舞いを自ら諌める視点が入り込めるわけですが,国家神道はベースが儒教であるがゆえ,「中枢」,つまり天皇または国家への近さとともにヒエラルキーを(彼ら/彼女らの脳内で)いとも簡単に構成してしまうのだな,と.
ともみちゃんにせよ,今村氏にせよ,かくも傲慢な振る舞いは,虎の威を借りまくってこそなされるんでしょうね.私には恥ずかしくてできませんが.
あ,それと,百田尚樹ちゃんはきもい!120%同意しますw(2017/04/07)

最初に書いておくが、私は教育勅語が好きではない。もちろん子供に暗証させたくもない。
しかし、その一方で、教育勅語を教える学校を非難することもできない。
日本の憲法は、思想の自由を保証しているからだ。

公立の学校ならいざしらず、私立の学校で、思想に共感する両親の子供に教える限り、それを一方的に非難することには、正当性が見いだせない(ヘイトスピーチは別。幼稚園で配られたというヘイトビラは、非難されてしかるべきだ)。

小田嶋氏は、勅語の内容に嫌悪を感じるとおっしゃっているが、私はむしろ、
「教育勅語を教えるなんて!」
と大声で叫ぶ議員さんに、
「鬼畜米英の言葉を使うとは、非国民め!」
と叫ぶ戦前の憲兵たちの姿が重なって寒気がする。

一つのものが絶対的に正しいと信じ、その権威を笠に着て、他人を非難できる人たちほど、恐ろしいものはない。戦争を起こし、人権を踏みにじるのは、いつも「自分が正しい」と信じて疑わない人たちだということを、忘れてはいけない。(2017/04/07)

そもそも物にお辞儀をするのが変だと思います。国旗に、グラウンドに、マラソンランナーは道路に。そうやって上下関係を強化することで権力者の地位をより安泰にしたいんでしょうか。(2017/04/07)

小田嶋さん、いいかげん世間一般的な日々の生活に密着した事象でコラムを書いて欲しいです。
どうせ保守だの左翼だのと盛り上がり、荒れたコメントになってしまい面白くないでしょ。
このたびのコラムも読み方によっては、日の丸や天皇制を否定するような尋常じゃない内容に取られかねないですよ。もちろん小田嶋さんが仮にそのような心情でも一向に構わないですが、このコラムには向かないと思います。
以前のコラムは、ニヤ二やしながら、そうそう!と呟きながら読んでいたのに、最近、どこかの文芸雑誌が取り上げるような内容なので気楽に読めないんですよ。
小田嶋さんどうしちゃったんだろう?(2017/04/07)

日本の男性の半数は百田先生の件のツイートに賛成するだなんて、
キモすぎます。

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

身を捧げてお国の為にーの思想にハナマルもらう日が来るなんて
私も嫌です。キモコワイです。(2017/04/07)

小田嶋さん。
この記事は酷すぎる。
人として礼儀正しくあれというなら、同じメディアの側として、貴重な会見の時間を潰しておきながら本質の質問もせず、スキャンダルを取るあの記者の姿勢を正すべきじゃないですか?
この記事を読む限り、メディアが本質を突かずにスキャンダルばっかり追いかけているのを容認してる、甘い考えの側の意見にしか思えません。
所詮小田嶋さんも、大マスコミ側か…と改めて思わされました。(2017/04/07)

今の自民党の、いやーな感じの原因をよく解き明かしていると思います。(2017/04/07)

お説ごもっとも。復興相は自ら資質の無いことをさらけ出した。更に自己責任発言は撤回しない!と強く言っていたにもかかわらずどうやら撤回した模様。これが潔い男のすることだろうか?撤回しない事は信念だったはずだ。もし自分の誤りに気づいて撤回するならそれ相応の納得できる説明が必要で首相に窘められた、同僚に諌められた、大臣をクビにするぞ位で撤回するべきでは無い。そして真摯に撤回したならばその後の方針を行動で示して欲しいものだ。でなければ政治家としての、いや男としての矜持を疑う。あとこの件に関しては記者クラブという物の存在が如何に不要で邪魔な物か明らかにしてくれた。フリージャーナリストが質問したとなれば記者クラブでの会見では無いのだろう。だから質問に怒鳴り散らしたのだ。記者クラブだと忖度してありえない。そして会見とは発表だけでは無く質問に対して答える、そこに議論の余地が荒れば議論の場にもなる事を知らないのだろうか?つまり議論はしたくない、(政府、首相に)言われたことを言っただけと言う無責任な考えから出た言葉だろう。俺には責任は無いんだと。立派な大臣で泣けてくる。教育勅語に関しては過去の歴史を説明しつつ「負の遺産」として教材に使う分には構わない。ナチスを崇拝するのは悪いことだがナチスが何を行ったかを説明しない事にはどう悪かったのかわからないのと同じ。ナチスだってヒトラーだって良いことはした。完全悪では無いから一定の支持を得た。しかし悪の部分が良い部分を消し去るくらい大きかった、なので悪なのだ。局所部分だけ見て良い悪いを判断してはいけない。それに天皇は今の時代に前時代の教育勅語の復活を喜ぶだろうか?私に意はそうは思えない。教育勅語の信奉者は揃って教育勅語と真反対の行動を取っている事からも必要性に疑問を感じる。彼らは教育勅語で育ったのか?少なくとも年齢から見て戦中でも赤ん坊、殆どは戦後生まれだ。自身が実際に小中学生時代に習ってそれで育って良かったと言うならまだしも。どうしても教育勅語を復活させたいなら天皇に新しい教育勅語でも考えてもらってはどうか。勿論政府の横槍の無い天皇本人が考えた文章で。(2017/04/07)

あの記者の態度には怒って当たり前で、ダダをこねる小学生男子と叱る教師に見えます。
同じ主張を繰り返し押し付けるだけの記者の発言は議論になっておらず、わざと煽っていたと見なければ説明がつかないやり取りです。
或いはあの記者が本気だったとしたら 彼は誠にお気の毒な人間性の方ですね。
そもそも大臣ってバカ相手にも怒っちゃダメなんですか? 立場云々を言う人は自分の仕事相手にあんな人が居たら怒らないんですか。
会見をする大臣と、インタビューする記者って プロ同士でしょう。あんな記者あり得ないですよ、まあマスコミには珍しくないみたいですが。
仕事で絡むからこそ俺なら怒りますね。「ちゃんとやれ」って。
その報道の仕方がまた酷い、ただ復興庁もそうなるだろうと承知しているから全文起こしを速攻Upしたのでしょう。
つまり、現在の報道機関はそう見られているという事ですよ、大臣が怒った事よりその事が確認出来た事が良かったです。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」・・・ま、日本の「全体主義」的な現われの最たるものでしょうね。 「皇運」を「会社」に読み替えて突き進んできたのが戦後日本の高度成長を支えた原動力だったのでしょう。 「『お国のために』『会社のために』命を削って働きなさい」と下々に言っておいて、お上の方では何をしていたのか・・・あちらこちらに「忖度」が働くらしい世の中です。 「世間に転がる意味不明」・・・まったくその通り。(2017/04/07)

>「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
> 今回のコメント欄は、この文章を入れて貴方のご意見をお寄せ下さい。

なかなかに編集氏さんは攻めますねえ。
それにしても、NBOにおけるコメント欄の扱いが編集諸氏毎に温度差が有り過ぎること、方向性を統一することは出来ないんでしょうかね。兼ねてから指摘しているレビュー・コメント欄を閉鎖しているコラム、遥氏に加え神野氏も増えましたし、閉鎖していなくても「隣の乗客に凭れる人の末路」のような恣意的にコメントを掲載しないコラムやアリバイ的に賛成論1件だけ掲載するコラムも散見されます。
コメントチェック業務の時間が本来業務より多くなるのは本末転倒ですが、なるべく多くの読者コメントを読みたいと思っていますので、小田嶋担当編集氏のスタンスを応援しています。(2017/04/07)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

「一旦緩急ある前に、できれば国を捨てたいと思う。」
こういうことを当たり前のごとく言う人は、決して国を捨てない。
むしろ最後の瞬間まで寄生して生きていく。
生活の糧が、自分の思想とは相容れない政府を批判することによって
得られているからだ。
行動できない人ほど勇ましいことを言う。
行動しない人ほど表面上は現状を憂いている風にふるまう。

他のコメントにあった「人権の尊さ」という部分だが、
人権を尊べる国があってこその人権であるということに意識は
向かないのだろうか。
国が変われば、人権など意味を持たないことなど目の前で
見ているだろうに。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

「皇運」を「国民」と読み替えて、"義勇"は"災害ボランティア云々"とすれば問題ないという意見を目にするが、
時代や状況次第でいかようにでも読み替えられるのであれば、また「皇運」を「天皇」と読み替えられる可能性は残ってるよね。
だから、そういう擁護の仕方は諦めた方が良いと思うぞ。(2017/04/07)

