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夢はひとりで見るものだ

2016年7月8日(金)

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 「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」

 と、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長は言ったのだそうですよ奥さん(こちら)。

 なるほど。懸念していた通りの展開だ。
 五輪が政治利用され、国歌が制度利用され、代表選手が兵役利用されている。

 舞台は、リオデジャネイロのオリンピックに出場する日本代表選手団の、結団式と壮行会が行われた、代々木競技場だった。

「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」

 と、森会長は、直前の陸上自衛隊中央音楽隊・松永美智子陸士長による国歌独唱時の様子を振り返って、選手団に問いかけ、サッカー女子ワールドカップでは澤穂希さん、ラグビーのワールドカップでは五郎丸歩選手が君が代を歌い、その様子を見て国民が感動した、と述べた。

 そして、

「表彰台に立ったら、口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、国歌を歌ってください」

 と選手に呼びかけた。
 ……そのように、記事は伝えている。

 注意深く読んだ読者が既にお気づきになっている通り、松永陸士長は、国歌を「独唱」している。ということは、ここで歌われた国歌は、選手たちに「斉唱」を求める設定ではなかったのであって、とすると、森元首相の五輪選手団への叱責は、お門違いであり、見当違いであり、筋違いであり、料簡違いであり、考え違いであり、間違いであり、■違い(自由に埋めて下さい)だったことになる。

 まったくもってバカな話だ。
 問題は、森元首相が対応を誤ったことだけではない。

 本来なら五輪代表選手に活躍をお願いする立場の人間であるはずの森氏が、何をどう勘違いしたものなのか、上から苦言を呈する構えで、300人の選手に説教を垂れたその根性が、あらゆる意味でどうかしている。そこが第一の問題だ。

 代表選手は、一人一人、それぞれ、個人として、また独立したアスリートとしての目標と夢を持っている。

 私たち一般国民は、その彼ら彼女らのあくまでも個人的な努力と奮発の結果に便乗して、一瞬の興奮と娯楽を追体験させてもらう物乞いに過ぎない。当然、われわれは選手に命令する権利を持っていないし、注文をつけたり結果次第で断罪したり苦情を申し述べたりする資格を有しているはずもない。五輪組織委員長とて同じことだ。いや、組織委員長であれば、なおのこと選手には公平な姿勢で対処せねばならないはずだ。なんとなれば、五輪の成否の大きな部分が選手の活躍に負うものである以上、組織委員長は選手にお願いをする立場の人間だからだ。

 さてしかし、森元首相の勘違いに鉄槌を下し、その軽挙をたしなめる主旨で書かれている私のこのテキストは、おそらく、国民的な共感を呼ばない。

コメント93件コメント/レビュー

「夢はひとりで見るものだ」
うなずいてしまいそうになる言葉だが、はたして正しいと言い切れるだろうか。

敗戦から復興を目指した先人たちは、繁栄や平和を「みんなで見る夢」としなかったろうか。
ソニーやホンダの社員たちは、社業隆盛を「自分たちの夢」としなかったろうか。

東京タワーも新幹線も高速道路も、そうした「おおぜいで見る夢」の産物といえる。
日本人はみな、そうした夢の産物の余慶にあずかっているのだ。

そうしたものを享受しておきながら「夢はひとりで見るものだ」とうぞぶくのは、親に学費を出してもらいながら大学解体を叫ぶ欺瞞と相通ずるものを感じる。

夢を嗤う者は夢に復讐される。
「おおぜいで見る夢」の力を侮っているうちに、その力の効用を知る別の国に追い付かれ、後塵を拝し、しまいには蹂躙されてしまうのではないか。

若者に大言壮語する機会が必要なように、若くない人にも心のどこかで振り仰ぐ理想が必要なように、国や社会にも心中に抱くものが必要だ。
それがなければ、子供たちやまだ生まれていない人たちが、「夢など見なくても生きてゆけるではないか」と思ってしまうだろう。
夢のない国に、私は暮らしたくない。(2016/08/19 08:19)

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「夢はひとりで見るものだ」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

「夢はひとりで見るものだ」
うなずいてしまいそうになる言葉だが、はたして正しいと言い切れるだろうか。

敗戦から復興を目指した先人たちは、繁栄や平和を「みんなで見る夢」としなかったろうか。
ソニーやホンダの社員たちは、社業隆盛を「自分たちの夢」としなかったろうか。

東京タワーも新幹線も高速道路も、そうした「おおぜいで見る夢」の産物といえる。
日本人はみな、そうした夢の産物の余慶にあずかっているのだ。

そうしたものを享受しておきながら「夢はひとりで見るものだ」とうぞぶくのは、親に学費を出してもらいながら大学解体を叫ぶ欺瞞と相通ずるものを感じる。

夢を嗤う者は夢に復讐される。
「おおぜいで見る夢」の力を侮っているうちに、その力の効用を知る別の国に追い付かれ、後塵を拝し、しまいには蹂躙されてしまうのではないか。

若者に大言壮語する機会が必要なように、若くない人にも心のどこかで振り仰ぐ理想が必要なように、国や社会にも心中に抱くものが必要だ。
それがなければ、子供たちやまだ生まれていない人たちが、「夢など見なくても生きてゆけるではないか」と思ってしまうだろう。
夢のない国に、私は暮らしたくない。(2016/08/19 08:19)

相変わらずの偏った視線と思考の産物による文章だったが、独唱を斉唱と取り違えるというのは如何にも森先生らしい話だ。国の代表として出る選手が国歌を歌えないというのは何よりも恥ずかしい。人としての常識の問題で、森先生はそれを言いたかったんだろう。それから二週間分の睡眠薬は一度に飲まないように。変更した駄文でも無くなると寂しい。(2016/07/14 14:59)

君が代に対して批判的な人が日本には多いが、厳かな気持ちになるし、日本らしくて良いと思う。

とはいえ、君が代に批判的だというのも考えようで、自己主張としては理解はできる。ただ、その自己主張を、日本への内向きの批判ではなく海外にどんどん打って出る外向きの主張として活かしてもらった方が良いと思うんだけどなあ…。

最近、みんな日本への批判ばっかりじゃない? 外に出て変えれば良いのに。(2016/07/13 20:12)

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5年前は(日本製を好む中国人の消費は)一過性のものだと考えていた。

高原 豪久 ユニ・チャーム社長