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細川ガラシャがキリシタンになった本当の理由

戦国時代の「強い女」に不安な時代の生き方を学ぶ

2017年1月28日(土)

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細川忠興とガラシャ像(勝龍寺城跡にて)(写真:殿村美樹、以下同)

 最近、「強い女」が増えています。史上初の女性都知事になった小池百合子さんや女性党首に就任した蓮舫さんなど、強いイメージの女性政治家が続々と登場した一方、テレビドラマでもNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」など「強い女」を描く作品が多くなりました。すでに女性がリードする時代が来ているのかもしれません。

 ただ、そんな状況はちょっと心配です。なぜなら女性の母性本能は「子どもを守る本能」なので、安全な環境では静かに満たされますが、不安な状況を察知すると動物と同じようにどんどん強くなるからです。つまり、女が強くなる時代は不安な時代とも言えるのです。

 だとすれば私たちは今、どう生きればいいのでしょうか。そのヒントを探るために今回は、不安だらけだった戦国時代の「強い女」細川ガラシャのエピソードをひも解いてみたいと思います。

 細川ガラシャといえば「本能寺の変」で織田信長を討った明智光秀の娘。謀反人の娘として辛い日々を強いられ"心の拠り所を求めて"キリシタンになったと言われています。しかし改めて考えればちょっと不思議です。こういった場合、戦国時代の人たちは大河ドラマの井伊直虎のように、出家するのが普通ではないでしょうか?

 ならば、なぜガラシャは"積極的に"キリシタンになったのでしょうか。さっそく独自の視点でガラシャの謎に迫りたいと思います。

きっかけは秀吉の誘惑だった?

 細川ガラシャの本名は玉で1563年(永禄6年)、明智光秀の三女として生まれました。そして1578年(天正6年)15歳のとき、織田信長の命令で細川忠興に嫁ぎます。

 「本能寺の変」が起こったのは4年後の1582年(天正10年)。玉は19歳ですでに忠興との間に長女・ちょう、長男・忠隆を生み、「本能寺の変」のときは次男・興秋を身籠っていたそうです。側室を持つことが普通だった戦国時代に4年で2人の子を産み、さらに3人目を妊娠していたのです。夫婦仲は良く、玉は幸せだったと推察できます。

 しかし「本能寺の変」で玉の人生は急変します。忠興が玉を丹波国に隔離し、幽閉したのです。当然です。というより細川家を安泰に保つために、謀反人の娘は処分されるのが道理でしょう。殺さなかったのは、忠興が玉を愛していた証拠といってもいいかもしれません。そして玉は幽閉されたまま生涯を終えても、おかしくなかったはずです。

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「細川ガラシャがキリシタンになった本当の理由」の著者

殿村 美樹

殿村 美樹(とのむら・みき)

PRプロデューサー

株式会社TMオフィス 代表取締役。同志社大学大学院ビジネス研究科MBAプログラム「地域ブランド戦略」教員、 関西大学「広報論」講師も務めるPR専門家。「今年の漢字」プロデュース、「うどん県」の全国PR戦略などを手掛ける。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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