「教育勅語」といのは、確かに「国の為に自分の命を犠牲にする」というのが盛り込まれているのは事実でしょうが、現代の教育に「教育勅語」が復活したとして、「国の為に自分の命を犠牲にする」子供たちが育つのでしょうか?時代錯誤じゃないでしょうか。私はあなたの記事に全く共感できません。時代遅れの頭の固いジジイ戯言に聞こえます。(2017/04/07)

いつものことではありますが、小田嶋氏はどうして都合よく規範を使い分けられるのでしょう? いつもは「憲法を守れ」との主張を繰り返しながら、こういうときに限って憲法で保障されている「思想信条の自由」や「学問の自由」を侵害するような主張を堂々と展開するのですから、ご都合主義もここに極まれりとしか言いようがありません。

そもそも、菅官房長官は教育勅語について「政府として積極的に活用する考えは全くない」「一般的に教育は、学習指導要領に沿って学校現場の判断で行うべきだ」とした上で、「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と述べ、政府のあるべき立場を貫いているに過ぎない状況です。当然でしょう。小田嶋氏がここで熱弁しているような教育勅語の排除を政府が行ってしまえば、明らかに憲法違反になってしまうのですから。

個人的には他にも適切な教材は幾らでもあると思いますので「教育勅語が述べている良いところを活用したい」とする人達の考えに同調できません。しかしながら、「教育勅語を排除しなければ国家主義に洗脳される」などと短絡的に盲信し、これを排除しようとしている小田嶋氏のような人達のほうが遙かに気持ちが悪いと感じますし、何より危険な考え方だと思います。

小田嶋氏やこの出鱈目なコラムを「参考になった」としている人たちは、どこを目指しているのですか? 特定の人達の思想から外れる教育は排除すべきだというのであれば、それこそ思想統制に繋がっていく恐れがあります。その意味が分かっているのでしょうか?(2017/04/07)

教育勅語も一種の宗教団体の経典と同じ。硬軟織り交ぜての内容で、最終的には教祖絶対、教団絶対のマインドコントロール教材なのでしょう。卍の教祖しかり、某半島のミサイル発射好きの方しかり、霞ヶ関を戦場にした某教団の教祖しかり、最終的に教祖絶対及び教団絶対は、悲惨な方向へと向かうことを歴史と現実が証明しております。それを見過ごすことは、自分で自分の首を絞めるに等しいと思う人は少なからずいると私は思いたいです。小田嶋さんもその一人だということですよね。なにはともあれ、どの国の政治家であれ、感情的にならず冷静さを保てる男らしい方であることを望みます。戦争が起きない平和な地球を維持していただきたいと心より願うばかりです。(2017/04/07)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

緩急を災害ととらえるのは、なるほどと思いました。
以前のここでの記事で、震災対応をジハードととらえるムスリムの紹介がありましたが、似た心情かもしれませんね。同意です。

私はエンジニアなので、実績は大事だと考えます。アイディア自体がすばらしくても、実際に機能しないモノはダメなのです。かつて、実際に運用して、大変にひどい結果になってしまったものは、棄却するかきちんと原因追及し改良して、新しいものとして始めるないと、同じ結果になる可能性が高いと考えます。原発しかり。教育勅語しかり。

一旦緩急ありそうになったら、私も移民を考えます。北海道あたりが独立してくれるとありがたいなあと思うのですが。
国境なんて、時代とともに移り変わるものです。(2017/04/07)

そうですね、教育勅語は発表当初から違憲扱いされていましたし、政権内部でも問題視されていたようです。個人的な野党時代の自民党の憲法草案と同様の、単なる一部の勢力の勇み足が妙に後代の一部のよくわかっていない人から賞揚されているだけではないでしょうか?教育勅語から天皇についての言及を削除する、とか言っている人はちょっとでも読んだことがあるのか単純に疑問です。滅私奉公という一見マッチョな空気に酔いしれているだけ?

今回のコラム、全体的に低姿勢に感じました。変なコメント(なぜかトランプ氏や勧告が出てきたり)が飛んできて大変でしょうが、これも職業上仕方がないと諦めて、率直な感想を軽妙な語り口で続けていただきたいと思います。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
この言葉に拒絶反応を示す人は、「公に奉し」、「天壌無窮」、「皇運」なんて言葉に引っかかっているんでしょうね。つまり、公け=国のために働く気はないし、天壌無窮なんて格好いいこといったところでそんなわけないし、皇室の運のために働くなんてさらに真っ平御免ってことなんでしょう。純粋無垢な人なのかもしれませんね。字義を語句のまま理解する。無垢を馬鹿と読むこともできるのが、日本語だと思います。皇運なんて言われて皇室のため、なんてのは愚かな読解力としかいえません。皇室、天皇は現在の憲法でも日本の象徴として居られます。象徴ですよ。象徴の運、それが日本全体の運と読めないのは頭がおかしい。皇室だけ生き残ればいいなんてことは一文も書かれていない。だいたい、日本という国がなくなれば皇室の存在意義自体が消滅するわけで。一蓮托生って奴ですよ。

小田嶋さんは一旦緩急ある前に、国を捨てたいと思うらしいので、さっさと国を捨てればよろしい。すでに緩急始まってますから。で、日本語で生きているコラムニストが海外から日本語でコラムを書いて日本人に向けて発信していけばいいのではないでしょうか。それができるか、受け入れられるかは別として。(2017/04/07)

何を崇拝しようと知ったこっちゃないが、教育を使ってマインドコントロールするのはやめてほしいもんだ。(2017/04/07)

自主避難に対する感覚についてですが,自主避難を自己責任と考える方って,例えば,ご自宅に生ごみが勝手にぶちまけられて,「ここはあなたの家だから片付けるのはあなたの責任です」と言われても,素直に「そうですね」と納得しますか?また,「生ごみは片付けました」と言われても周りに腐臭が染み付いていても,「片付けたのだからここで住んで下さい」と言われて,素直に住みますか?
「生ごみの元になった野菜や食料は,あなたも食べていたもので,あなたにも責任があります」と言われて,「はいそうです」と言いますか?
これを怒らない人だけが,自主避難を自己責任と言う権利がありますが,そんな人いますか?
想像力が欠如している自らの不能さを,他責に押し付ける考え方はやめたらどうですか。(2017/04/07)

復興庁としては、そこのトップとしては、自分らが成果を上げたということにするためには、自主避難者という存在は自分らの仕事を否定するものであり、目の上のタンコブであり、要するに許しがたい存在である。考えたくもない。
その原因の原発事故は、復興省の管轄ではない事のトバッチリである。俺には関係ない。
帰宅者の健康被害など、それは厚生省かどこかの話なのでやはりトバッチリである。俺には関係ない。

そういう目の上のタンコブや他人のトバッチリのおかげで自分が成果を上げられないことを指摘される
なんとも哀れな男ではないか。
器の小さい人間なら、暴言のひとつも吐こうというものだろう。(2017/04/07)

すみません、私は原発に関する避難の問題も、教育勅語を教材として採用するかどうかについても、専門家でも無ければ、見識もないですし、下手な意見を書いて炎上するのも嫌なので差し控えます。
一点、私は社会人として多くの期間、民間企業の広報という仕事についていたので、記者会見の様子についてだけコメントしますと、記者会見は主催者と記者との質疑応答の場であって、個人的な感情による意見の応酬や議論の場ではないと思います。会見の多くを一記者の感情を交えた議論に占有されてしまっては、他の媒体や記者が迷惑です。大臣が途中で会見を切り上げたことの是非は別として、途中で会見を放棄されてしまっては、他に聞きたいことがあった記者にとっては大変迷惑な話です。この場合は、記者会見を仕切っている広報担当者あるいは大臣自身が仕切っているのであれば大臣が「この質問については後日改めて取材の場を設けて欲しい」と提案するか、あるいは記者が一旦質問を切り上げて、改めて取材を申し込むべきだと思います。
ただ、最近の森友問題など、例えば関係省庁などに個別取材を申し込むと拒否されるケースが多いようなので、最適解だとは言えないと思いますが。それともう一点、基本的に会見の主催者は様々な論調を持つ媒体の様々な記者から、どのような質問が飛んでくるかわからないというプレッシャーの中で、質疑を裁くわけですから、大臣という立場や感情のコントロール云々という話はおいておいても、会見録を見れば、声を荒げたり、暴言を吐きたくなる気持ちもわからないではないなと。蛇足ですが、私が会社に入った、まだ失われた20年などという言葉がない元気な頃は、民間の企業でも「お前、どこの記者だ。今後、出入り禁止だ」などと怒鳴る人はいましたよ(笑)(2017/04/07)

大臣は行政の長であるので,法に従い行政を行うのが仕事.
今回の場合,被災者生活再建支援法,東日本大震災復興基本法が絡むと思われるが,
それらに帰宅困難者の永久賠償の規定はない.

とすると,大臣としては,それを行うことができないし,
法がない場合は,原則である自己責任の範囲に帰することになる.
大臣の発言は正しい.

本筋は,大臣にではなく,法改正だ.

でその上で,
法改正せずとも,上記法を拡大解釈して適用せよ,という意見もある.
ただし,ちょっと解釈の範囲で行うには無理がある.
まあ,韓国みたいに法治国家の建前を捨てたいなら,大幅に解釈を捻じ曲げれば良い.
ただ,本筋は,立法による法改正.
内閣提出法律案でも良いけど.

