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あなたは『エマニエル夫人』を観たか

競馬狂の映画宣伝マン、一世一代の賭け

2016年4月20日(水)

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映画『エマニエル夫人』のポスターは日本オリジナル。主演シルビア・クリステルの写真使用料は100万円。映画の買い付け額とほぼ同額を投じた一人の映画宣伝マン「一世一代の賭け」の行方は…

 グーグルの検索窓に「籐いす」と入力すると「籐椅子 回転」「ニトリ 籐椅子」などと並んで、「エマニエル夫人 籐椅子」という変換候補が表示される。映画『エマニエル夫人』が公開されてから40年以上が経っても、籐椅子に座るエマニエル夫人の姿は、多くの人の心に焼き付いているのだ。

 続編が公開された当時は小学生で愛知県刈谷市に住んでいた、NHK BS「アナザーストーリーズ」プロデューサーの河瀬大作も、そのポスターを目がけて自転車を走らせた。

 「『すごいのがあるよ!』という友達と一緒に、『エマニエル夫人』を上映していた映画館まで、30分くらいかけて見に行きました。その映画館に着く前から、町のあちこちにその写真を使った立て看板があるんですね。見て『すごい!』となるのですが、自転車を止めて正視することは、気恥ずかしいし大人に怒られそうで、できない。『うわあ~~』と思いながら、横目で見て通り過ぎていました」

「男性には売らない。女性に売るんだ」

 『エマニエル夫人』は地下出版された小説を原作としたフランス映画。日本へは日本ヘラルドによってもたらされた。フランスでの公開前にそれを見た日本ヘラルドの社員・井関惺は「正直物足りなかった」。しかし井関の先輩である山下健一郎には別の考えがあった。

 「これはいける。これは女性に売るんだ」と考えた。

 日本で封切られたのは1974年12月下旬。長嶋茂雄が現役引退を表明し、田中角栄内閣が総辞職をした直後だ。この頃を少し振り返ると、1972年2月に浅間山荘事件が起き、同年7月に田中角栄内閣が発足している。翌1973年にはブルース・リーが死に、読売ジャイアンツがV9を達成した。

 「今から振り返ると、1974年は、高度成長が落ち着き、一つの時代が終わった年だったように思います。その中で、女性は社会に出て、当たり前に人生を楽しもうとし始めていたのではないでしょうか」(河瀬)

コメント1件コメント/レビュー

コメントするのが気恥ずかしいのですが、敢えて

当時、小学校の4年生だったか、5年生だったと記憶しております。1970年代前半は、過激派が立てこもってライフル撃つわ、右翼作家が割腹するわ、列島改造論、オイルショックにニクソンショックと、毎年毎年、それはそれは、慌ただしことこの上ない時期で、それ以後と比べて明らかに社会が不安定でした。もちろん、阪神淡路大震災やサリン事件があったりと、その後も、社会不安を経験しましたが、70年代前半の不安というか、不安定さは、今でも特質に値すると思います。

1974年は、東北地方から人口流入が事実上終わった年で、高度成長最後の年と言えます。つまり、1960年から始まった高度成長最後の数年間であり、万国博覧会でそのピークを打った、そのあと少しずつスピードダウンが始まった、そんな時期でした。ある意味、祭りの最後の日々という感じで、田中角栄という異形の宰相は、佐藤内閣のお行儀の良さとは対極にあったと記憶しております。

その時期に、上げられる事の一つに女性の社会進出はまだ始まっては居ないものの、価値観が変わっていった時期だったと思います。エマニュエル夫人はエロスに関しては、今観ても、まるっきり盛り上がりに欠けるのは記事の文中での指摘の通りですが、社会に与えたインパクトとしては、小学生が感じるほどに価値観の変容に大きな影響を及ぼしたと感じておりました。日活のロマンポルノとは違うインパクトでした。北欧のフリーセックスを丸っきり勘違いしていた当時の日本人に突きつけられた性に関わる価値観の変化の基本要因の一つになっていたのではと、今では思います。(2016/11/15 12:33)

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「あなたは『エマニエル夫人』を観たか」の著者

河瀬 大作

河瀬 大作(かわせ・だいさく)

NHK番組制作プロデューサー

1993年、名古屋大学大学院文学研究科修了後、NHK入局、ディレクターとして『プロフェッショナル 仕事の流儀』『NHKスペシャル』などを制作。現在、プロデューサーとして幅広く活躍している。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

片瀬 京子

片瀬 京子(かたせ・きょうこ)

フリーライター

1972年生まれ。東京都出身。98年に大学院を修了後、出版社に入社。雑誌編集部に勤務の後、2009年からフリー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

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コメントするのが気恥ずかしいのですが、敢えて

当時、小学校の4年生だったか、5年生だったと記憶しております。1970年代前半は、過激派が立てこもってライフル撃つわ、右翼作家が割腹するわ、列島改造論、オイルショックにニクソンショックと、毎年毎年、それはそれは、慌ただしことこの上ない時期で、それ以後と比べて明らかに社会が不安定でした。もちろん、阪神淡路大震災やサリン事件があったりと、その後も、社会不安を経験しましたが、70年代前半の不安というか、不安定さは、今でも特質に値すると思います。

1974年は、東北地方から人口流入が事実上終わった年で、高度成長最後の年と言えます。つまり、1960年から始まった高度成長最後の数年間であり、万国博覧会でそのピークを打った、そのあと少しずつスピードダウンが始まった、そんな時期でした。ある意味、祭りの最後の日々という感じで、田中角栄という異形の宰相は、佐藤内閣のお行儀の良さとは対極にあったと記憶しております。

その時期に、上げられる事の一つに女性の社会進出はまだ始まっては居ないものの、価値観が変わっていった時期だったと思います。エマニュエル夫人はエロスに関しては、今観ても、まるっきり盛り上がりに欠けるのは記事の文中での指摘の通りですが、社会に与えたインパクトとしては、小学生が感じるほどに価値観の変容に大きな影響を及ぼしたと感じておりました。日活のロマンポルノとは違うインパクトでした。北欧のフリーセックスを丸っきり勘違いしていた当時の日本人に突きつけられた性に関わる価値観の変化の基本要因の一つになっていたのではと、今では思います。(2016/11/15 12:33)

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