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建築が“キャラ立ち”を競う時代は終わった

対談 隈研吾×茂木健一郎(1)

2016年6月6日(月)

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オリンピックスタジアムは、建物の形だけでなく日本の文化を総合的に発信するべき、という茂木健一郎氏と、そのスタジアムを設計する隈研吾氏が、現在の建築が抱える問題について語り合いました。

茂木:僕が隈さんと最初にちゃんとお話できたのは、2007年放映のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」のときでした。

:もう9年も前になるんですね。

茂木:そのときに隈さんが掲げていらっしゃった「負ける建築」というキーワードが、僕にはすごく印象的で、面白かった。我々のように建築を専門としない一般の人にとって、建築家という人たちは、ある種のエゴの表現者という思いがありますが、隈さんの「負ける建築」は、その何ともいえない違和感を見事に超えていました。あのときは40件ぐらいのプロジェクトが同時進行だと聞いて、びっくりしまして。

:今は、全部合わせると100件ぐらいが進行中だと思います。

茂木:100件? そんなことができるんですか?

:建築のプロジェクトって、スパンがそもそも長い。中には10年くらいかかるものもあるので、それぞれ時間差でスケジュールを組んでいるのです。100件進行している中で、工事真っ盛りという感じで現場に通わなければいけないのは常時10件くらいかな。ですから、時間管理をちゃんとすればやれます。

東京・青山の隈研吾建築都市設計事務所にて(写真:鈴木愛子、以下同)

茂木:そうは言っても、現場に行かねばならないから大変ですよね。

:今日も、これからヨーロッパ出張に行くところなんです。

茂木:そうなのですね。本日は「新国立競技場」が対談テーマですが、これ、聞き方が難しい(笑)。新国立競技場の経緯を外から見ていると、いろいろもどかしいところがあり、隈さんがやってくれればいい、という僕の切ない願いみたいなものがあったのですが、でも、まさかその願いが実現するとは思っていなかったですから……。

:ぼくにしても、思ってもみなかったことでした。

茂木:僕個人としては、隈さんに決まってよかったな、と素直に思っています。ただ、僕は伊東豊雄さんとも親しいので、正直に申し上げますと、困ったな……とは思ったんです。だって世代で言えば、伊東さんのほうが先輩じゃないですか。伊東豊雄さんが参加されたB案に決まっても、それはそれで順番としてはいいのかな、と思っていました。

:伊東さんとこういう形で競合する日が来ることも、やっぱり想像もしていませんでしたね。

「負ける建築」で新国立競技場をつくる

茂木:ザハ案ももちろん、それはそれでよかったとは思うのですが、ただあのデザインが、日本から21世紀の世界に発信するメッセージだったかな、ということは疑問でした。21世紀の日本から発信する建築は、建物の形だけでなく、それと関連する文化の総合的なメッセージになるわけでしょう。ですから今回、隈さんが建築に託されている哲学、自然観、人と環境との関わりなどが、新国立競技場を通して世界に発信されて、注目を浴びることになったら、本当にうれしいことだな、と個人的には感じ入っています。

:まさしく新国立競技場も「負ける建築」ですね(笑)。

茂木:世の中って、いろいろしがらみがあって、こうなればいいという自分の願いがそのまま形になることって、少ないじゃないですか。それが今回は、図らずもこのような展開になって、運命みたいなものを感じます。隈さんご自身も驚いていらっしゃいますか。

:驚きました。だいたい最初のコンペの参加要件が、ものすごく厳しかったでしょう。プリツカー賞とか、AIAゴールドメダルとか、そういう「巨匠か、実績のある大手事務所」しか応募できないような要項だったから、これはもう自分には無理だな、お呼びじゃないと思いました。大手ゼネコンや設計会社と組んでやるという道もあったのかもしれませんが、そういうことをわざわざやっても、うまくはいかないだろうな、と。神宮外苑の杜はぼくの身近な場所でしたが、そもそも「負ける建築」は求められてないんだ、と身を引いちゃった。

茂木:伊東豊雄さんは、一回り上の世代でいらっしゃいますよね。

:建築の世代論でいくと、丹下健三さんが戦後の第一世代で1913年生まれ。丹下さんの次の第二世代が、1930年前後の生まれで、槇文彦さん、磯崎新さん、黒川紀章さん。その次の第三世代が、伊東豊雄さん、安藤忠雄さんで、お二人とも1941年生まれ。そして、その次の第四世代が、1954年生まれのぼくとか、妹島和世さん、坂茂さんらになるんです。ですから、だいたい干支の一回りで世代交代が起きているんですね。

茂木:なるほど

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「建築が“キャラ立ち”を競う時代は終わった」の著者

隈 研吾

隈 研吾(くま・けんご)

建築家

1954年、横浜市生まれ。東京大学工学部建築学科大学院修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官