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そのとき、15人は「我々」になった

2015年9月25日(金)

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 ラグビー日本代表が南アフリカ代表に勝利した。

 試合は、最後の10分ほどしか見ていない。ツイッターのタイムラインでのおっさんたちの大騒ぎに煽られてあわててテレビをつけた結果、なんとか、試合終了間際に間に合った次第だ。おかげで、奇跡の逆転劇の総仕上げの部分を、リアルタイムで目撃することができた。ここ数年で見たスポーツ中継の中で、最高の場面だった。素晴らしかった。柄にもなく感動した。感動という、大嫌いな言葉を使わないと説明できないもの。それが感動だ。

 感動した。
 スポーツ観戦の素晴らしさは、自分では何ら努力を傾けたわけでもないのに、時おり、巨大な達成感を味あわせてくれるところにある。

「やったぁあああ」

 と叫ぶ時、私たちは、「チームの勝利を祝福する観客」の地位から一足飛びに出世して、いつの間にやら「勝利者そのもの」に変身している。

「どうだ見たか」

 と、右の拳を天に突き上げながら、ファンは、ほかの誰のものでもない、自分の勝利に酔いしれている。
 少なくとも私はそうだ。

 オレたちが南アフリカに勝った時……と、私の中では、あの試合の中の出来事は、既に自分自身の体験として記憶の中に定着しつつある。

“We are the Champions”
 という、いまや世界中のスタジアムで繰り返し歌われることになったチャント(応援歌)は、こうしたファン心理のうちにある幸福な欺瞞のあり方を見事に音楽化している。

 すなわち、応援するチームが勝利を得たその瞬間に、観客席に散らばっている無数の孤独な「I」(私、オレ、ぼく)は、巨大なひとつの「We」(オレたち)になるということだ。

 スタジアムに足を運ぶ観客は、ただ、観戦のためにそこに座っているのではない。彼らは、ちっぽけで凡庸な一人のオレであることを忘れ、偉大な「オレたち」になる機会のためにチケットを購入している。

 私自身、最後の10分をテレビ越しに瞥見したに過ぎないにもかかわらず、「勝利の瞬間を見た」というよりは「勝利に貢献した」ないしは「自らの手で勝利をつかんだ」に近い実感を得ている。スポーツが国民を勇気づけるというのは、こういうことだ。彼らは、単に勝つのではない。彼らはわれわれになるのだ。

 試合の詳細については、なにぶん、10分ほどしか見ていないので、たいしたことは言えない。

 ただ、これがとてつもない快挙だということは、私のような門外漢にも理解できる。というのも、毎年、高校ラグビーの予選で、100対0を超える残酷なスコアの試合が続発しているのを見ればわかる通り、ラグビーはサッカーや野球に比べて、番狂わせ(いわゆる「ジャイアント・キリング」)の起こる確率が、極めて低い競技だからだ。

コメント27

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「そのとき、15人は「我々」になった」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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