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追悼文をやめて何を得るのか

2017年9月1日(金)

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 小池百合子・東京都知事が、毎年9月1日に開催される関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式に追悼文を寄せることを取りやめる判断を明らかにした(こちら)。

 個人的な話をすると、私は、子供の頃から、入学式であれ卒業式であれ、あるいは結婚式や告別式も含めて、とにかく式と名のつくものが苦手で、その種の式の中で読み上げられるスピーチや挨拶や訓話のたぐいも一貫してきらいだった。

 その流れからすると、恒例だからという理由で毎度同じ調子で読み上げられる形式的な挨拶やら呪文やらスピーチやら経文やらを廃絶する判断には、本来なら、諸手を挙げて賛成したいところだ。

 ただ、今回の追悼文は、「これは形式だから」みたいなことで省略して良いものではないと思っている。

 というのも、震災後に関東各地で多発した朝鮮人虐殺は、わが国の歴史上の汚点であり、わたくしども日本人が定期的に思い出さなければならない苦い教訓だと考えるからだ。

 虐殺は、「災害に伴う混乱」みたいな話で呑み込むことのできる話ではない。
 コトは大量殺戮だ。
 しかも、その大量殺戮の犯人に当たる人間たちには、普通の、市井の人々が含まれている。

 わずか90数年前に、われわれは、6000人以上にのぼる無辜の朝鮮人を殺しているのだ。
 われら現代の日本人の中にも、おそらく、そういうことを可能ならしめる群集心理がビルトインされている。
 同じ状況に遭遇すれば、私たちは、また同じことを繰り返すかもしれない。

 そのおそろしい可能性を断つためにも、この事件は、われわれが何度も振り返り、その意味を噛み締めなければならないものだ。

 とすれば、大量殺人が起こった現場である自治体の知事が、その犠牲者の追悼式に追悼の言葉を送らないという決断は、普通は考えられない選択肢ではあるはずだ。

 いったいどうして、小池都知事は、これまでの慣例を破って、あえて追悼を拒絶する判断に立ち至ったのだろうか。
 今回は、その理由について考えてみる。

 小池都知事は、追悼文の送付を取りやめた理由を問われて

《3月には関東大震災と都内の戦災遭難者慰霊大法要に出席した。その場で都知事として関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表した。全ての方々への慰霊を行っているということだ》

 と答えている。

 自分は3月の段階で慰霊法要に出席して、その時に追悼をしている。9月に朝鮮人犠牲者を特別に追悼することは、重複することになるから取りやめるということのようだ。

 これに対して、記者は、

《震災の犠牲者と虐殺された犠牲者の追悼は意味が違うとの意見がある》

 と、重ねて問いただしている。

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「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」のバックナンバー

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「追悼文をやめて何を得るのか」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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檜山 敦 東京大学先端科学技術研究センター 講師