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「ユーザーイン」の視点で新しい市場を切り開く

第22回 アイリスオーヤマ 大山健太郎社長(前編)

2016年9月28日(水)

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 1964年、病に倒れた父の後を継ぎ、大阪の小さなプラスチック製品工場の社長となった大山健太郎氏。次々と新しい市場を切り開き、1000点もの商品を持つ大手生活用品メーカーへと育てあげた。地方発の小さな企業が大きく成長するための考え方、困難に立ち向かいながらも創業時の熱を持ち続けるための秘訣を聞いた。
(聞き手は、トーマツ ベンチャーサポート事業統括本部長、斎藤祐馬氏。前回の記事はこちらをご覧ください)

斎藤:アイリスオーヤマは、今までにない商品を作り出し、次々と新しい市場を広げてきました。その歴史は、会社を成長させたいベンチャー経営者にとても刺激になるものだと思います。現在は、宮城県仙台市に本社がありますが、創業は大阪だったんですね。

大山:そうです。19歳の時に父親ががんで亡くなりまして、その時に私が家業を引き継ぎました。父の会社は、東大阪のプラスチック製造業だったのですが、当時は社員5人、年商500万円という本当に小さな下請け工場からのスタートでした。

斎藤:お父様の背中を見ながら育ち、いつかは自分も家業を継いで経営者になろうと考えていらっしゃったのですか?

大山:いいえ。それまでは会社を継承するつもりなどなく、商売のイロハもまったく分かっていませんでした。ただ、分からないなりにその時に考えたのが、小さくても自社の強みがなければならない、ということです。

 では、当社の強みは何かと、探してみたのですが、強みが何もなかったんです。資金力も技術力も営業力も組織力も人材力も、何もない。ただ、1つだけ、当社にも強みがあった。それは私の19歳という若さでした。この若さで「儲からないビジネスを儲かるようにしよう!」と考えました。

アイリスオーヤマの大山健太郎社長。1945年生まれ。大阪で父が経営していたプラスチック加工の大山ブロー工業(現・アイリスオーヤマ)を19歳で引き継ぐ。71年に株式会社化。89年に本社を仙台市に移転。91年、アイリスオーヤマに社名変更。(写真:新関雅士、以下同)

斎藤:若さを武器に、何から始められたのでしょうか?

大山:人の2倍、働きました。夜の8時頃に社員が帰った後、朝の8時まで私が機械を回しました。小さな会社だからそれが可能だったんです。そういうことを半年、1年続けていると、営業力がなくても売れるようになります。お客様にとっては、注文したらすぐ納品されるところほど、便利な下請けはないわけですから。資金力や営業力を強化する前に受注が増えて、21歳前後には工場を増築しなければならないくらいに大きくなりました。

 ただ、そこまでであれば、一介の下請け企業で終わっていましたが、私にも志があったんです。それは、「自分の作ったものは自分の価格で売りたい」ということです。そのためには、自社商品を作るしかない。でも、自社商品は資金力や技術力、営業力、販売力がなければ作れません。

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「「ユーザーイン」の視点で新しい市場を切り開く」の著者

斎藤 祐馬

斎藤 祐馬(さいとう・ゆうま)

デロイト トーマツ ベンチャーサポート事業統括本部長

1983年愛媛県生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、2006年にトーマツに入社。2010年にベンチャーを支援するためにトーマツ ベンチャーサポート(現 デロイト トーマツ ベンチャーサポート)を事実上立ち上げた。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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