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もう少しだ、頑張れ!もう少し、頑張る!

2017年3月21日(火)

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 前職でアメリカに赴任して2年目のこと、療養中だった義父の容態が急変した。当時私は1日も休めない(と自分で思い込んでいた?)ほど、多忙な毎日だったし、妻は家事のほかに、学校に通う2人の子ども達の送り迎えを車でする役割もあった。住んでいたのはアラバマ州の田舎町で、公共の交通機関がなかったので、車での送り迎えは半ば強制のようなものだった。義父母にとって、子どもは妻1人で、近くに親戚もいなかったので、急ぎ妻が一時帰国し、義父の看病にあたることにした。

 とは言え、アメリカに残る子ども達の通学の送り迎えをどうするか? 食事の用意は誰がするのか? 日本での看病はいつまで続くのか?……など心配の種は尽きず、八方塞がりの思いだった。あれこれ思案した挙句、窮余の策として思いついたのは、私の姪にアメリカに来てもらうことだった。早速、姪に事情を話したところ、海外の生活体験も悪くはなかろうと、意外にも快く承諾してくれた。地獄に仏とはこのことだった。姪には、大至急渡米の準備をしてもらい、アメリカに来てもらった。彼女は到着するなりドライバー・ライセンスを取得し、子ども達の送り迎えを始めた。入れ替わりに妻は日本に帰国した。

 その1カ月後、義父は亡くなった。私も日本に帰国し葬儀を済ませてアメリカに戻り、数カ月後、姪は日本に戻った。私たち家族のために勤めを辞めるなど、姪には大変な負担をかけてしまった。彼女はその後結婚し、夫君の仕事の関係で海外での新婚生活となったのだが、その時「短かったがアメリカ、アラバマでの滞在経験が役立っています」と言ってくれた。少し救われた思いがした。私が43歳の時だった。

 それから四半世紀以上の年月が経過した。私は前職での勤めを終え、2人の娘たちは難しい年齢も乗り越え、独立して親元を離れていった。数年前、私たち夫婦は最後の親である妻の母を見送った。亡くなる少し前は、夜中や早朝に電話が鳴ったりすると、さては具合でも悪くなったか? といつも肝を冷やしながら電話口に立った。あの頃は「不安な今」がいつまでも続くのでは? と恐怖に近いものを感じていたほどだったが、結局「今」がいつまでも続くということはなかった。

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「もう少しだ、頑張れ!もう少し、頑張る!」の著者

中鉢 良治

中鉢 良治(ちゅうばち・りょうじ)

産業技術総合研究所理事長

1977年、東北大学大学院工学研究科博士課程修了。同年、ソニー入社。2005年、同社取締役代表執行役社長に就任。2013年より現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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