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初めての出張~訪ねて知る人と文化

2016年10月18日(火)

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現在のクレムリンの様子

 今の仕事では国内の出張が多く、海外出張は年に2回ほどである。前職のソニー時代には海外出張が多く、特に社長時代は月に1~2回の出張が入り、年間20回近くという年もあった。ビジネスマンとしては、海外出張には慣れている部類に入るのだろうが、何事にも始まりはある。

誰も知らなかった地、ラトビア

 私の初めての海外出張は、ラトビアのリガだった。ラトビアは、バルト三国と呼ばれる小さな国の1つで、当時はソビエト連邦の一国、もちろん共産主義で、地理的にもはるか遠く北欧にあり、自分の周囲でその国のことを知っている人は、皆無だった。1979年10月、入社して2年余り、私が32歳の時であった。それ以前には、返還前の沖縄に行ったことはあったが、パスポートを所持しなければいけないこと、通貨がドルだったこと以外、日本語も通じるので海外という感じはなかった。

 ソビエト科学アカデミーから、大学時代の研究についての講演依頼のレターが届いたのがこの話の発端となった。私は是非行きたいと会社に申し出た。ところが、会社からは、これは会社の業務ではないから出張は認められないという答えが返ってきた。こうなるとますます行きたい気持ちが募り、結局、年次休暇を取ってでも行こうと覚悟を決めた。

 ところが、その後どうしたことか、これは会社のPRにもなるから出張扱いにしてもよいとの回答があった。私たち夫婦は学生結婚で満足な新婚旅行もしていなかったので、お願いついでに、全経費の半分を私費負担することで、妻の帯同を会社に申請してみた。すると、これも承認してもらえた。それは大変ありがたかったのだが、この時の私費負担額は半年以上の給料分に相当する大金であった。お金の大半は親から借りることにした上、3歳半になる娘まで親に預かってもらうことにして、準備に取りかかった。

 まずは、パスポートとビザを申請したのだが、これが予想外に手間どった。後で考えれば、共産圏に行くのだから、審査に時間がかかるのは当然だった。申請の間、県の海外渡航課の職員が、私のソ連出張の理由や学生時代の素行、思想的背景などを調べに来ていたのである。この間私は、講演の準備や携行品の用意をしていた。妻の父親がそれまで二度ほどソ連出張の経験があったことは幸いだった。義父のアドバイスに従い、お土産用として婦人用パンティストッキング(LLサイズがよい)、名刺サイズの電卓、そして、携行品としてカップ麺も用意した。

 やがてパスポートやビザが整い、まだ開業間もなかった成田空港を発つことになった。当時、ラトビアのリガに行くにはモスクワで1泊して国内線に乗り換える必要があった。モスクワの空港に着くと、いきなり銃を構えた女性兵士が立っており、行く先を指示していた。世界はまだ冷戦時代とはいえ、そのものものしい警備ぶりには驚かされた。ソ連国内の移動にはどこへ行こうにもインツーリストの「随行員(監視員)」が付いたのだが、私達のような不案内者にはむしろ便利な面もあった。

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「初めての出張~訪ねて知る人と文化」の著者

中鉢 良治

中鉢 良治(ちゅうばち・りょうじ)

産業技術総合研究所理事長

1977年、東北大学大学院工学研究科博士課程修了。同年、ソニー入社。2005年、同社取締役代表執行役社長に就任。2013年より現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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