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ドイツは航空産業を「グライダー」で蘇らせた

オリンポス・四戸哲社長インタビュー(その2)

2018年3月9日(金)

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P-51:米ノースアメリカン製戦闘機。1940年初飛行。第二次世界大戦における戦闘機の最高傑作の呼び声高い大成功作。高速性能、航続距離、運動性能、武装のすべてに優れ、大戦末期はドイツや日本の戦闘機に対して圧倒的優位を誇った。

P-51戦闘機(画像:NASA)

エドガー・シュミード(1899~1985):米国の航空機設計者。ドイツに生まれドイツの教育を受け、後にブラジル経由で米国に移住。ノースアメリカンでP-51戦闘機を設計した。「どんな愚か者にでも設計を批判することはできる。しかし最初の設計を行うためには天才が必要だ」という言葉を残している。

後退翼:現在の旅客機にみるような、後ろに大きく反った主翼の形式。音速に近い速度域での空気抵抗を軽減する効果がある。ドイツは第二次世界大戦前からの研究の蓄積で、戦中にほぼ後退翼の理論を完成させており、あと少しで実用化できるところまで進んでいた。

F-86:米ノースアメリカンが開発したジェット戦闘機。1947年初飛行。ドイツから得たデータに基づく後退翼を装備しており、朝鮮戦争では同じくドイツからのデータに基づいた後退翼を装備した旧ソ連の戦闘機ミグ15と互角の空中戦を繰り広げた。我が国の航空自衛隊も、1955年から1982年にかけて、F-86を主力装備として使用した。ちなみに、東京オリンピックの開会式(1964年10月10日)にあわせて、東京上空に五輪の輪を描いたのも、このF-86であった。

F-86戦闘機(画像:米空軍)

B-47:米ボーイングが開発したジェット戦略爆撃機。1947年初飛行。後退翼を装備した米国初の爆撃機である。この機体を開発することで後退翼の効果を実感したボーイングは、続けて後退翼を装備した同社初のジェット旅客機「707」を開発し、現在に至る「ボーイング旅客機帝国」の礎を築くこととなった。

B-47爆撃機。写真の機体は偵察型のRB-47(画像:米空軍)

クルト・タンク(1898~1983):ドイツの航空機設計者。ナチス・ドイツの主力戦闘機のひとつ「フォッケ・ウルフFw190」を設計した。戦後はアルゼンチンやインドなどで、ジェット戦闘機開発の指導を行った。

ルートヴィヒ・プラントル(1875~1953):ドイツの流体力学者。航空機主翼の理論を体系化し、ゲッティンゲン大学に風洞を設置して、翼に関する基礎的データを系統的に収集した。流体の熱伝導における重要な無次元数「プラントル数」にその名を残している。

翼型:翼を進行方向と平行な方向に縦に輪切りにした時の断面形状のこと。この形状は、航空機の性能に決定的な影響を与える。このため、ゲッティンゲンのプラントルチームは、組織的な翼型の研究とデータの蓄積を行い、米国のNACAはそれをさらに徹底して押し進めた。

四戸:もうひとつドイツの戦後の対応として、早い時期に占領軍と交渉して無動力のグライダーだけは解禁に持ち込んだことが大きかったと思います。「エンジンがついている飛行機だったら戦闘に使われる可能性もあるでしょう。だけど動力がないグライダーなら戦闘に使えないから構わないでしょう」というロジックで交渉を行って解禁を勝ち取ったんです。これは、ドイツのエンジニアが航空機に賭けた情熱の結果だと思います。

編集Y:ああ、前回お聞きしたお話と繋がりますね。グライダーを開発することが許されれば、次世代のエンジニアを育てることができる。次世代が育てば希望を託することができる。

グライダーは航空人材を育てる「空のゆりかご」

四戸:さらには日本の場合、朝鮮戦争での特需があって、エンジニアが自動車産業や電気産業など各方面に散っていったわけですが、ドイツはそんな特需はありませんから航空エンジニアがあまり離散しなかったということも影響していると思います。グライダーが許されたことで、将来に希望を持って不毛の時期を耐えることができたんです。