・・・ということを理解しない質問を繰り返されたとしたら,ちょっとキレるかも.
流石に上記は基礎教育の範囲だし,もしそうなら記者の質が悪いと言えよう.(2017/04/07)

国旗への一礼、天皇への尊敬の念。
自然な気持ちとしてこのような気持ちを抱くことに違和感はありませんが、学校教育によってこれを植え付けるということは、やはりおかしい。教育勅語は、天皇を国家元首に戴く臣民の義務を表したもの、と理解しています。このようなものを教材に使う教育には恐怖を感じます。自民党の憲法改正案にしてもそうですが、今の自民党はやはり右に傾いてるという感は否めません。ただ、他の政党に政権を任せられるかというと、もっと恐ろしいと思うわけで、どうしようもないわけですが。(2017/04/07)

小田嶋さんの意見には、私も同感です。少数派かもしれませんが、共感する人はいますよ。ちなみに、私は小田嶋さんと同年代です。
教育勅語関連のことについては、それを具体的に召喚するかどうかはともかく、日本の社会には教育勅語的な「空気」というのは存在しているように思います。
「お国のため」というと実感は乏しくなりますが、「会社のため」に心身を削って働いている人は多いですからね。
過重労働によって過労死または自殺してしまう人はいるのは、「会社のため」に命を投げ出しているようなものでしょう。
その精神状態は、どこか「神風特攻」を連想します。
戦時中、特攻機に乗り込んだ若者たちは、建前として「お国のため」の命を捧げたのでしょうが、本音では「死にたくない」と思っていたはずです。しかし、国のために命を捨てなければいけない「空気」があったのだと思います。
嫌だといえない、拒否できない、周りがやるから自分もやらざるをえない。
スケールダウンはしているものの、会社という組織内で「特攻精神」は美徳になっているのではないでしょうか?(2017/04/07)

初めて記者会見の模様を通しでみさせていただきました。見た印象としては、これでは大臣が怒るのも仕方ないかなと言う感じで、当初、報道で受けた印象とは違ったものになりました。良いか悪いかは置いておいて、現状は福島県が窓口になっていて、国が支援するという枠組みになっているので、そこを突っ込んでも仕方ないのにという感じです。記者が栃木や群馬から自主避難した人もいるんですよ!と言ってましたが、栃木や群馬から現在まで避難する必要があるのかも疑問です。当方、福島県民(原発から40Km地点)ですが、避難区域だったならいざ知らず、避難区域にもなっていない地点に住んでいて戻れない(戻らない?)人がいるのがちょっと疑問です。まぁ、避難区域の近くで、小さな子供いるとかであれば理解しますが、自主避難者としてテレビのインタビューに出ていた郡山の女性高齢者は戻れるだろと思いました。(2017/04/07)

現在、50代後半です。
40数年前、北の僻地の中学では教師も立派に?「ストライキ」をして学校内は
管理職である校長と教頭のみ。
学生はのんびりと各教室を巡回する校長と教頭の「お相手」をし自習をしていました。
最近の教育を巡る環境を見るとまるで違う国のように感じます。
良い悪いでもなく左でもなく右でもなく根本に「自由」「許容範囲」がなくなり社会全体に非常に狭くなっているのが、怖く感じています。
政府を批判する事は納税者として基本の権利ですが、共謀罪はそれをどう「解釈」するのでしょうか?
確かに自由には義務もセットでついてきます。
相応の義務はきちんと負う覚悟はありますから、自由を奪う社会は断固として「NO」です。(2017/04/07)

記者は、前橋地裁の判決にもある原発事故の国の責任を問いた上で、避難者に対しての「家賃補助打ち切り」は判決の言う「国の責任」をとるとは違う行動ではないかと質問していたはずです。
しかしながら、これを「挑発」やら「しつこい」行為と取り、同じ日本人でありながら、福島の人の痛みを微塵も感じない人がこれだけ多いのには、本当に驚きます。
これが自民党の、そして自民党を支える人の「本音」だと感じます。(2017/04/07)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
今回のコメントは荒れると想定されているYさん、お疲れ様です。

今回の件は確かに政治家が悪い。おっしゃる通り。ただ、記者側に相手に対する敬意はあるのかと思うと、たぶんない。特に権力批判を行う人やマスコミ、知識人と言われる人には相手に対する敬意が欠けていることが多いように思う。

表現の自由、言論の自由は大事だけど、個人の責任と相手への敬意があってこそ自由は成り立つ。
そこのところをないがしろにしているからこそ、教育勅語のような亡霊が今でも求められる環境を生んでいると思うが、オダジマさん、どうでしょう?(2017/04/07)

◆「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」 この一文をもって教育勅語全体を否定するのは小田嶋氏の勝手。 ◆前から言ってるけどこの一文の正反対の行動論理で反日在日が日本に蔓延していることの裏返しとなっているのであって、教育勅語そのものを論ずるなら同時に韓国の反日教育も持ち出して比するべきでしょう。 ◆今、求められているのはあくまで日本の尊厳の復帰であって、軍国化じゃない。「日本の国益とはいかにあるべきか?」であって「在日のために日本の国益を無視していい」じゃないでしょうに。 ◆繰り返しますが、教育勅語のような思想が求められる背景(反日思想の蔓延を払しょくするため)をまず、先に明文化してからコラムにしてください。 これじゃただの第三国による工作員でしかないじゃないですか。(2017/04/07)

自分の命をかけてまで守らなければならない対象は何か、ということを常に命題として不断に心掛けて居れば世の中の出来事を冷静に捉えることができる。折角、6年前にあの1000年に一度という大震災を経験したにも関わらず政府関係者、マスコミの対応は日本人として悲しい。天涯孤独であれば自分の命を第一に、国外逃亡も結構だが、愛すべき他者が居れば気持ちとしてはそれに集中するだろう。さらに、志の高い人は国を思う気持ちが第一かもしれない。そう思う人には教育勅語は最上の法典かもしれない。日本にはまだ個人主義が定着するほど豊かではない、民族として個人主義は相容れない思想なのかもしれない。(2017/04/07)

はーい

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

(^_^)


私にとっては,小田嶋氏と同じように国旗はあくまでも国を示すアイコン,記号でしかないと思っているので,違和感なく読めてしまう。

大臣と記者,まあこれは両方に問題があったのは間違いなく。そもそも千葉から沖縄に逃げて大麻にはまった元女優とか,要するに過敏に反応した人まで補償の対象にするのかといったら,それはあり得ない。その見極めはきわめて難しい。結果,福島県に限るのは妥当なことだと思う。そこをねちねち言われたら確かに頭にくるだろう。ただ,やはり大臣という立場では表向き感情的になってはいけない。国の代表なのだから。

その上で,国旗に敬礼する事を忘れないというのは,要するに神道という宗教絡みなわけで,日本会議の影響も色濃くあるのだと思う。現在の政府与党は両党とも政教分離のできていない党であることは明白。特に自民党の最近の政教不分離は目に余る。教育勅語といい,改憲草案といい,危なっかしくてたまらない。(2017/04/07)

相変わらずどうでも良いようなゴシップネタに終始していますね。
>政治家が備えているべき資質の中には、困難な場面で感情的に振る舞わないことも含まれている。
これは是非ドナルド・トランプ米国大統領に言ってください。
今村大臣の件に関していえば、軽率ではあっても、異様ではないと思います。なぜならあの記者は大臣を自説を強調するために大臣を挑発する目的で発言したように見えるからです。いくら公人でも挑発を繰り返す鉛筆ヤクザにいつまでも付き合う必要はないのでは?
ちなみに日の丸は日本が国の憲法で定めた国旗です。戦前から使っていようが、オダジマさんから見て右翼的であろうが、それを否定するのは日本の国民としておかしなことだと思います。
日本という民主国家が存在するからオダジマサンのような人がネットで好き勝手なことを書いていても法律に触れることもなければ逮捕拘禁されることもないということを理解されていますか?
教育勅語に繰り返し反発するのもむしろ時代錯誤です。今の政府に象徴となって久しい天皇に命を捧げろと言っている政治家が一人でもいるでしょうか?私たちが自由な暮らしを続けることが出来る日本と言う国を守るために私たちは時には闘わなければならない。これは民主主義を守る上で根幹をなす行為であり自然なことだと思います。
そうしたことまで否定しつづけるなら、早く日本国籍を捨てて理想とする思想を貫ける国に移住したほうがいいです。もっとも日本以上に言論の自由が許されている先進国家がどのくらいあるかの方が疑問ですが…(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
皇運を国民と読み替えれば問題ないでしょ。国難に遭遇したら国民皆で対処に当たりましょうってことですね。
サッカーワールドカップを見てもわかる通り、国旗や国歌に敬意をもつのは国民として当然だと思いますね。それができない人はその人が受けた教育に問題があると思いますよ。
別に天皇陛下に命を捧げる必要はないですが、他人に迷惑をかけず年長者を敬う心を持つことを子供に教えることは大切なことではないでしょうか。逆に小田嶋氏のような指向の人がメジャーになったら、韓国や中国のような国になってしまいます。それの方が恐ろしいと思います。

