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ザハに何度も負けて悟った、我が生きる道

“地味な技術”で8万人スタジアムを作る

2016年5月23日(月)

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異例の「白紙撤回」から、やり直しコンペを経て、隈研吾らによる新国立競技場の整備案が選ばれた。「負ける建築」を掲げる建築家が目指すのは、アートでもない、とんがってもいない、「木の建築」だった。本人の口から、その覚悟を聞く。

新国立競技場は波乱のプロジェクトとなりました。ザハ・ハディッドによる当初の案が“白紙撤回”。やり直しコンペには、どんないきさつで参加することになったのでしょうか。

:ザハ案がまさかキャンセルされるとは、思いもよりませんでした。国が関わる公式なコンペで選ばれたデザイン案が白紙撤回されるなどという事態は、通常は起こり得ません。しかも、やり直しコンペは、設計段階から施工業者が設計者とチームを組む「設計・施工一括方式」(いわゆる「デザインビルド」)で、大手ゼネコンが名乗りを上げれば、自分のような個人の名前で仕事をしている建築家にお呼びがかかるとは思えなかった。だから、突然、大成建設から「一緒にやりませんか」と連絡をもらったときは、心の中で「えーっ?」と驚きました。

青天の霹靂だったわけですね。

:にわかには信じてもらえないかもしれないけれども、ザハ案が選ばれた最初のコンペのときは、参加しようとまったく思わなかった。まずコンペの応募条件が、プリツカー賞やAIA(アメリカ建築家協会)ゴールドメダルといった、大御所しかもらえない賞の受賞者、あるいは大規模スタジアムの実績がある者、と書いてあった。どっちにしろ、ぼくなんかはお呼びじゃないな、と(笑)。

隈 研吾(くま・けんご)
1954年、横浜市生まれ。1979年、東京大学工学部建築学科大学院修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。

最初のコンペではあっさり不参加を決めたけど、やり直しコンペでは声がかかった、と。

:自分がお呼びじゃないプロジェクトに応募して、何カ月もがんばって図面を描いても、報われる可能性は極めて低い。それより、ぼくは「呼ばれたらやる」という受け身のスタンスに徹しているんです。

 もちろん、この建物が日本にとって記念碑的に重要であることはわかっていました。それに、ぼくは1980年代から外苑前に事務所を構えていて、国立競技場のあたりは通勤路でもあるので、ザハ案への賛否をめぐって世間が騒がしくなると、いろいろと気になることが出てきた。同時に、建築家の責任が過剰に槍玉に挙げられるような状況を見るにつけ、「これは他人事ではない」と、だんだんと思うようになってきたんです。

国立競技場には何か個人的な思い入れはありますか?

:学生時代は、国立競技場の隣にあった「外苑テニスクラブ」に通い詰めていました。昼はそこでテニスをやって、夜は競技場の中に併設されていた「スポーツサウナ」という名前のジムに行くんです。学生が通えるぐらい安く利用できるお気楽なサウナでした。運動して、サウナで汗を流して、ビールを飲み、ラーメン食べて、また図面を描いていました。

すごい名前のジムですね(笑)。

ザハ建築を見て自分の進むべき道を知る

:それだけいろいろと思い出のある場所に、コンペ案のような巨大なとんがった建築物ができるということには、正直、胸がざわつきました。建築の設計コンペで、最終的な数社に残ることを「ショートリストされる」と表現しますが、ぼくらもザハ・ハディッドの事務所とは、いろいろな機会でショートリストされて、何回も負けてきました。

 ザハの打ち出す建築は、図面や模型で見たときに、「ああ、ユニークですごい!」と、思わされる迫力があります。最近では、台湾の橋のコンペ、それからイタリア・サルディニア島のミュージアムや、イスタンブールのアーバンデザインのコンペでも、ザハに負けています。

確かに、新国立競技場のデザイン案も、インパクトや迫力がありました。

:一方で、ぼくが目指すのは図面や模型ではなく、現実に体験したときに実感できる「質」です。人間の実感に重点を置くからこそ、建物をわざわざ低くしたり、地味な形にしたりします。そこをコンペの図面の段階で理解してもらうことは、簡単ではありません。でも、ザハ・ハディッドというきわめてパワフルな建築家とコンペで対戦したからこそ、「自分の道」をつきつめることの大切さが、あらためてわかったのです。ぼくはぼくの道を行くべきなのだ、と。

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「ザハに何度も負けて悟った、我が生きる道」の著者

隈 研吾

隈 研吾(くま・けんご)

建築家

1954年、横浜市生まれ。東京大学工学部建築学科大学院修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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