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本質を伝える捨象と抽象化

2017年2月7日(火)

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 前職では若いころ、昼時になると職場の仲間と連れ立って、近くのそば屋によく行った。「鴨南蛮せいろそば」が店の人気メニューで、私も含め客の多くはこれを頼んだ。ところが仲間の一人は、いつも決まって「かつ丼」を頼んだ。近くにとんかつ屋もあったのだから、何もそば屋に来てまで「かつ丼」を注文することもないだろうにと思うのだが、本人は「そば屋のかつ丼はいける」と聞かなかった。表には、「そば」の看板をかかげてあるだけで、「かつ丼有り」ともないし、一切他のメニューのことは書かれてはいなかった。

 そば屋でかつ丼を出す店はよくある。使う出汁などが共通で作り易いのかも知れない。そばに天ぷらはつきものなので、「揚げる」という共通のプロセスもある。また、客からすると「そばは腹持ちが悪い。もっとずっしりとしたものも食べたい」という要求もある。だからかつ丼を出す店には、そばとかつ丼のセットメニューもあったりする。

 その一方で、そばのほかには天ぷらぐらいは出すが、丼物は出さないというそば屋もある。これは店の方針の違いである。いずれにしても表の看板には、「そば」と書いているだけであるが、その店の心意気は店頭に表れるもので、客の方はどちらの店のタイプかなんとなくわかってしまう。

産総研でこだわった「看板」

 かつて「総合」と名の付く組織に対し、何でもあるが本当に欲しいものは何一つないという言われ方をしたことがある。私が産業技術総合研究所に移って早々のころ、研究部門や研究センターの人たちに、自分達の取り組んでいる研究内容を、それぞれわかりやすい「看板」としてかかげて下さいと指示をした。産総研の正式名称は、国立研究開発法人産業技術総合研究所である。産業技術を総合的に研究している所らしいがどのようなものか、外からは見えない。これでは、「うちは食堂です」と言っているのと同じである。少なくとも「そば屋です」と言う方が外からはわかりやすいのではないか、そう考えたのである。

 当初所内では、自分達のやっていることは、とても一つの看板だけでは表現はできない、一つの看板にしてしまうと却って内容が分かりにくくなるのではないかという懸念があった。しかし、看板は研究所の将来に向けてのビジョンや研究の方向性を示すものでもある。看板で示す研究の方向性がしっかりしていれば、研究内容を束縛することはない。そば屋の看板でかつ丼を出すのと同じでおかしくない。私は看板を掛けることにこだわった。こうして研究所では真剣に「看板掛け」の議論が始まった。

 これを進めるに当たっては、まず、各研究部門や研究センターからイチ押しのテーマを出してもらうことにした。出されたテーマのリストを眺めてみると、いずれ劣らぬ立派なものであった。約50の看板テーマから、大胆ではあるが最終的に、「グリーンテクノロジー」と「ライフテクノロジー」という二大看板にまとめた。どちらも個別の研究や技術の名称ではない。集合体としての呼称だ。産総研は持続可能な社会の実現に貢献することをミッションとしている。それを外部の方に理解していただくためには、「グリーン」と「ライフ」で括るのが良いだろうと考えた。現在はこれに、未来社会には欠かせない研究分野として、「インフォメーションテクノロジー」を加え、三大看板をかかげている。

 産総研を訪問される方々には、三大看板の説明をしてから産総研の有する個別技術の紹介をすることにしている。まずは私たちの研究に対する考え方や心意気を知っていただきたいと思うからである。勿論、説明が進む中で「○○はやっていないのですか?」とさらに詳細な内容についてお尋ねになる方もいらっしゃるが、それには個別にお答えしている。

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「本質を伝える捨象と抽象化」の著者

中鉢 良治

中鉢 良治(ちゅうばち・りょうじ)

産業技術総合研究所理事長

1977年、東北大学大学院工学研究科博士課程修了。同年、ソニー入社。2005年、同社取締役代表執行役社長に就任。2013年より現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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