今回のコラムは安倍政権打倒に燃える野党が森友問題を国会で追及するような内容でした。
まず今村復興相に質問をした「記者」はジャーナリストではない。いわゆる「プロ市民」ですよね。NBPを読むような人ならネットに上がってるので多くの方が既にご存知だと思います。
したがって、今回の問題はなぜ記者会見にそのような反日運動家が紛れ込んでしまったのか、復興庁の広報担当者はなぜその運動家の質問を遮らなかったのかが言うことでしょう。(2017/04/07)

教育勅語とか日の丸とか君が代とか、どうでもいいというのが多数派で、一部のそういったことに敏感なかたがたが右と左に分かれていいとかわるいとかキモいとかかっこいいとか言い合っているだけで、大多数の人はそのどっちの立場もくだらないと思っているのが実情じゃないかと思います。メディアには敏感な人が多いらしく、オオゴトのようにそれを取りざたしていますが、それもメディア離れの一因ではないかと(2017/04/07)

今回も「そうだそうだ、まったくだ」おおせのとおり。
今村大臣があのような発言・態度をしてしまうのは、官製エリート最高峰東大の出身ゆえか?という見方はうがち過ぎですかね。
戦前の皇国日本への逆戻りだけは心底ご免であります。今は国民主権の世です。(2017/04/07)

>一旦緩急ある前に、できれば国を捨てたいと思う。

国を捨てて生きることができる人は、そうすれば良い。

ただ、大多数の日本人はそうではない。
と、思う。

この素晴らしい国で家族と生きてゆきたい。
その思いがあればこそ、
祖国を護ることこそが、
家族を護ることそのものとなる。

現在の日本は、かなり危険だと感じている。
それは、精神的なことではない。
単純に、他国からの攻撃を受ける可能性が高い。

地球市民として生きる方は、
可及的速やかに脱出すべきタイミングでしょう。

残念ながら、私は家族とともに、
日本国民として生き続ける道を選択しますが。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
私が小学3年生、もとへ国民学校3年生のとき日本は戦争から解放されました。その時は日本が負けたとか思いもしませんでした。なんだかよくわからない天皇陛下のラジオ放送の後、夜も電気をつけて明るくしてよくなって、それがいちばんうれしかったことです。
今頃話題になっている「教育勅語」は昭和20年の1学期までは、毎月奉安殿から校長先生が白手袋の手で恭しく捧げつつして運んでくる巻物で、校長先生が厳かな声で読むのを、全校生は頭を垂れてじっと聞いていました。「朕思うに」に始まり「御名御璽」で終わるその巻物は、ただひたすら我慢して聞くのみで、「御名御璽」に来たらほっとする、そんなものでした。
その内容について誰からも教わったことはありません。もう国中がその内容通りになっていたので改めて学校で教える必要もなかったのです。その代り2学期になって学校に行ったら、なにもかもがすっかり変わっていました。奉安殿は壊され、ひらがなは話す通りに書くことになりましたが、それをきちんを教える先生はいなかったみたいです。私の大人への不信感はここから始まりました。(2017/04/07)

百田 某より、オダジマ氏を、強く支持する。(2017/04/07)

「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

明治の世にあっては"緩急"が"戦争"を意味するものと思いますが、
現代にあっては"災害"と解釈してはどうでしょう。

東日本大震災から6年が経ち、帰還困難区域を除く福島の浜通りの
街にかされていた避難指示が解除となりました。
賛否はあるでしょうが、帰還を選択した住民の方々は6年の月日を
取り戻すための苦労があるでしょう。
僕は昨年7月に避難指示が解除された南相馬小高区に月に2回ほどの
ペースで通い、荒れた農地の整備やお宅の片付け、最近では
仮設住宅からの引越しのお手伝いなどをしています。
今回、避難指示が解除された街でも同様のお手伝いが必要なはずで、
それには多くの手が求められます。

昨年も熊本・大分の地震、岩手岩泉の水害など、年々新たな
大規模災害が起こります。
南阿蘇では崩れた法面の整備、岩泉では床下に体積した泥の
除去をしてきました。
熊本も岩泉も発災当初から手付かずの状態が残っています。
"緩急"の時に多くの人が動くべきです。

被災地域への訪問を続けられる陛下も国民に対して"義勇"
(現地へ行き、行動する)であることをお望みではないでしょうか。(2017/04/07)

小田嶋さん、久々のクリーンヒット!
当コラムの頭から尻尾まで納得。
為政者のみならずマスコミも乱心状態。
マスコミの横暴ぶりは数十年前から顕著だった。
為政者の狂気は、ここ数年で顕在化。
強権を所有する為政者に対してマスコミの実体は従順。
マスコミも当局ににらまれると生活ができないから。
有料の公共放送は面従腹背ながらも為政者には著しく従順。
このことが国民全体に誤ったメッセージを伝達。
日本国民もいつか来た道を歩いているような。
民主主義国家の日本では為政者を選べるはずだったが・・・。
そうだ、あのヒトラーもドイツ国民が選んだという史実があった。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
教育勅語は天皇陛下の垂訓であるから、推進論者の「人間として普遍的な道徳」との言葉とは裏腹に、道徳そのものが垂訓者の権威によって、持ち上げられたり破棄されたりすることになる。
現に、「新憲法になったので親の面倒を見る必要はない」と子供に宣言されて放り出されそうになってる老親の嘆きが読売新聞の人生相談をまとめた本に載ってる。(2017/04/07)

日の丸を権威の象徴とか、教育勅語を復活させたい奴がいるとか、相変わらずのサヨク脳ですね。
日の丸は日本を象徴するものであって、そこには権威とかなんとかは関係ない。単純に我々が住んでいる日本という国を象徴するものだ。
また、教育勅語の中にも現在に通じる良い教えもある、と言ってる人はいるが、教育勅語を復活させよ!などと言ってる人は、少なくとも安倍政権内の政治家では聞いたことがない。

そのたぐいまれな妄想癖で、火のないところに火を焚きつけるように自分の妄言があたかも現実であるかのように騒ぎ出し、挙句に平和を訴えながら自らの暴力を正当化する、そんなサヨク脳の方がよほど怖い。(2017/04/07)

教育勅語教材化決定の背後には、戦前志向型の政治家と官僚の間では美徳とされている権力者に対する阿諛追従と忖度があったという背景と並べて、決定された2017年にはアベ友醜聞なるものが熱烈なる教育勅語の信奉者の間で起こって日本国民を大いにあきれさせていた事実ととも記載することを要求しておけば面白い副教材になるかもしれません。(2017/04/07)

大臣も謝罪したしオダジマも謝っておくのは良いとして、身体化されたマナーで大臣に噛み付いた訳で、その姿勢に共感する立場から敢えて言葉を贈ろうと思う。《軽率かつ無自覚な大臣の汚い発言に反応してしまったオダジマは軽率だという話もあるが、私は、よくぞつぶやいてくれたと思う。そんな野郎には怒って当然、つぶやいて当然だ。なぜなら執筆者である前に人間であるからだ。NBOを辞めたってどうということはない。しかし人である事を辞めたら、終わりだ。》(オレ)さらに言えば、《教育勅語が復活したら、日本は終わりだ》(2017/04/07)

>私個人は、「日の丸」という表象や、「国家」という枠組みや、「国体」という概念のような、「形式」としてわれわれの前に立ちはだかる「権威」に対して礼儀正しくふるまうことよりも、生きて動いている生身の人間の生命や感情を尊重することの方がずっと道徳的だと考えている。

私もそう思って(そう育てられて)生きてきたはずなのですが、この記事が「参考にならなかった」、記事のお薦めも「どちらでもよい」と考える方が、そうか、、、結構いるんですね。
いえ、私の考え方がマイノリティなのはまったくもって構わないのですが、「個人」より「国家」が常に優先されるような国には私も長居したくないなぁ。(2017/04/07)

「怒り」は一番切換がしやすい感情です。具体的な怒りの対象が明確になっているのならなおさらです。たとえば筆者がネットを見ていて、保守論客のツイートに怒りを感じていても、そのあとかかってきた編集者からの電話にその怒りをぶつけるようなことはしないでしょう。万が一筆者が編集者に怒りをぶつけてしまうようなことがあれば、それは八つ当たりなのでもう少し感情のコントロールをご自分がされた方がよいということになってしまいます。だから大臣が記者に怒った後、国旗に冷静に一礼し、そのあとまた記者を怒鳴っても、大臣は怒っても八つ当たりしない人というだけのことです。なお、教育勅語に関しては最近筆者も文中で述べている「別の教材でもできるのになぜ使う」論がよく出てきます(この間NHKのニュースでもこの理論を使っていました)が「なぜ別の教材をわざわざ作ってまで教育勅語を使わせたくないのか」というところに「国会で無効決議があったから」とか「戦前を想起させるから」とか表面的な回答だけして、その本音を言わなければ大多数が「やはり教育勅語はよくない」とはならないでしょうね。その本音を公にすると「やはり教育勅語が必要だ」となる可能性の方が高いでしょうけど。(2017/04/07)

