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「世界基準で救う」ために必要なこととは

大西健丞さんと考える「No one left behind」

2017年8月7日(月)

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110カ国以上で緊急援助、開発事業などに関わり、現在、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略・投資・効果局長を務める國井修さん。生涯のテーマに掲げる「No one left behind(誰も置き去りにしない)」を実現するために、何が必要なのか。時折日本に一時帰国した時に“逢いたい人”との対談を通して探っていく。第4回のゲストはピースウィンズ・ジャパン代表理事の大西健丞さんです。

國井:第4回のゲストは大西健丞さん。ピースウィンズ・ジャパン代表理事として、紛争地での難民支援、国内の災害支援などに取り組んでいて、日本のNGOを変えたすごい男です。見た目はちょっとゴツいです(笑)。

大西:いやいや、いつも笑顔で朗らかに(笑)。

大西健丞(おおにし・けんすけ) 1967年、大阪府生まれ。 91年、上智大学文学部新聞学科卒業。 93年、イースト・アングリア大学(イギリス)開発学部 ディプロマ課程修了。95年、ブラッドフォード大学(イギリス)平和研究学部国際政治・安全保障学修士課程修了。94年~95年、アジア人権基金 イラク北部担当調整員を経て、96年、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)設立。2000年、ジャパン・プラットフォーム(JPF)設立に参画し、JPF初代評議会議長に就任(~2002年11月)。 2008年、PWJ代表理事に就任。災害即応パートナーズ(現 シビックフォース)発足。2012年、アジアパシフィックアライアンス設立。現在、経済同友会正会員、厚生労働省保健医療2035推進参与なども務める。チーム大西WEBサイトはこちら(写真:鈴木愛子、以下同)

國井:大西さんと初めてお会いしたのは、2003年にイラクで。イラク戦争が終わって、当時の岡本行夫首相補佐官などと一緒に、日本として何か現地でできないかと訪れて。あの時はヨルダンから入って、ファルージャやバグダッドとかを回ってクウェートへ。まだ実質的には完全に戦争が終わっていなかったので、噴煙を上げている地域も途中にはありましたね。

大西:よく覚えています。外務省のミッションだったので、普段泊まれないようないいホテルに泊めてもらったのに、たった4時間しか居られず(笑)。夜遅く着いて朝早く出て。

國井:そうそう、当時、僕は外務省にいたんだけど、その前にはNGOをやっていたので、その頃の思いを道中の車の中でいろいろと語り合って。

大西:もう15年ほど前になりますか。

國井:今日はその後のこともいろいろお話を。よろしくお願いします。

大西:こちらこそ。

100万人の難民を前に砂を噛む思いをしながら

國井:大西さんは早くからイラクで難民支援の活動していて。

大西:僕たちの最初の事業でした。ピースウィンズとしては1996年、個人としては1994年からですね。設立から現在まで、もういろいろありましたが、20年続いてしまいました(笑)。

國井:すごいよね。当時、海外の危険地帯で本格的に活躍できる日本のNGOなんて、ほぼない頃で。

大西:最初は本当に小さなところから。ただ、日本の経済規模などを考えると、やり方次第でNGOとしてしっかりした活動ができるはずだという確信はありました。現在もまだ十分ではないですけど、飛行機で例えると、ようやく滑走路から離れたぐらいですかね。

國井:ピースウィンズはどんどん力を付けて、被災地の物資輸送などのロジスティクスを迅速に大々的に動かして、それでいながらセキュリティーをきちんと考えながら果敢かつ慎重で、機動力のあるオペレーションを展開してきましたね。
 僕が昔、NGOを離れてしまった理由として、透明性がなかったり、質がなかなか高まらない、また現地への実質的なインパクトが少ないのに、みんなが結構満足してしまっているということがあって。それを打破すべきだと思いながら、当時の自分にはそこまでの余裕がなかった。二足のわらじを履いて、病院や診療所で働きながらボランティアでやっていましたからね。それよりも、もっと大きなスケールで、自分でやりたいことを思いっきり現場でやりたいと思って国連に飛び込んでいってしまった。
 それを大西さんは、NGOとして透明性をきちんと保ちながら質もしっかり高めていって、しかも大規模に現場での成果を示しながらやれているというのは本当にすごいことだと思います。

大西:ありがとうございます。透明性に関しては、国連や米英政府など、公共性の高いところからお金をもらうには、極めてレベルの高い第三者による監査が必要で。そうしたお金が必要なら、アカウンタビリティーとかトランスペアレンシーが要求されるので、自ずと透明性の高い仕組みを整えていくしかないわけです。
 初期の頃の日本のNGOは日本政府からさえお金をもらっていなくて、いわゆる浄罪的な個人の寄付を受けていたわけですが、例えば個人が1万円寄付したら、領収書はいらないよ、何に使うかは君に任せたから、みたいな雰囲気がありましたね。たとえ1000万円、2000万円集まったとしても、会計の透明性とか正当性を問われるということはほとんどなかった。
 自分たちもそのレベルで満足だったら、そこまでで終わっていたかもしれないですけど、現実に紛争が激しい地域で100万人を超える難民が生じている時に、できる範囲で50人だけ救いました、ではね…。実際、当初は僕らではどうすることもできず、命が失われていくのをただ見ているしかないという、本当に砂を噛むような思いをしてきました。そんな中で、スモール・イズ・ビューティフルなんて言っていられない。
 だからノット・オールウェイズだと。非常時に対応するためのスケールメリットを考えていかなきゃいけないと取り組んできました。そうやって「何とかしたい」という気持ちをシビアな環境で実現していく過程で、個人も組織も鍛えらえていったのだと思います。

國井:かわいそうだから何かしたいという気持ちは大事だけど、気持ちだけでは解決できないというのもまた現実。何とかしたい気持ちを実現するには、具体的に現場で何が必要で、自分たちに何ができるか、それをどのように現場で実践して結果を出していくか、知識と経験の上に立った計画と実行が必要だね。
 僕もミャンマーやソマリアで緊急援助のオペレーションをやっていたけど、資金調達から人材集め、必要な物品の調達から現場までのロジ、現場の治安、スタッフの安全を考えながら、リスクをできるだけ回避しながら、実際に問題が起きたときはそれによるダメージを最小限に抑えながら、できるだけ多くの人々にサービスを届けていく。これが国連という大きな組織をもってしても、どれだけ大変なことか…。

大西:できることをやるボランティアではなく、やりきらなきゃ人命を失ってしまうプロジェクトですから。僕は最初、自分たちのやっていることをシビックベンチャーと呼んでいたんです。予算表を書いたからって誰かがお金をくれるわけじゃないので、まず資金をどう調達するのか、から始まって。

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「「世界基準で救う」ために必要なこととは」の著者

國井 修

國井 修(くにい・おさむ)

「グローバルファンド」戦略・投資・効果局長

国際緊急援助NGO副代表として、ソマリア、カンボジアなどの緊急医療援助に従事。国立国際医療センター、外務省、UNICEFニューヨーク本部、同ミャンマー事務所、同ソマリア支援センターなどを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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