松浦:あ、それは第一次世界大戦の時と同じですね。第一次世界大戦でもドイツは負けて、ヴェルサイユ講和条約で軍用航空機の配備が禁止されるんですが、海外向けの航空機の製造と販売は禁止されなかったんです。だから戦後、航空エンジニア達はみんな会社を興して戦争中に培った技術で海外向けの飛行機の生産を始めるんです。

コメント13件コメント/レビュー

とばないMRJというタイトルですが、大きな事故もなく試験飛行中ですけどね。(2018/04/14 23:27)

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「ドイツは航空産業を「グライダー」で蘇らせた」の著者

松浦 晋也

松浦 晋也(まつうら・しんや)

ノンフィクション作家

科学技術ジャーナリスト。宇宙開発、コンピューター・通信、交通論などの分野で取材・執筆活動を行っている。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

とばないMRJというタイトルですが、大きな事故もなく試験飛行中ですけどね。(2018/04/14 23:27)

日本に航空産業が花咲かなかったのは、

> 米国が日本に無制限に流した最新技術情報が「日本の航空エンジニアを“中毒”させた」ことにある

とは、何とも贅沢な話ですね。ただし、個人的には同意しかねます。
特に自動車や鉄道、艦船等の業界に従事している人達からは、決して賛同は得られないでしょう。
どの産業も、最初は先進国からの技術入手に必死だったのですから。
これが苦労せずに手に入ったからダメになったとは、あまりに情けないし違うと思う。

かく言う私は、大学入学してすぐにハンググライダーを始め、あちこちの空を飛び回りましたが、趣味として夢中になったのはバイクでした。
その後自動車の方へ趣味は変わり、職業は航空関係でもバイクでも自動車でもなく、電機です。
しかし、この全てが共通する物理法則に支配されていることを実感しており、大差ないと思っております。

そのような思いから、日本は「専門病」に罹っているという点については全面的に同意です。
専門外がダメと思っている人達は確かに増えている気がします。そしてこの人達は視野狭窄を起こし、近視眼的な見方しかできなくなっている印象です。
一見関係なさそうに見えても、原理原則の点で共通するということを見抜くことが重要ですが、しかしこれは個人の資質や責任というよりは、やはり教育によるものだと思います。
様々なことを結び付けて考える訓練が少ないように感じます。

これからの日本には、世の中の万象が相互に関連し合い、体系的に広く結びついている、ということを理解できるような教育が望まれますね。
これは決して、前述した物理や技術だけに限りません。(2018/03/14 11:04)

子供のころ愕然としたのは,日本ではロケッティー程度しか許されていなかったのに,海外,特に米国ではモデルロケットが盛んだったこと。わからないなりに洋書を取寄せてみたものの,(英語に)歯が立たなかった。道具不足,材料不足を解決する方法も,公的な手続きもどうすれば良いか,誰に聞けば良いかわからなかった。
結局は,自分の能力不足や努力不足だったのが原因ではあるのだが,一方で,日本は何かと規制したがる傾向にあり,それが種々の発展阻害要因になっていると思う。

具体的には航空機に対する規制。日本の空は容易には飛ぶことができない。別な例としては,道路交通に対する規制。道路交通法は安全と円滑な交通の両方を目的としているにも関わらず,実態は車を止める,速度を落とそうとする規制ばかりである。権限を持つ者が,自分の掌の上に乗せておきたいという意図が見える。
いずれも,米国であれば,肝心なところは規制するが,大抵のことはいわゆる自己責任。日本のような肝心なところで逃げるような自己責任論ではない,本当の自己責任の世界である。ドイツや四戸氏の育った環境も,日本には珍しくそのような環境であったのではないだろうか。

もう一つ,日本人が生真面目であるという点も見逃せない。「全員が」ということでないが,規制やルールの裏をかいたり,穴を探したり,場合によっては多少のルール違反もやってしまうこということが少ない。航空業界は禁止されたから,それに真面目に自己規制までして守った。例外は糸川氏ぐらいだろうか。(2018/03/10 02:19)

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