つくづつ日本人は議論の下手な国民なんだと思う。
議論の場として適切かどうかはともかく、あの場で自分の立場、主義、主張を訴えたいなら、相手の言っていることを受け止めつつ、見解に相違があるなら堂々とそう言えばいい。
今回のように大抵はどちらかが感情的になって議論がうやむやになることがほとんど。
記者、大臣、コラムの作者、それを読む読者、みな意見が違っていて当たり前、と考えることが普段からできていれば、感情的な表現をしたり、不要に相手を貶める言葉遣いは自分の品位を落とすだけと気がつくはず。(2017/04/07)

あの小田嶋さんが反省していると失礼ながら驚いてしまった。
今村大臣の発言は事実誤認を含む不当な内容であり、そのフロアで最高の権威を発することのできる人物による威嚇は、事情はどうあれパワハラに値する不適格行動である。
新世紀エヴァンゲリオン好きとしては、件の記者(という名の活動家?)がエヴァを貶める発言をしたことを断じて許せない。よって、その点にのみ今村大臣に同意できる。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

教育勅語はともかく
「一旦緩急ある前に、できれば国を捨てたいと思う。」

小田嶋氏は一体どちらへ行かれるのか非常に興味の有るところである。
この日本でしか務まらない氏だと思うが・・日本でさえも務まらないかもしれないぁ
他人事ながら心配ですネ。(2017/04/07)

記者の言う
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
  自己犠牲。
 挺身。
 私心の排除。
に関しては、ケネディの有名な演説
「国に何をしてもらうかでは無く、国に何が出来るか考えろ」
と基本的に同じでは無いでしょうか?

また、「一旦緩急アレハ」=「戦争になれば」なので、当たり前の事だと思います。
寧ろ、ここの部分を無視して、平時にも強要するかの様な印象操作をする記者の意図を疑います。(2017/04/07)

今回はお題があるんですね(笑)。では早速ですが義勇公ニ奉シの「義勇」とは何か?オダジマ氏は「国家のために命を捧げること」と文中に書き、実際に先の敗戦では戦争に参加協力することが「義勇」とされ一種の強制制をもって多数の国民が戦火に没した事実があります。
一方、近年では東北や熊本の震災において余震や建物倒壊等、命の危険が残る中ボランティアに駆けつけた人々の行動も立派な「義勇」と言えます。しかし、ボランティアの人々は「お国の為に」などと愛国精神を発露するために現地に駆けつけた訳ではないでしょう。
皇運の皇とは国民の代表であり、つまり国民そのものであると改められた現代においては、件の一文を「緊急時にはボランティア精神を発揮し、国民皆助け合うべし」程度に解釈することも可能。この位なら内容的には至極真っ当と思えます。
戦死とボランティアの違いは強制制の有無でしょうね。今のところ現代日本は震災ボランティアに行けなかったからと言って「非国民」などと罵られる社会ではありません。
しかし、多くのサラリーマン諸氏が内心を押し殺してサービス残業してしまうような同質性と同調圧力が高い日本社会においては、道徳は扱いを一歩間違えば強制制をもった呪縛ともなり得ます。その辺のバランス感覚をキチンと保てるかどうかですよね。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」→「一旦緩急ある前に、できれば国を捨てたい」私の気分は全く同感です。私は昨年一気に孫が二人生まれ、三人の爺になりました。彼らが生きていく将来を思うと暗い気持ちになってしまうことが、悔しく残念でなりません。私はスポーツは好きですが、マッチョな男が苦手です。しみじみ孤独は感じないでください。けっこう小田島さん風に感じている野郎もいますから。(2017/04/07)

人権が大好きなヨーロッパでも国家への帰属意識の向上と
現実的な防衛の為に徴兵制が復活しつつありますし
むしろ日本はヨーロッパに比べて遅れてるんじゃないですかね(2017/04/07)

>たとえば、「天皇」への尊崇の念、「国家」への忠誠心といった、子供には難解な概念を彼らの第二の天性として身につけさせようと思ったら、その教材は、やはり教育勅語でなければならない。

うん、被害妄想も甚だしいですね。教育勅語は国がゴリ押しして定着しようとしていますか? 違うでしょう。教育資料として禁止するつもりはない、と言っている程度です。当然ですね。これで禁止したら、普通に言論統制です。

そして、ご存知のように全体的には問題無い資料です。「擁護」と何故か意味不明な表現を使っていますが、ただ内容を述べているだけです。にも拘らず、「擁護」と表現するその小田嶋さんの思想は差別的で、偏見に満ちている自覚が無いようですね。残念です。

>おそらく、日本人の多数派は、怒鳴った態度は良くなかったのだとして、それでも怒鳴った気持ちには理解を示すはずで、そのあたりがわれわれの道徳観の最大公約数なのだと思う。

この分析で終わっている事が、小田嶋さんが「高尚なジャーリスト」側の視点しかない事が分かります。まあ、身内贔屓ですね。この記事の内容に、記者を批判する姿勢がほぼ無い事からもそれは伺えます。

昨今の日本人は、権力を監視する筈の使命感を持った自称ジャーナリストが、実の所は高慢で、知る権利をひけらかし、恣意的な記事を書いている事に気付き始めています。また、批判しかせず、他者を評価しない何様だと言う視点が多い事を知っています。

大臣が擁護されているのでは無く、このマスコミの姿勢が批判されているだけです。記者はわざわざ挑発している上、その内容は自主的に避難している人間にまで予算を無限大に割当しろと言っているようなものです。法的根拠も無く、国が何処かで線を引かざるを得ない事は当然です。

大臣が怒っている事は批判されて構わない姿勢です。が、わざわざ挑発したマスコミ、その挑発内容はまるで無責任で、そちらの方が更に批判されるべきだと言うのが、一般の日本人の感覚でしょう。その点に言及していない所が、この記事は致命的です。国を、政府を、教育勅語を、それらに対して何か文句を言いたくて仕方が無いと言う偏見に満ちています。そろそろ、ご自身の発想は偏見がある自覚を持った方が宜しいでしょう。(2017/04/07)

今のこの雰囲気の気味悪さに対して全く同感です。原発も共謀罪も沖縄も「国のため」ならガマンしろという人に「人権の尊さ」を理解してもらうのは無理なのかも。歴史は間違いなく繰り返されようとしています。民主主義が機能している間に声をあげておくしかない。(2017/04/07)

「できれば国を捨てたいと思う。」のであれば、大歓迎ですので是非捨てて頂ければと思います。しかし左翼と言われる方々は、つくづく日本という国が嫌いなのですね。(2017/04/07)

そもそも「教育勅語」って、「軍人勅諭」とセットですよね。だから動機は、明治天皇に何のシンパシーも感じられなかった国民に尊敬の念を植え付けて、二度と西南戦争=軍事クーデターみたいな真似をしないよう、また自由民権運動のようなことを抑制しようということでしょ。全然、現代に復活させるような出自ではありません。やはり、自民党には「明治」に対する過大評価=錯覚が根強くあるのでしょうね。そこから目を覚ましてもらわないと、先が不安です。(2017/04/07)

順々(諄諄)とした筋立て展開、常々脳中巡らしていた我が思いとまさに同調する。かくあるべき結論と思う。わざわざ教育勅語を持ち出す意図を、個人の自律を尊ぶ人(奴隷を拒否する人は)しっかりとわきまえておかなければいけないと思うのです。(立志開拓創作の精神もそこにあると思う--蛇足ながら)(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
自己犠牲。挺身。私心の排除。これらは教育勅語でなくても、その精神を子どもたちに伝えることはできると思う。例えば、ホームから転落した人を助けようとして自らが死んでしまった。この例も自己犠牲や挺身の象徴であろう。
教育勅語の復活に反対する人々は、天皇のために身を挺するというところを問題視しているのだろう。ただ、「お国のために」という挺身はやはり国民全員が意識すべき事だとは思う。誰しも、訳の分からない言語の使用を強要され、無償で労働を強いられる状況が「お国のために挺身」しなかったことで生まれればイヤであろう。日の丸に向かって国民が粛然と一礼することを筆者は嫌悪されているようだが、私は愛国という心のひとつの行為として不可欠だと思う。(2017/04/07)

 昔から、「教科書を教えるのではなく、教科書で教えるのだ。」と言われていますよね。
 私も「教育勅語を教える」のは論外だと思いますが、「教育勅語で教える」ことは、(現政権の意図に反して)むしろ、あってしかるべしと考えます。
 なぜなら、「教育勅語のどこが悪い。」と真顔で明言する人が少なくないようですから。
 小学生はさておき、中学生に対してなら、絶好の教材となるでしょう。(2017/04/07)

改めてメディア報道の仕方に疑問を持った。
少なくとも私は、TVからは大臣のトランプばりの強権発言しかわからなかった。
その発言に至る記者との対応一部始終を知らなかった。

TVメディアも話題性を持ったニュースになる画面にフォーカスする、いわば視聴率稼ぎ体質を改めて欲しい。真実をコンパクトに伝えて欲しい。


「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」議論も確かに必要だが、
今は、北朝鮮問題が優先だ。

在日米軍基地のみならず、再稼働原発は北の標的になっていないのか。その防衛対策は等々、
まずはそちらの案件が優先だ。(2017/04/07)

教育勅語を素晴らしいという多くの人間はわざわざ現代仮名遣いを交えて解説し、

「ホラ問題ないでしょう」等という。この小田嶋さん教育勅語シリーズ記事の

コメント欄でも、同じ傾向が見られた。


しかしながら、こいつらのうち多くの人間は、

>「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

の部分をちゃんと訳さない。


【テメーら、恥を知れ、恥を!!都合の悪い部分は頬被りし隠してそれでナニが正直なんだ?】

と叫ばざるを得ない。

「こいつらこそが詐欺師なんだ!」と大声叱咤するものである。(2017/04/07)

似顔絵にエヴァンゲリオン柄のネクタイが詳細に描写されているかと期待したのに、小田嶋さんにはガッカリです(笑)。

まあネット社会になって、怒鳴った大臣の動画も質問した記者の素性もあっという間に流布するご時勢ですから事の是非の判断は個々人に任せるとして、人生においてここぞというときに「怒鳴る」「怒る」ことは(演技を含め)必要なことだと、失敗を重ねてきて思うようになりました。溜め込んでいい人を演じていても誰も助けてくれないのが世の中というものですからねえ。(2017/04/07)

オダジマさんは質問した人間が記者ではなく、反政府活動を生活の生業としている活動家だったことをご存じの上で書かれているのでしょうか?

大臣は活動家と分かっていて受け答えをしていたのか。
そもそも記者会見に活動家が潜り込めたのはなぜなのか?
そのあたりの方が興味があります。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」


・・・江戸しぐさと同様のにおいを感じますね。
教育勅語がなぜ否定されたのかという根幹が伏せられたままに
イメージのすり替えを行ない、バレないようにと少しずつ黒に白を足し混ぜていく様には怖さを感じますね。

ただ、冒頭のインタビューの件につきましてはインタビュアーの品のなさこそを
嘆きたいです。危機感からなのか当たり前のように思ってきたことが裏切られて焦燥しているからなのか、日本でもアメリカでも同じようなリベラルの過激化さや異様さが(情報戦に負けているというのもあるでしょうけど)浮き彫りにされてブーメランになってばかりの現状を情けなく、悲しく思います。(2017/04/07)

>できれば国を捨てたいと思う。
カンボジアあたりに移籍してオリンピックを目指してはいかがですか(2017/04/07)

「教育勅語」
何度も同じ話をされるが、教育勅語を復活や蘇らせようと一体誰がしようとしているのでしょうか。政府の答弁書をどう読めばそのような理解が生じるのでしょう。答弁書では明確に教育勅語の法制上の効力の失効を述べています。
「教材」として何を使用するのかはあくまでも教育現場が判断すべきもので、そこに政治が介入することの方が明らかに異常です。質問主意書と答弁書を読めば、逢坂議員の主張の方に危険を感じるのはワタシだけではないはずです。小田嶋さんを含めてこの件で教育勅語の復活を批判する方々は、本当に当該の質問主意書と答弁書を読んでいるのか大いに疑問です。
小田嶋さんが危惧するような、教育勅語の精神を学校で教えるようなことが仮に起きたとするならば、それは明らかに教育基本法に反しているのですから教育現場や教師を指導するべきで、教材の如何は問題ではなく、その教育内容が問題なのです。
教材に使えなければ、小田嶋さんが主張するように[今はこのような考え方は間違ってる]と教育勅語を例に引いて教えることもできません。
これも日の丸と同じで、ただ教育勅語そのものやその成立背景にのみ脊髄反射的に反応しているだけの空疎な議論です。
「最後に」
小田嶋さんは、安倍政権は“一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ”と子供に教えたいのだと主張されています。ならば、衆議院議長に宛てて回答した、安倍総理の件の答弁書は全くの虚偽だとおっしゃっているわけですね。三権の長たる衆議院議長に総理大臣が嘘八百を回答したと。
小田嶋さんが教育勅語を安倍政権が復活させて子供に教えようとしていると主張されるのならば、まずは正式に回答している答弁を虚偽だとする弁証をされるべきでしょう。それでこそジャーナリストでは?
あ、コラムニストでしたか。(2017/04/07)

「暴言」について
政治家の資質について述べて大臣を批評するのなら、態度が失礼な記者の資質についても批評すべきでしょう。小田嶋さんだって、言い過ぎたと思って謝罪したのでは?
「自己責任」
阪神淡路大震災を経験したものとしては、あまりにも巨大な災害だと行政からの支援に濃淡が出るのをある一定は受け入れなければ仕方がありません。それに支援がある程度進んだ後は大臣が言ったように国よりも身近な自治体が対応してくれた方が対応の時間も早くなります。
実際の対応をどうすれば、より被災者にとって良いのかという議論を放置して、ただ大臣の発言だけをあげつらうのは、実は件の記者や小田嶋さんの方こそ被災者支援よりも政権の批判を優先しているのではないですか。加えて、言葉が行き過ぎていることを大臣は謝罪してもいます。
「日の丸への一礼」
では大臣がもしも日の丸を一顧だにせず暴言だけを吐き、例えば書類でも投げ捨てたりしたほうが、小田嶋さんは良かったというのですか。そんなキレまくる大臣の方がよかったと?ワタシは逆に百田氏の言の方に違和感を覚えます。小田嶋さんは単に「日の丸」に脊髄反射的に反応しただけで、だからこそその部分に引っかかったのではないですか。加えて、国旗に礼を尽くすのは、どこの国でも当たり前だと思います。(2017/04/07)

教育勅語を復活させようとする一部の動きについては、私も
なんだか違和感を感じます。
どちらかというと右寄りな私でも、そう思います。

しかし昨今、何がイライラするって、以下のようなことです。

1.過去の戦争・侵略(これにも違和感あるのですが)について、
  我が国だけ、いつまでもネチネチ言われ続けること。

2.日本人以外の勢力が日本のマスコミに多数入り込んでいて、
  正しい報道がなされていないこと(意図的な報道が多すぎる)。

3.上記のことを指摘すると、ネトウヨとか差別主義者と言われる
  こと。そしてその批判する人々の中に日本人もいること。

こんな状況ですから、復興大臣の暴言だって「この新聞記者だって、
実は記者会見に潜り込んだサヨク活動家だろうし、巧妙に怒らせて
暴言を吐かせただけだろう」とくらいしか、思えないのです。

私の持論では、まずは日本のために働かない活動家をなんとかしな
いと、日本の将来は隣国のようになってしまうのではないか、という
ことです。

これも危険な思想とか全体主義とか言われるんでしょうね。(2017/04/07)

編集さんのコメントも含めて今回もニヤリとさせられました。そのうちまた日本語を旧字体で右から左へ書きなさいとか政府が言い出すのかな。ああ恐ろしい。(2017/04/07)

教育勅語はなぜ必要か・・あなたのように意味不明の言葉で国を貶めるような人間をつくらないためです。(2017/04/07)

大臣の行動は大変分かりやすい。自民党憲法草案のように、教育勅語派は基本的人権という言葉を忌み嫌い、公共の秩序、つまりお国のため、と言う言葉は無防備に賞賛する。かくして「キモい」輩がかっ歩しているのだろう。ともかくこの国には為政者に都合の悪いことが多すぎる。財政は破たん状態なのだから、何としても国民への支払いは減らし、税金を分からないように巻き上げなければならない。アメリカには無条件で「ついて行きます」宣言をしてしまった。そこで、老後の備えをしなかった人間も、大病を患うことも、大災害に会うこともすべて「自己責任」で片づけて切り捨てる。100年も前のこの国を見れば、なるほど、あれを取り戻したいのか、ということが良く分かる。戦争はないかも知れない。しかし、経済敗戦は、もっと大きな形でこの国を襲いそうに思う。その時、為政者は「うるさい、自己責任だ」と言って影にかくれるのだろう。こういうのが男らしいというなら、「この国にいるもの、希望を捨てよ」ということなのだろう。いや、方法はある。教育勅語を暗唱していれば、国の資産をタダ同然で払い下げてもらえるらしい。さっそく教育勅語を買いに行こう。キモくならなければ。でも、どこに売ってるんだ?(2017/04/07)

福島県民として、自主避難というのは復興の放棄という面もあると感じています。
なので自主避難は自己責任、ということを復興担当大臣が言うのは当然のことだろうという認識があります。
で、これはヨーロッパを混乱させている移民や難民に対しての共感のできなさ、トランプ大統領のメキシコとの国境に壁を作るという意見への賛意にもつながっています。
そしてもちろん小田嶋さんの「国を捨てよう」という意見への、「こいつ気持ち悪いな」という感情にも。
捨てた先で今と同じように生活して、危なくなったらまた捨てて逃げ込める国があるといいですね(笑)(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

 国家をどう捉えるかで意見が別れる。

 著者は、国家はアベ政治のような巨悪が牛耳っていると考え、
諸悪の根源と見ている。
 一方で国家とは故郷、家族の集合体と考え、守るべき物と見ている。

 最近の著者は説教臭い文章が多い。何が何でも自分の意見を通したいから
そのような文調になるのではないか。(2017/04/07)

小田嶋さんのコラムは、おもしろいし勉強になるものが多い。ただ、安倍首相や原発関係のコラムは、残念な内容が多いと感じている。
今回も、「記者(反原発ジャーナリスト?)の質問意図」を意識的に書かずに、論理展開しているのに違和感を覚えるコラムです。ふつうの記者がふつうの質問をした結果ではなく、「怒らせるような質問や意見をして「自己責任」の言葉を引き出す」ことが記者の目的だと考えるのが妥当でしょう。

「投げやりな結論にせず、「記者だけでなく大臣」にもせめて一礼して去る」姿勢が大切だと思います。(2017/04/07)

筆者のこだわっている『人間よりも、国家が大切であること。感情よりも形式が重んじられるべきであること。自己犠牲がなによりも美しい心情であるということ。国民のために利便を提供する国家を建設するのではなく、国家のために命を捧げることのできる国民を育てあげること。そういうことを、彼らは成し遂げようとしている。』は教育勅語のどこに書かれているのだろうか?
『自己犠牲。挺身。私心の排除。』教育勅語はこれらを四六時中胸に抱いていなさいと言っているのだろうか?災害時のボランティアなど他人に援助する時は『自己犠牲。挺身。私心の排除。』の気持ちがあるのではないか?
筆者は野党と同じで『意図的にに拡大解釈して批判しているだけ』のように感じる。(2017/04/07)

「核ミサイル」より「教育勅語」が火急の問題ですか。
こうやって現実から目を背けて、どうでも良い事に終始するから問題解決の無い無能って呼ばれるんですよリベラルは。(2017/04/07)

件の記者は所属声明を明らかにすべきと思う。

質疑応答が公開されているのであるから質問者も責任をもって質問すべきと思う。
そうでないと質問者のパホーマンスの場になりかねない。

いずれにしてもニュースを見た限り、質問にメディアまたは質問者個人の傲慢を感じた。(2017/04/07)

筆者が言うように、今頃になって「教育勅語」を持ち出すのは、魂胆があるのでしょう。

さすがは、あの「妖怪」の孫が総理大臣やってる国だなと、この国の住民を何が何でも戦争に
突っ込みたいのだろうとしか考えられない。

あと、やっぱり政治家は怒鳴ってはダメでしょ。私自身は肉体的にマッチョですが、百田氏の
マッチョ思想にはなんだか違和感を覚えますねぇ。(2017/04/07)

反日小田嶋の馬鹿さ加減極まったな。
どの国でも国旗に敬意を表するのが当たり前。出来ない奴は馬鹿にされるだけの事。
こういう奴は日本から追放すべきだ。(2017/04/07)

相変わらずゴミのような文章ですね。今回は特にひどい。
何の根拠もなく、心情論だけで「キモイ」だの何だのと、いくら掃き溜めで生きながらえるヒキコモリ系コラムニスト(自称)とは言え、物書きの態度ではない。

とこれだけ書くとコメント管理者が変な忖度をしてしまうので、一言。

自主避難者が元居た場所に戻るか戻らないかは、自己責任でしょう?

国が首に縄つけて無理やり引き戻すんですか?
それとも、自分から出て行けるような余裕のある人にも、何らかの賠償金をお支払い申し上げ奉り、その場でお暮らしくださいお戻りいただかなくても結構ですと言えと??(2017/04/07)

実際に日教組のもとで行われている「道徳教育」とは、国家権力に対抗する「反抗の自由」であり、弱者と勝手に決めつけたものを優遇することまで含む「悪平等」であり、保守思想を批判し、社会主義的な思想を推し進める「正義」である。
つまり、正義とは、右から見るか、左から見るかで、全然違っているのものであり、お互いが「正義」を主張しても相手には届かない。だから、小生は左翼を折伏して、思想をたたきなおそうとは思わない。彼らもう手遅れである。しかし、これ以上、左翼的世界市民を量産する日教組教育を続けさせてはならないのだ。その時に役立つのが、教育勅語である。
大部分は当たり前のことが書いてあるというが、ウソである。親や年長者を敬えなど、左翼的にはどうでもいいことだ。
小生はアメリカに3年間住んだが、公的学校では毎日星条旗を上げ、国歌を歌うのが当然であり、国を守る軍人さんは、国民全体が尊い仕事だと尊敬していた。そのような「まっとうな愛国心」まで否定するのが左翼である。左翼得意の「天皇」のための国家を認めるのか?戦争できる全体主義国家を認めるのか?という妄言を信じてはいけない。
国家がつぶれれば、個人の幸せはまず見込めない。個人の自由を奪ってまで、国家に奉仕させるのかというが、国家が滅亡すれば、すべからく国民は不幸に突き落とされるのである。(2017/04/07)

うーん、最近ときどき、意識の高い文化人?の中に根付いている様に見える反体制、左翼、リベラル、社会活動、市民運動は「正義」、犯罪者・加害者の人権は第一に守られるべきであるもの、という「常識」を疑ったりうっとおしく思う人が増えてきているんじゃないかなと思います。(2017/04/07)

今回の記事は私もまったく同意見です。特に教育勅語の問題点である。

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

ここは意外と触れられないが、ここは大きな問題です。
加えて教育勅語は作成する際に、儒学者が大きくかかわっている。
敵視する訳ではないが、儒学や朱子学のような考え方が強く出るのは如何なものだろうか?

そして、直視しなければならない事として。
この教育勅語を教育の柱に添えて、戦争をして完膚なきまで負けた事実である。
過去を懐かしむのは結構だが、現実を見るべきだと私は思います。(2017/04/07)

今回はいつも以上に迂遠なことだ。
政治家は立場を弁えるべきという点に異論はないが、大臣を擁護する人は、相変わらず取材する側に礼節のれの字も感じない態度に辟易している。
要するにこの件はお互い様ということだ。喧嘩両成敗。終わり。

教育勅語を復古しようとする人は、これまでの方法が失敗に終わったと思っている。
こういう場合に採られる方法は、全く新しい方法を構築するのではなく、昔やって一旦は成功した方法に戻ることだ。それが廃れたのは何がしか問題を含んでいたからだが、その問題という毒を飲み込んででもやるべきと思わせる事態、それこそが問題だろう。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」小田島さんに全面賛成。教育勅語は正直、何言ってるのかわからない文章だが、相手が無礼だから怒って良い、それが男だ、みたいな話は違うと思う。だいたい「こうあるべき」というのは疑ってかかった方が良くて、よく考えずに、みんながしているから、という理由で同じことをやるのは良くない、と思っている。正しいと思ったら一人だけ違うことができるのが勇気のある行動(男とは表現したくない)だと思う。あんまり常識外れなのもよくないけど。(2017/04/07)

ストレートに来ましたねぇ。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
は、教育勅語の核心部分であって、そこの議論をせずに、教育勅語にも良い部分があるなどといって、煙に巻く様な発言をしている安倍内閣閣僚の皆さんにも、この核心部分の話をしっかりしてほしいものだ。
図らずも、復興庁が、自己責任大臣の一部の激昂発言を取り上げて面白おかしく報道されるの避けるために、会見全容の字起こしをしたように、全文・全体を見て判断することが正しい態度でしょう。自分にとって都合の良いところだけを取り上げる態度はいただけません。(2017/04/07)

昔、仕事で新聞記者多数とお付き合いをしていて、
記者さんも色々、ということを知っています。

お利口さん多数、お馬鹿さん多数。
たとえ、お馬鹿さんに記者さんでも、
その人を罵倒して、怒らせてはいけません。
彼(彼女)には、ペンという権力があるのだから、
紙面で逆襲されるかもしれない。

マスコミ相手に怒鳴って、マスコミを怒らせた大臣は、
これは、これで、お馬鹿さんだと思います。(2017/04/07)

教育勅語に限らずだが、こうした道徳観やイデオロギーのようなものは、個々人に定着するのに大変時間がかかる。どんなに教育現場で反復強制を行ったところで、そこから離れたら、誰もそれを覚えてなかったりする。
そのくらい、非現実的なものだと思う。もしもそれ(教育勅語の精神)を、何としてでも日常の我々の生活に定着させたいなら、筆者のように、教育勅語について話題にする人が増えることが重要だろう。この場合、それに対する賛否は大した問題ではない。そのことを記事にして、多くの人がそれを目にして、世の中には「教育勅語」という概念がリアルなものとして成立しつつある、ということを結果的に宣伝する役割を担うことが重要なのだ。
筆者のこの論考も、ある程度はそうした機運を高めるのに役立っていると思うので、教育勅語に賛成する人たちは、決して筆者を咎めてはならない。ある程度、教育勅語を世の中に広めてくれる「お客様」として丁重に扱うべきだ。

私個人の考えとしては、教育勅語など何の役にも立たないと思っている。筆者もある程度文中で述べているが、ヒトが友達を作るのは理念や道徳心からではない。アイツと遊んでたら面白かった、奴は凄い奴だった、カッコイイ車に乗っていた、自分では到底無理な事案を難なく解決しやがった・・だから奴は友達なんだ!と思ったら、世の中が何と言おうがそいつは自分の仲間であり、友達だと考える。彼が危機に瀕していたら誰が何と言おうとそいつを助ける。その立場を貫徹出来れば、世で喧伝されている大抵のイデオロギーなど、ただのお題目に過ぎないのだから、ほとんど気にすべきことではないと思う。(2017/04/07)

今後、徴兵制が施行された場合のことを考えています。
お国のために身を挺する覚悟のない人間は将来の皇軍には相応しくないと思います。
なので、教育勅語を奉ずる素晴らしい方々のみ、徴兵すべきでしょう。
そうしないと、旧軍であったような不祥事が連発しかねません。
兵隊が上官を殴ったり、ハサミで刺したりとか。
虐められた水兵が戦艦長門の火薬庫で自爆&自沈とか。
いずれも、上官の責任になることを避けるために事件がもみ消されたようですね。
上官が気に入らない兵隊を屠殺して食べちゃったのは、戦後カメラの前で自慢してましたよね。
(ゆきゆきて神軍)
小田嶋さんが懲罰招集されたらどんなヘマをするのでしょか?
そうそう、招集は懲罰なのですね、この言い方からすれば。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」この文に象徴されるのは、これが各人の心から自発的に出てきた言葉ではなく、これを思考停止して丸呑みすることで、人に対する感性というものを丸投げしたということである。その結果が人の命を命とも思わない行為の連続であり、その結果の破綻なのであろう。サイパンの集団自決も、特攻隊も、戦後の混乱も、根は同じで、「自分の頭で考えることをやめたこと」に尽きるのではないか。思考停止しているから人に怒鳴りながら「国旗に対する礼節」を欠かさない。あれは礼節ではなくて、「そうしておけばいい」という思考停止に過ぎない。「自己責任」にしても「テロ対策」にしても、同根の思考停止の言葉に過ぎない。反対する人達が思考停止していないとは断言しないが。それを言えば戦後の日本だって今に至るまで何某かの思考停止が常にあったわけだけれども、それでも最後の最後には「やっぱり自分の頭で考えないと駄目だ」という覚悟があった筈だと思うのだけれども。(2017/04/07)

教育勅語は「勅語」である時点で、内容がどうあれ教育の現場に持ち込むのはダメだと思います。
天皇は象徴であり、国政に介入しない。
たとえどんなに素晴らしい内容でも、教育は天皇のお言葉に従うものではない。
天皇ご自身は、退位という自らに関することでも国政介入とされないように非常に慎重に
「お気持」としてお言葉をのべられている。とても憲法の精神を大切にされています。
天皇を大切に思う人は、天皇と同じように憲法の精神を大切にするべきじゃないの?
と思います。
勅語、勅語、とありがたがってる人は、はっきり言って、天皇をないがしろにしていると思います。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

これを賛美する輩のコメントが多くなりそうだけど、あんたたちが自分で思ってるのは勝手だし自分が義勇公ニ奉するのも勝手だけれど、他人に「奉スル」ことを押しつけるんじゃない。
自分の不満を他人を攻撃することで解消するのはもうやめたら如何>「奉スル」ことを称賛する方々(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
> 人間よりも、国家が大切であること。

少なくとも、国家が現在のシリア、アフガン、イラク、ソマリア、南スーダン・・・・このようになったら、人間の尊厳もへったくれもない。

他国に逃げるというのも一手段かもしれませんが、逃げた人々がどうなっているかはニュースの通り。
日本人が最低限の尊厳を維持するためには、安定した国家(日本)の存在は必須です。(2017/04/07)

怒りはコントロールできる、というアドラーの言葉からすれば、あの大臣が激昂したのも日の丸に落ち着いて一礼したのも、よく理解できます。この記者には激昂しても良いと心の奥で思っていたのでしょう。マスコミがこの一部分を取り上げることも、それに反論する声が上がることも含めて、大臣の心はゴーサインを出したのでしょうね。そのくらいの判断が出来なくては、大臣にはなれないでしょうね。そんなことよりも小田嶋さんの最後の一言、(「国を捨てる」) が残念です。あの大臣は打算的です。本当に日本という国を愛しているとは思えません。昔の映画のタイトル「もっとしなやかに もっとしたたかに」という言葉を小田嶋さんに捧げたいと思います。(2017/04/07)

 今村復興相の特異な行動パターンに眼をつけたのは卓抜な人間観察ですね。コントとしてけっこう笑えますし、映画の象徴的な1シーンとしても使えそうです。
 私としては二つほど解釈が浮びました。ひとつは大臣は意外に覚めながら怒鳴っていたのではという解釈。つまり、演技として怒鳴っていたのではないか。人間はトレーニングしだいでけっこう怒鳴る演技ができるようになります。迫真の演技であればあるほど、どこかに怒鳴る自分を眺めている覚めた自分がいる、というようなことを多くの役者が語っています。ヨガなどと同様に意識的に血圧を高めたり脈拍を上げたりといったことも可能でしょう。ある意味、政治家の能力ってそんなところぐらいしかないともいえる。
 もう一つの解釈は小田嶋さんと同様に、大臣の中では論理的に整合のとれた行動だったという可能性。つまり、日の丸の名の下、日の丸の権威に従って記者を怒鳴りつけたと。奴隷根性ともいえますが一種の権威主義ですね。縦の序列意識の中に身を置き、虎の威を借りて自身の欲情劣情を解放するといった。サルのマウンティングのように人間には他を威圧して気持ちがよくなる本能とかが備わってるんでしょう。通常社会性で抑圧しているが大義名分があればそれを解放して気持ちよくなりたい。それがマッチョイズムでもあるんでしょうが。
 上には媚びへつらい下には居丈高に振る舞うというのが権威主義的な人間の特徴ですが、戦前にこうした人間が多かったと思えるのには教育勅語も一役かっていたのかもしれませんね。そんな輩がのさばる世の中にならないためだけでも民主主義って必要なんでしょうね。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
特攻隊員の悲しい運命が脳裏に浮かびました。
自分も特攻したいという方、どうぞ信奉ください。
と書いてみたところで、会社に命をすりつぶされる日本のサラリーマンの姿とさして変わらないと思いました。
なんだ、教育勅語を教えなくても日本人の集団主義は戦前戦後と一貫しているじゃないですか。
もうどうでもいい話題ですね。というか、もうどうにもならない気がします。(2017/04/07)

そう、日常の道徳とは、生活環境や周囲とのやり取りなどの社会経験から育つべきものであって、上から降ってくるようなものではない。教育勅語とは、その日常道徳の延長にはないものに、日常が結びついていると信じ込ませる『道具』だ。そして、それを信じ込ませるには、まだ強制されることに抵抗を覚えず、まだ合理的思考に慣れていない低年齢から始めるに限る。

死球を受けた野球選手の感情的に見える暴行前の儀式的なバット置きの仕種の例は、二通りの解釈が可能だ。一つは、最初から感情的にはなっていないケース、もう一つは、儀式が幾許か正気を取り戻させるスイッチであるケース。喧嘩をしているうちに感情が昂じてくることはあるかもしれないが、事が進む間、同じレベルで感情的であるとは限らない。いわゆるアンガーマネジメントだ。

日の丸(?)に礼をするのも件の復興相のアンガーマネジメント(として機能した)かも知れない(大抵の宗教が信者にとって同様に機能するからといって、日の丸が信仰の対象だと主張したいわけではない)。が、気味が悪い。その気味の悪さは、彼が権力側にいて(権力の一翼を担って)、彼の個人的な体験なり、信心を、一般化して他人に押し付けやしないかという懸念にある。(2017/04/07)

議員のような公務に就く人の「日の丸への一礼」は「道徳」とは違うんではないんでしょうか。
敬意・畏怖といったようなものより、条件反射(パブロフの犬レベル)のようなもので
トイレを出たら当たり前のように手を洗う、そんなレベルの問題だと思いますよ。(2017/04/07)

「一旦緩急アレハ」の時。どうしてポルポトとクメールルージュが攻めてくるかもしれないと想像出来ないのだろうか。
小田嶋隆先生は高学歴で知識人で太っている。
日本がポルポト支配下になったら小田嶋隆先生は真っ先に殺されますよ。
それでもなお今みたいにちょっと人と違ったこと書いて悦に入るという生活が続けられると思いますか。(2017/04/07)

>>この先、他人を怒鳴りつける前と後に、日の丸に向かって粛然と一礼できる人間の割合が順次増加するのであれば、一旦緩急ある前に、できれば国を捨てたいと思う。
さっさと捨てればいいと思う。で、どの国に行くのかね。
アメリカ→星条旗に忠誠。
中国→共産党に忠誠。
自分の国に忠誠を誓わない人間に地球上には居場所なんかない。
難民になって世界を彷徨いますかね。(2017/04/07)

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